お知らせ

お知らせ

*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。





「公共放送」と名乗っているNHKや態勢迎合の低俗局(フジサンケイや読売)、大手新聞社(朝日・毎日)等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

*東京新聞(中日新聞)、日刊現代、信濃毎日新聞、長周新聞などややローカルなメディアから、今の日本をチェックしましょう。



人と防災未来センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*過去に所有したドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄し、当ブログへの転送設定も停止しております。

*新聞の切り抜き等で拡大表示しても文字の判読が難しい時があります。 そのような場合は、切り抜き画像をパソコンにダウンロードしてから表示されると読みやすくなります。

*お問い合わせメールは、kurohimekogen●gmail●comへ(●は文字を入れ換え、すべて半角で)

*↓時々、先日付の投稿があります。
 下へスクロールして直近の投稿を確認して下さい。

***掲載した主な画像(写真)の上にカーソルを置きクリックすると拡大されて文字が読みやすくなり、さらにクリックするか当該画像右上のXをクリックすると元のサイズに戻ります***


(間もなく参議院議員選挙がはじまります。)
25年デフレが続いている日本で、自公政権は国民の生活を一顧だにせず、消費税に見られるように搾取を続けています。 彼らは与党政治屋や大手企業経営者の栄華が維持されれば良いと思っているのです。 一般市民が現状をよく見定めて、我々の生活の底上げを真面目にしてくれる政治家を選ぶ必要があります。
自民党、公明党に加え、彼らの補完勢力である、維新、国民、参政党などにも騙されてはなりません。 頼りないですが立憲、共産、社民、れいわ新選組の候補者の中から選びましょう。

2005年5月31日火曜日

信濃町の民話

 地域に伝えられてきた民話を聞くと、地域の成り立ちとか様子がよく分かるが、信濃町にも「信濃町の民話」という本にまとめられ"天望館"などでも購入することができる。
信濃町の民話

 黒姫童話館には、「信濃の民話」という展示コーナーがあるし、インターネット上だと、こちらのペンションのサイトで信濃町の民話の内容を知ることができる。
 また、長野県立歴史館の「民話データベース」というサイトに信州の民話を検索できるコーナーがあり、信濃町で検索すると、56件のタイトルが出てくる。 因みに、戸隠は69、三水は15、牟礼村は27。

2005年5月30日月曜日

銘酒"松尾"の4階建ての木造建物

 先日、信州の民家というサイトで、信濃町の銘酒"松尾"の醸造元である高橋助作酒造店の現存する4階建ての木造建物の写真が掲載されていると書いた。
 そこで、手元の写真ファイルを探したら2003年1月に国道から写した"松尾"の同じ建物の写真を見つけた。 現在は、この前に衣料品店が出来てしまい、こんなふうに見ることは出来ない。 因みに建物の左側は黒姫山で、右は妙高山である。

高橋助作酒造店

 この4階建ての建物は、先の大戦の時にアルコールを蒸留するために使用されたとのこと。 酒ではなく航空燃料を製造するために使われていたらしい。 だとすると、歴史を証明する建物の一つであろう。 信濃町には、町内に残る「柏原神社の一茶句碑」、「凍りそば」、「古間鎌」など有形無形のものを文化財として保存している。 その中に加えてもいい建物ではないかと思う。



2005年5月29日日曜日

6月の行事を一覧にしてみた

町内で行われる6月の行事を一覧にしてみた。 いくつかには参加しようと思っているが、こういった企画を上手に利用すれば、信濃町のことがもっと分かるのではないだろうか。
 5日(日) ・歴史散歩「信越国境の北国街道を歩く」
          ナウマンゾウ博物館主催(前日までに申込)
       ・童話館「紙芝居講演会」 13:30~
           先着200名
 8日(水)・森歩きシリーズ「カッコウと唄う 象の小径」
          信濃町農林課(前日までの申込)
 9日(木)・博物館講座「信濃町の自然と歴史」 
          ふしぎな魚のはなし (総合会館) 19:30~
��1日(土)・斑尾林道を歩く
          ナウマンゾウ博物館主催(前日までに申込)
      ・作家 岡野薫子氏講演会 14:00~15:30
          一茶記念館
��2日(日)・黒姫山春山登山 役場&観光協会共催
          (募集終了)
��5日(土)・「ホタルをしらべよう」 信濃町戸草 19:00~
          ナウマンゾウ博物館主催(前日までに申込)
      ・一茶記念館講座「近世俳人の墓について」 14:00~
          俳人・「鶴」主宰 星野麥丘人氏
��6日(日)・童話館紙芝居クリニック 10:30~
          (募集終了)

信州の民家

 信州の民家と題した、林写真事務所さんのサイトを見つけた。 こちらのサイトでは、長野県の古い民家を約350カットのモノクロ写真で紹介しており、その多くが1980年代に撮影したものとのこと。 大変貴重な映像の数々で撮影されてきた努力に敬意を払いたい気持ちだ。 信濃町の茅葺家の写真も載っているが、現存しているのであれば是非実物を見たいもの。

 なかで、野尻湖脇の茅葺家と、銘酒"松尾"の醸造元である高橋助作酒造店の現存する4階建ての木造建物に目がとまった。 この"松尾"の写真はメニューの後の方にある"その他1"に掲載されているが、現在の建物は前面に衣料品店の建物が出来てしまい国道からは隠れてしまっている。

2005年5月28日土曜日

春山登山の受付終了

 17日に役場のサイトに、遅れて20日頃か観光協会のサイトに掲載された黒姫山春山登山の募集は一週間ほどで定員に達し受け付け終了となった模様である。
 40名という定員が多いか少ないか分からないが、早くから満杯になるということは、意外と多くの人に知られている企画ということであろう。

 12日の登山の前日である11日(土)には、一茶記念館で岡野薫子さんの講演会があるが行ってみようか、今の所思案中である。

2005年5月27日金曜日

春立つや愚の上に又愚にかへる

春立つや愚の上に又愚にかへる  一茶
最澄は、「愚が中の極愚」
良寛は、「大愚良寛」
親鸞も、「愚禿親鸞」
 などと自分のことを言っているそうだ。
 昔の先人たちは皆、「私は愚かな者で至らない者です」と、非常に謙虚であった。
それに引き換え、現代人は、「俺は賢い」、「俺は偉い」、「俺の言うことに間違いない」と誇示するばかり。 古人に学ぶことは非常に多いのだが、皆、猪突猛進することばかりで振り返ることもない。

 いくら名声や富を持っても、自分の命はたかだか100年。 やがて地球上の生命体としては存在しなくなるのである。 歴史のページの片隅に名が残っても、それはいかようにも修飾され改ざんされるもの。 生き方を見直させる一茶の句の一つである。

2005年5月25日水曜日

黒姫山で見られる野草

 5月から7月にかけて山野草の花が綺麗な時期だが、黒姫山で見られるものは何だろうと思い出してみた。 と云っても花々のことは全く疎くて名前もなかなか覚えられないのが現実なのだ。

 黒姫山登山で初めて見たのは、まず、 "おさばぐさ(筬葉草)" で七つ池から黒姫乗越につづく林の中の道であった。 もう一つは "つばめおもと(燕万年青)" で、これも小さくて白いかわいい花だが、今は閉鎖している第六ゲレンデを下りる途中で何本も見ることができた。
おさばぐさ つばめおもと

 さらに、 "しらねあおい(白根葵)" は、比較的大きな薄紫の花を咲かせ、可憐というよりむしろ綺麗さが目立つ花だ。 山の中では見たことがないが、町の中では山から採ったと庭に咲かせている家が多い。
しらねあおい
 他にも色々な花があるのであろう。 知識を増やして行きたい。

2005年5月24日火曜日

一茶ゆかりの商家が美術館として公開

 朝日新聞のインターネット・サイトであるアサヒ・コムの地域情報"マイタウン長野を見ていた所、中野市に一茶ゆかりの商家が袋屋美術館として公開されているとのことである。

 「ふいと来て 親子のごとし 雪の宿」 - 俳人小林一茶が、中野市の商家「袋屋」を初めて訪れた1822(文政5)年に残した句。

 信州中野が幕府の天領だった江戸時代、みそ、しょうゆの醸造を営む商家として発展した袋屋を、一茶は1827年に65歳で亡くなるまで何度も訪れた。
 一茶と親交を重ねた6代目と7代目は、妻と4人の子を次々と病で亡くした一茶を手厚くもてなし、「一茶晩年の介護者」とも伝えられている。
 一茶ゆかりの商家を「袋屋清左衛門(せいざえもん)邸 袋屋美術館」として96年に一般公開したのは、12代目の山岸昌弘さん(57)。「中野の文化的伝統を伝えたかった」と話す。

 場所は、長電信州中野駅から徒歩10分。 休館は、月曜と祝日の翌日。 電話0269・22・2021。

2005年5月23日月曜日

信濃デッサン館が閉鎖

 上田市の前山寺にある「信濃デッサン館」が資金不足により閉鎖する(した?)とのこと。 今年2月に信濃毎日新聞に載っていたらしいが全く気がつかなかった。 窪島氏が、後に建てた「無言館」の維持に多大な費用がかかり「信濃デッサン館」を維持していけなくなった由。
(2006/11追加:その後美術館は閉鎖せず、開館しつづけていたようで[2005/7は開いていた]、今年になってからであろうか、どうにか閉鎖せずに済んだという新聞記事を見た覚えがあるが、真に不確かな記憶である。->その後、開館を継続に変わった。)



 夭逝された画家の作品を展示していた「信濃デッサン館」、先の大戦時代に若くして亡くなり本懐を果たせなかった画家の作品を展示している「無言館」、その2館を包み込むような「前山寺」と、塩田平を輝かせていた三本柱の一つが欠けてしまったようで、何とも悲しい思いがする。


 いくら個人事業だとはいえ、我々の近い時代に生きた先輩達の思いをかなえたいという活動に、私的であれ公けであれ援助する人はいなかったのか、非常に残念だ。 上田市だって長野県であってもいい、もっと文化事業に税金を使えと言いたい。


 隣にある「無言館」は入場料無料である。 表から入って館内に展示された作品を見て、最後の出口でお気持ちを納めて下さいということなのだが、そういう案内を見てUターンし、入口に向かって出て行く人がいかに多いか。 いつも、そういう姿を見て、窪島氏や展示作品を描かれた人々の思いを共有できない、作品を別の次元のもののように感じるのか、展示館を維持することの大変さまで考えが至らない事に暗雲たる思いで悲しくなる。 日本人の民度の低さがそんな所にも表れているのである。


 駅頭での主催団体が不明な募金箱に金を入れるより、あるいは食事や飲み物を少し質素にすることで、こういう所に少しでも援助することができれば、本当の「金は生きる」のだということを皆が知ってほしい。


2005年5月22日日曜日

被災地支援のコカリナ演奏会

 信濃毎日新聞によると、

 飯山市民会館で21日、新潟県中越地震の被災地支援演奏会を各地で開いているコカリナ奏者、黒坂黒太郎さん=上田市出身=のコンサートがあった。 地元の愛好家グループや、25日の愛知万博「長野県の日」に出演する山ノ内町東小学校の4年生も参加し、澄んだ音色を響かせた。

とのこと。
 コカリナは澄んだやさしい音色だが演奏は難しいのであろう。 以前、黒姫登山の時に聞いたことがあった。



2005年5月21日土曜日

磨崖仏



 天気が良くなったので、手短な所へハイキングに出かけました。 その時に会った仏様を携帯でアップしてみましたが、本文の入力は厄介なので後で記入。

黒姫山頂にまだ雪が残る

我が家のネットワークカメラのズームを一杯にして山頂を見てみました。 まだだいぶ雪が残っているようです。 来月12日の町民登山までにはずいぶんと溶けるでしょうが、それでも全部消えることはないでしょう。 表山道では、"光鱗"が見られるといいのですが!
SnapshotJPEG20050521.jpg


2005年5月20日金曜日

斑尾林道

 信濃町観光協会のページに信濃町観光協会掲示板(旧)信濃町観光協会掲示板という掲示板があって自由に書き込みが出来るようになっているが、5月の連休のあとに、「斑尾林道」と題した次の掲載があった。

"今日一回りして来ました。 一面に咲く雪椿の赤やイチゲの白や薄紫、カタクリの群生に目を奪われ、他にも名前を知らない花々が沢山咲いていて、とても穏やかな時間を過ごす事が出来ました。"
 林道の中に、お花畑があるらしい。



 斑尾林道には、斑尾山から流れる沢で岩魚が獲れるのではと2度ほど荒瀬原から入って行ったことがある。 車では無理だろうが、林道を真っ直ぐ進むと古海に出れるらしい。 もともと、この林道は斑尾山の周遊道路として完成させるという計画があって、途中まで道を広げたらしい。


 そこで、斑尾林道の概要を調べていたら、オフロードバイクが趣味のサイトで、おふ者でいこう!の中に長野市近辺の林道を説明しているページがあって、斑尾林道についても手書き地図とポイントの写真を掲載しているのを見つけた。


 林道の途中には、黒姫山と野尻湖のすばらしい景観に会える場所もあるようなので是非行ってみたい。 説明を読むと車でも通れそうだが、静かな自然の中では、やはりバイク(自転車)か歩きだろう。 通して10kmほどらしいから無理のない距離だが、熊には十分注意する必要がある。 


2005年5月19日木曜日

春山登山に申し込む

 先日、信濃町役場のHPでアナウンスされた"黒姫山の春山登山"に申し込んだ。
 以前は、役場の商工観光課へ申し込んでいたが、今回からなのか信濃町観光案内所(黒姫駅前にある)が受付場所になっている。 申込期限は6月7日だが、登山口までの輸送手段であるマイクロバスの定員(25名ほど?)の関係でそれより前に一杯になるかもしれない。 以前、斑尾山の秋山登山の時がそうだった。

 今回は、残雪の関係なのか、七つ池を巡るとは書かれていないので山頂から直に表山道を下るのかな? 数年前に表山道から登った時は雪が残っていて山頂直前で登頂を断念したことがある。

2005年5月18日水曜日

上信越道薬師岳トンネルで安全祈願

 今日の信濃毎日新聞ニュースに、高速道路の4車線化工事の記事が記載されていた。

 上信越道豊田飯山-信濃町インター間にある薬師岳トンネル(約2・3キロ)の4車線化工事の安全祈願祭が17日、建設現場であった。昨年7月に着工し、形状が整ってきたため祈願祭を実施。 2008年の完成を目指す。総工費43億5000万円。


 富濃にある日本道路公団の現場事務所が広くなったなと思っていたら、こういうことであった。 薬師岳の山頂には社があって、斑尾山にあった薬師如来が大雪を避けるために荒瀬原の即心院に降りたが、それが薬師岳に移ったとか、そんな民話をどこかで聞いたことがあるけど、時間ができたら薬師岳にも登ってみよう。
 ナウマンゾウ博物館が催した行事で、薬師岳の自然観察の会が以前開かれていたように記憶している。

黒姫山春山登山の知らせ

信濃町役場のHPに"春山登山のお知らせ"が掲載された。 掲載ページは、観光とイベント情報



 期日 平成17年6月12日(日)

 場所 黒姫山(健脚者向き)

 集合 場所 黒姫駅西口駐車場   時間 午前7時10分

 行程 西口駐車場よりマイクロバスで西登山道入口へ

     種池・古池から西新道経由で山頂へ

     表登山道から御鹿池を経由して黒姫童話館まで下山

     マイクロバスで黒姫駅西口駐車場へ

 解散 黒姫駅西口 午後4時(予定)

 雨天の場合は中止。



 申込み先 信濃町観光案内所(℡026-255-3226)

 申込み期限  6月7日(火)

 

2005年5月17日火曜日

Jesus, All For Jesus

Sheila Walsh sings "Jesus, All For Jesus"

Jesus, all for Jesus


Jesus, all for Jesus,
All I am and have and ever hope to be.
Jesus, all for Jesus,
All I am and have and ever hope to be.

All of my ambitions, hopes and plans
I surrender these into Your hands.
All of my ambitions, hopes and plans
I surrender these into Your hands.

For it's only in Your will that I am free,
For it's only in Your will that I am free,
Jesus, all for Jesus,
All I am and have and ever hope to be.


コスモス園のカメラ映像

 昨日気がついたのが遅くて、良い画像が見れなかったので、早朝起きぬけにコスモス園の新しいライブカメラを見てみた。

5月17日早朝の高原


 まだ、5時台だというのに、盛んにユンボが働いているのが見え、コスモス畑の作業が始まっているのが分かった。 畑仕事と同じで皆さん働き者ですね。

 さて、このカメラのスナップ映像だが、"SnapshotJPEG?Resolution=320x240&Quality=Standard"というおまじないをつけると取得できる。
 あと、夏や冬のハイシーズンでは、その日の履歴映像が見たいもの。 バッファーに1~2日程度の映像を残せる機能があるのだが、その設定がまだされていないようである。
 以前、戸隠牧場のカメラで、夜間にアクセスすると自動的に履歴映像に切り替わることを知り、スクリプトを研究して、自分のサイトでも出来るようにした。 コスモス園でも是非同じようなページを表示してほしいものだ。 コスモスの花の間を散策する姿やシュプールを描くスキーヤーの画像などが夜間でも見れたら楽しくなると思う。

2005年5月16日月曜日

黒姫高原コスモス園&スノーパークのライブカメラが新しくなった

 信濃町観光協会のトップページには、黒姫高原コスモス園と野尻湖のライブカメラの映像が掲載されているが、コスモス園のカメラはスノーシーズンが終わってしばらく配信を中止していた。
 ところが、今日、見たら、新しいライブカメラに変わったという内容の画像が表示されており、早速コスモス園にアクセスしてみた。
5月16日日没直前のコスモス園

 今度のカメラは動画配信であるが、映像を表示するページをよく見たら、当サイトで利用しているパナソニック製のものと同じで、しかもBB-HCM381という確か音声も配信できる新しいタイプのライブカメラであった。

 今の所、使える機能は、チルト、スパン、ズームであり、プリセット位置は登録されていないが、画像位置を適宜クリックすることで、細かな位置調整ができる。
 まだ、試験的な運用であろうと思うが、この動画映像を見るためにはブラウザのActiveXやJavascript機能を有効にしておかなければいけないし、WindowsXPで管理者としてログインしている人が、この画像を見た時にはアドインソフトがインストールされるが、一般ユーザーとして入っている人では画像が見えないケースがあるであろう。
 そのあたりの使用方法をページのどこかで説明しておかないといけない。
 さて、今までのカメラ映像では更新された映像のファイル名が規定値であったため、第三者でも容易に利用することができ、当サイトでもコスモス園を紹介する意味で利用させてもらっていたし、ペンションのサイトでも利用している所があった。
 今度はそう簡単に行かないようだ。 ただ、カメラ自体はCGIというプログラムで動いているので書式さえ分かれば(と云っても難しいが)、技術的には可能であろう。
 実際に、当サイトで利用しているスクリプトに少し手を入れて当ててみたら、スナップショット映像を見ることができたので、その程度の利用なら出来ることがわかった。 観光協会のページでの利用はこの方法で可能であろう。
 そうはいっても、カメラ・サーバーに負担をかけるようなスクリプトを流すわけにはいかないし、基本的にはコスモス園を多くの人に知ってもらう手立てとして利用できればいいかなとは思っている。

2005年5月15日日曜日

御鹿湿原の開花速報

「童話の森」 黒姫童話館 童話の森ギャラリー に御鹿池周辺の花情報と周辺のスナップ写真が掲載されている。 "サトザクラ"と書かれているのは、大山桜のことかな? 桜の種類は多くて分からないけど、なかなか良い色に咲いているようですね。 それにしても電柱が邪魔!

★御鹿湿原の開花速報(5/14 現在)
・コブシ 散りはじめ
・リュウキンカ 満開
・サトザクラ 見頃

ニリンソウ、ツボスミレは、いま遊歩道わきのあちこちに顔をだしています。(春のメインは大体咲きました。)
キクザキイチゲはまだ多少あり。
ショウジョウバカマはおわりに近づいています。


国道18号線のローソン閉店

野尻湖グリーンタウンの掲示板を見ていたら、松風台のローソンが閉店すると掲載されていた。 信濃町にコンビニが来たのはかなり遅くて、この数年のうちだけど、早々となくなるのかな? 国道の夜間の通行量はかなり少なくなっているようだから営業的には厳しいものがあるのだろう。 残るのは、古間と、穂波と、...!

投稿日/2005/05/12 18:16
 野尻湖グリーンタウン松風台国道入口のローソンが諸事情により5月末をもって閉店するそうです。『国道18号線のローソンを右に曲がって』と道案内が出来なくなります。
白金台・水明台の方は、『国道18号線のセブンイレブンの駐車場を突っ切って』と道案内は出来ますが。


2005年5月14日土曜日

前教皇パウロ2世を福者へ

Pope Benedict XVI launches swift sainthood process for John Paul II という記事に目が向いた。

マザー・テレサと共に20世紀から21世紀にかけて多大な功績を残した人物なのだから、福者⇒聖人 の流れは当然だろう。 でも、現教皇には親しみが湧かないし、第二次大戦時代の暗雲も残っているようだし、信者が減少するであろうという一般的な予測に対しての防衛策なのかもしれない。

以下は、CATHOLIC ONLINE より

5/13/2005
VATICAN CITY (AFP) - Pope Benedict XVI launched the process to beatify his predecessor John Paul II, heeding widespread calls to drastically shorten the procedure toward sainthood.
The proces was opened less than two months after the death of the Polish-born pontiff, although the rules of the Roman Catholic Church dictate that normally five years must pass before the issue of sainthood is raised to allow a cooler assessment of the subject's life.
"The cause for the beatification of John Paul II is open," the newly-elected pontiff said Friday during a meeting with clergymen at Rome's Basilica of Saint John in Lateran.
The case will be examined by the Congregation for the Causes of Saints, said a letter in Latin by the pope read out by the congregation's chief, Cardinal Jose Saraiva Martins.
John Paul II died April 2 aged 84, sparking widespread calls for him to be quickly declared a saint.
Tens of thousands of mourners, gathered in Saint Peter's Square for John Paul II's funeral, chanted "Santo Subito!" (Sainthood now!) interrupting the solemn mass.
Even top prelates have pushed for a speedy process.
On Wednesday, Cardinal Dario Castrillon Hoyos said John Paul II should be beatified on May 18, what would have been his 85th birthday.
"There's no lack of miracles, he performed many while he was still alive," said Hoyos, the Vatican official in charge of the clergy worldwide.
To achieve beatification the Vatican has to ascertain that a person was reponsible for a miracle before or after his death.
Two notable "miracle cures" of sick people have already been linked to the deceased pope. John Paul II's personal secretary, Archbishop Stanislaw Dziwisz in 2002 said an American suffering from a brain tumor was cured after receiving communion from the pope.
A Mexican teen, Heron Badillo, has said the late pope cured his leukemia after dozens of doctors had abandoned hope, while a nun in Colombia has said the pontiff cured her of an illness that affected her balance.
Even Italian Cardinal Francesco Marchisano, in his homily during one of the commemorative masses of John Paul II, hinted that he had been cured of a throat illness by the late pope.
To become a full saint, miracles must also be attributed to someone after their death as a sign that they have interceded with God.
Benedict XVI, who is the only person who can decide if a person is beatified, served as John Paul II's close aide for nearly 25 years before being elected to succeed him on April 19.
During his homily for John Paul II's funeral, then-cardinal Joseph Ratzinger said the late pope was "standing today at the window of the Father's house."
"He sees us and blesses us," the soon-to-be pope said, drawing a massive applause from the hundreds of thousands gathered around St. Peter's for the funeral.
John Paul II's secretary of state, Cardinal Angelo Sodano, said he had died with "the serenity of saints," calling him "John Paul the Great."
Pope John Paul, whose 26-year rule was the third-longest in history, made more saints than all of his 263 predecessors put together. Under his rule, 1,338 people were beatified, and 482 were elevated to sainthood.
The late pontiff also streamlined the procedure: while in the past canonization could take up to several centuries, John Paul II oversaw the swift beatification of Mother Theresa of Calcutta six years after her death, and controversially made Opus Dei founder Josemaria Escriva de Balaguer, who died in 1975, a saint in 2002.

小林一茶179回忌 全国俳句大会のお知らせが届く

 昨日、一茶記念館から例年行われている一茶忌(今年は11月19日(土))開催のお知らせが届いた。
 お知らせの中に作品募集があり、3句1組・投句料1000円で8月31日までに応募できるとある。 費用は、作品集への掲載・配布や郵送料に使われるのであろう。

 前後して、企画があるようで
  ・小林一茶原画展 10月14日~11月30日
  ・一茶忌前夜祭   11月18日
  ・記念講演「小林一茶の死生観」 11月19日10時~

詳細は、一茶記念館

昨年から参加したのだが、一茶記念館では聴講無料の講座が開かれており、種々の分野で活躍されている方々のお話を聞くことができるので、今年も是非受講したいと考えている。
・各回とも、土曜日の14時~16時
��.5月28日 一茶俳句の民衆性・風土性(俳人・千曲山人)
��.6月25日 近世俳人の墓について(俳人・星野麥丘人)
��.7月23日 北国街道(地方史研究家・尾崎行也)
��.8月27日 一茶の文学性(鶴見大教授・山下一海)
��.10月1日 一茶・井月・山頭火(作家・村上譲)
街道歩きに興味を持つ身としては、「北国街道」はぜひ聞きたい。

2005年5月13日金曜日

車の事故に気をつけよう

 昨夜、信濃町の知人からの電話で、娘さんの同級生の町内の実家で、1才になる赤ちゃんが車庫(敷地)入れする家族の運転で轢かれ亡くなったと聞いた。 自分の不注意で自分が怪我をしたりするのは仕方ないが、可愛くなりつつある赤ちゃんがそんな形で亡くなるのは、何とも悲しい。

 数年前に、Aコープの駐車場で豆まきの催事が行われている最中に、ブレーキとアクセルを踏み違え集団の中に突っ込み死亡者が発生した事故があったが、事故を起こした方にとっても受けた方にとっても、その事が将来にわたって重く圧し掛かっていることであろう。

 安易な運転をしないよう、特に小さな子供達には注意したいものだ。

 最近、4W車など車高の高い車が多いが、ギア-をバックに入れるとナビ画面に後方が写るバックカメラの装着などは必需品だと思う。 車によっては幅寄せの時にサイドを画面に写すものもあるらしい。

信濃毎日新聞4月12日ダイジェスト版より
◎祖母の車にひかれ1歳児死亡-信濃町
 11日午前9時50分ごろ、上水内郡信濃町柏原、運転手○○○○さん(65)方で、妻○○子さん(62)が後退させた乗用車が、後ろにいた孫の**ちゃん(1)の頭にぶつかった。**ちゃんは長野市内の病院に運ばれたが、脳挫傷のため約2時間半後に死亡。 長野中央署の調べによると、○○子さんは伯ちゃんがの父親と遊んでいると思い込んでいたという。
��個人名は伏字にしました)

2005年5月12日木曜日

原の閑貞桜

 黒姫には、閑貞坊というお坊さんが植えたという"原の閑貞桜"という枝垂桜がある。 "原"というのは地域の名称。 この閑貞という人はもともと坊さんではなく、由比正雪の孫だとか、丸橋忠弥の一党の仲間だとか言われているらしい。
2005年4月29日の閑貞桜
 初めて黒姫に来た1990年頃は綺麗な花を見せてくれていたが、昨今はこの写真のように養生しても老体に鞭をうっているようにしか花を咲かせない。

 今まで十分に手入れをしてこなかったとか、近くまで畑が来て農薬の被害を受けているとか、色々人は言うようだが、200年以上生き抜いてきたこの桜が元気にならないのは残念なことだ。

 この写真は4月29日に撮ったものだが、信濃町観光協会のトップページはたぶん数年前の良い写真が撮れた時のものだろう。 添木というか養生の程度がだいぶ違っている。

2005年5月11日水曜日

少し良くなったかな?

 たまたま寄ったパソコン店の書棚を見ていたら、MovableTypeを自前のサーバーに置いてブロッグが使えることを知った。 早速、その導入本を買って、無償版をダウンロードし、一応起動できる所までこぎついた。

 しかし、未だトップページの体裁は寂しいもの。 秀和システムの「MovableTypeで今日から始めるカスタムブログ」というマニュアル本を買って勉強。 やっと、どうにか形になった。

 でも、バナー画像とバナー・タイトルを重ねて表示することができない。

 まだまだ、先は長そうだ。(~_~;)

2005年5月10日火曜日

携帯アップロードのテスト

我が家の前出にある山桜



2005年5月9日月曜日

森のネズミの山荘便り

森のネズミの山荘便り

 5日の一茶祭りの際、一茶記念館で買い求めた岡野薫子さんの「森のネズミの山荘便り」を読み終えた。

 現在、一茶記念館では、山桑に山荘を持つ作家・岡野薫子さんの企画展を催しており、本書についても岡野さんの直筆のサイン入りで販売されているものであったが、何冊か限定されているものだとも窺った。
 本書は3部構成となっており、1部で黒姫のこと、2部以降は作者本来の仕事である童話作りの基になった猫やカラスなど、創作のきっかけになった話題のエッセイ集となっている。

 信越線で黒姫に向かう時、古間駅を過ぎて総合体育館が見えてくると、何かそわそわして、あそこの家は誰々さん、この店は、この道は、などと思い巡らし黒姫駅に電車が到着する時の何かわくわくした気持ちなどは、本書に書かれている作者の思いと全く同じである。

 以前に読んだ「黒姫山つづれ暦」と同様に、黒姫のあそこやここが述べられている行間に共感というか共時性を感じ楽しく読んだ。

 確か、6月11日(土)に岡野さんの講演会が一茶記念館で行われると聞いた。

(旧徒然日記から転記)



連休づかれかなぁ~ (~_~;)

 連休中は、桜を見に出かけたり、鳥居川で釣りをしたり、ゲレンデへフキッタマを取りに行ったり、タラの芽やコシアブラを探したり.... 結構、楽しいことばかりだったけど、週が変わると、何だか眠くて、やっぱ連休疲れかな? 

2005年5月8日日曜日

温度計を写す

 どこかのサイトで気温を表示しているのを見て、我がサイトでも表示できないかと調べてみたが、学校向けの電子百葉箱となると高額になるし、計測値をサーバーに送るのも色々な手立てが必要のようである。

 そこで一番原始的な方法として、単純に温度計をカメラで撮ることにした。 温度計は設置場所と外にある温室などの温度も測れるもので、外気センサーを窓の外に置いた。 カメラは今まで使っていたNo.3のUSB型を利用した。

 ただ、欠点は外から光が入らないと見えないのである。 天候が悪い日の朝晩は暗くて数字が判読できないかもしれないが、黒姫の温度がどの程度なのか一応参考にはなるであろう。 ライブカメラ映像集のページに掲載した。

(旧徒然日記から転記)



2005年5月7日土曜日

山菜採り

山菜

 朝のうち雨が降っていたが、昼になって日が差して温かくなってきたので山菜取りに出かけた。

 もう、近くでコゴミが取れる場所は少なくなり、今はたらの芽コシアブラである。
 といっても、山に入って簡単に取れるものでなく、ご近所に案内してもらっての採取である。

 初めのうちはなかなか目に入ってこないが、慣れてくると木の形や木肌の色や模様で自然と分かってくる。 ただ、この時期は同じように山に入る人が多く、数分の違いで取れない場合もある。

山菜

 コシアブラをおひたしで食べる人もいるようだが、たらの芽とともに天ぷらが一番美味しい。 あの、ほっこりした感触がたまらないが、これも揚げ方や塩加減で随分と味が違うものである。

 あるお店で、コゴミを出し汁で食べたが、なかなか上品で、ただマヨネーズで食べるよりはいい感じがする。

(旧徒然日記から転記)



携帯からのエントリー

携帯からのアップテスト

エントリーはうまくいったが、サイトの再構築が機能しないというか、携帯から指示できない模様。

よって、すぐの公開は駄目かも?

今日は雨

昨日の夕方から降りだした雨は今日になって本降りになってしまった。 居間の前の山桜がちょうど満開になったというのに、この雨で早々に花が散ってしまうかもしれない。

と書いたら、やんでしまい、昼近くから日が差してきて暑い陽気になった。 おかげで山菜を取りにいくことができた。

2005年5月6日金曜日

ごみ捨て

 生ごみの収集は有料で、年度の初めに区を通して申し込むようになっているようだが、我が家の生ごみは少ないので、畑のコンポストに捨てるようにしている。 その他の可燃物は一日おきの収集時間までに出せば良いようだ。

 今日は久しぶりに車庫や納屋の不要物を見た所、出るわ出るわで大量の不燃物、可燃物が出てきた。
そこで、不燃物については、町役場の住民環境課に出向き申請手続きをし、山桑の先からどんどん下り、関川の川辺近くにある枡形不燃物最終処理場に持ち込み、プラスティックの山、ビンカンの山、スチール缶の山などに分けて置いて来た。 乗用車に一杯にしたゴミで千円の手数料を支払う。

 また、ダンボールなど可燃物は、クリーンセンターへ持ち込んだ。 こちらは六月地区から信越線の踏切を渡って坂を上って行くと、柏木立の五差路の手前、インターからの新道に合流する地点がある。 新しい道に出ずに、ここを右に入っていくと自然と到着する。 敷地に入って大きなドアーの前に車を停めると、自動扉が開くので進む。 右手の受付に口頭で申し込み、車ごと計量した後に、奥右手に一時保管の大きな穴があり、この扉を開けて可燃物を放りこむのである。

 そして、一旦車を外に出して、再び正面の入口から入って車を計量する。 当然、家庭から出たゴミだから車の重さは殆ど変わっておらず、その変化は微々たる数字であろう、手数料はいらないと言う。

 初めての大きなゴミ出しであったが、手続きが分かると簡単なものである。 都市部の分別ゴミ出しとか、不燃物の収集連絡と費用の事前支払などの手間と比べると信濃町の方がいいかもしれない。

 ただ、未だもって、山や沢、川にゴミを捨てることを厭わない人がいることは非常に残念だ。

(旧徒然日記から転記)



戸隠奥社参道に雪が残る

連休の後半の今日、下り坂になる天気模様で雨になる前にと、6時起きして戸隠へ向かった。 朝7時、誰もいない奥社参道を歩くほどすがすがしいものはない。
随神門をすぎてからは雪が残り、奥社近くの木々の新芽には猿が群がっていた。

2005年5月5日木曜日

ウエブログ試行中

 自前のホームサーバーでウエブログを試してみたいと、この世界に足を踏み込んでいる。
万一、こちらのページを画面に表示させてしまった方は、そういうことでこのページは未だ未完成ですのでヨロシクということです。

 ウエブログも未完成ながら、実はwww.kurohime.infoというドメイン名とIPアドレスの関連付けも正常に運用されておりません。 したがって、マシンは正常でも、回線の一時的な断線でアドレスの関連付けが飛んでしまい、このページが開かないかもしれません。

 大手のプロバイダーが必ずしも、良いサービスを提供しているとは限らないのです。 ということで良いDDNSを提供する先を探している所です。

 同時に、あと、このトップページの内容をもっと工夫したいのですが、....(-_-;) MovableTypeのマニュアル本を買って、またまた研究します。

一茶祭り

一茶祭

 朝10時、花火の音が、小丸山公園での一茶祭りの開会を宣言するかのように鳴り響いていた。

 11時過ぎに会場へ行ってみると、柏原小学校の校庭を駐車場代わりに使っているのだが、停める場所がないほどの混みようであった。
 やはり雪が解けて春を謳歌する最初の日なのであろう、電動車に乗るお年寄りから小さな子供さんまで沢山の人であふれ居場所に困るほどであった。

 特設の舞台では、太鼓や大正琴、手品など休みなく催されていたようだが全部を見るほどには時間はない。
 何か、一茶の誕生日はどこかへ行ってしまい、晴れのお出かけで皆が演芸や食事や木工細工などを楽しんでいるようでもあった。

 二階で投句の審査会が行われていたようだが、今日は入場無料の一茶記念館に入り、一茶の展示のみならず、作家・岡野薫子さんの企画展、民俗資料室も見させていただき大変興味深かった。
 早速、岡野さんの書籍を1冊購入。 民俗資料棟の方は所狭しと展示物ばかりで、道具などの説明が少ないのが残念であった。

(旧徒然日記から転記)



閑貞桜

4月29日の原の閑貞桜
d2005042931.jpg



ブログ完成

マイブロッグが完成
まず最初のエントリー

追記欄 テスト入力

2005年5月3日火曜日

鳥居川の虹鱒釣り解禁

虹鱒

 今日は、前日放流された虹鱒の釣り解禁日である。
 朝7時前から鳥居川横の畑に車が1台、また1台と入ってきた。
 一応、漁組の準組合員となっているので腕章を付け、今年こそはと思い、竿を持って降りてみた。 もともと釣りの知識や経験もないので、友人のやっかいになりながらの遊びである。

 8時に監視員の方の号令で竿を下ろすと、何と、経験豊かな人たちを差し置いて、たちまちのうちに自分がまず釣り上げてしまったのである。
 こうなると欲が出るものだが、結局は取り逃がし含めて3匹であった。 それでも1時間半の間、桜の花が散る中、春の爽やかな風にあたって川辺を楽しむことができた。

 早速、塩焼きにしたのだが、比べてしまうと岩魚の方が味はダントツだと思うが、それは仕方ないであろう。

(旧徒然日記から転記)



2005年5月2日月曜日

観光案内板が増える

古間宿

 町の教育委員会が管轄しているのであろうが、この所、町内を巡っていると、旧跡など歴史のある地点に新しい表示板が立ち、観光案内の一つの役目を果たしていることに気がつく。

 やっと、観光事業にきめ細かな対策をされてきたようで、こういう表示をあちこちで見られると町民の意識も変わってくると思う。
 ただ、赤渋の先の廃材置き場はどうにかならないものか。 さらに廃材の山が大きくなっており、黒姫の自然を楽しみにくる直前で、あのような物が目に入ってきたら、気がそがれることであろう。
 リサイクル用の資材かもしれないが、観光立国を考えているのなら、景観も考慮に入れてほしい。

 あと、たびたび書くが、”癒しの・・・”はどうにかならないか。 御鹿池のそばにも、”ここで深呼吸して、・・・”という立看があったが、精神的な平穏を感じるのは教えられるものでない。 余計なお世話だ。 ”癒し”を考えるなら、ゲレンデのスピーカーから流れる、ラジオの音は相反するものであろう。 安っぽい”癒し”のお仕着せは止めてほしいものだが、町の観光事業全体としては力が入っているなというのが最近の印象である。

(旧徒然日記から転記)



2005年5月1日日曜日

いよいよ山菜づくし

 昨日、ゲレンデでをだいぶ採取した。
 3月頃と違って玉になっているものは殆どなく、延びきっているものもあるが、それなりに料理ができる。 天ぷらだとそう沢山は食べられない。 蕗味噌は家々のやり方があるようだが、我が家のが一番いいと思う(手前味噌?)。 酢漬けもほんのりと香りが出ておいしい。

 そして、初物のコゴミタラの芽を取ったり頂いたりして天ぷらにした。 生のコゴミとネギなどをみじん切りにして鰹節を合えたのも鉄分が多そうでいい。

 この時期になると、天望館の店頭にも山菜は並んでいるが、やはり自分で採ってきて自分で(カミさんが)調理して食するものに勝てるものはない。 成人病予防に体重を減らさなければと思いつつ、ご飯をついついお代わりしてしまうのである。

(旧徒然日記から転記)