お知らせ

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「公共放送」と名乗っている局や態勢迎合の低俗局、大手新聞社等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

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2016年4月5日火曜日

はじめての沖縄旅(その2)

はじめての沖縄旅の目的の一つは「辺野古基地拡充に抗議する住民」に連帯すること。
そして、もう一つは70年前の敗戦時、未曾有の辛酸を嘗めさせられた住民の過去の姿を追うことでした。

と言っても、敗戦後70年も経てば、その足跡はどんどん消され、美文が刻まれた慰霊碑しか残っていないしだろうし、戦跡ツアーのようなものも見つからず、思いついた所だけを回って来ました。

あとで調べたら、戦跡をたずねるツアーを提供しているという、


を見つけました。 次回の沖縄行きでは利用しようと思います。


まず、普天間基地を一望できるという、嘉数(かかず)高台公園へ。
住民が避難したガマ、日本兵が応戦したトーチカ、弾痕の塀などがわずかに残っていました。











米軍基地と暮らす住民の姿を見たかったのですが、高台公園を訪ねた日は、軍の活動が休みであったようで実に静かなものでした。 滑走路の南端に位置しているので、爆撃機やオスプレイなどが飛び立てば、相当の轟音にさらされることでしょう。


次に訪ねたのは普天間滑走路の北側にある佐喜真美術館


今、美術館では山城見信さんの作品を展示していますが、大変抽象的な作品で、私には理解が難しい。 丸木美術館の「沖縄戦の図」、そして盲目者の作品を記した書籍に関心の目が向きました。
丸木夫妻の作品は、以前、松本浅間温泉の神宮寺で見たことがあります。

屋上の階段からは遠くに基地が望めるものの草木がかなり覆っていました。
この階段は6段+23段で、小さく開いた升から夕日が望めると、鎮魂の思いを持ってほしいと作られた由。

佐喜真美術館で入手した書籍
・奮われた野にも春は来るか 鄭周河写真展の記録
韓国の写真家が撮った福島「苦痛の連帯」は可能か? 「植民地主義」を視座にすえて、原発・原爆・戦争を日本各地で語り合ったトークセッション全記録
・ベトナム戦争の基地 沖縄の叫び 藤田秀雄著
・揺れる世界に平和を 〜忍びよる戦禍を憂う〜 宮沢貞子著
・済州島シンポジウム報告集(21世紀東アジア平和と人権)
・花鹿白ちゃんのいのち (「シカの白ちゃんと伊都子の出会い」展の記録)

沖縄から帰って、佐喜眞美術館のページがFacebookにあることを知り、そこにBS朝日で3月30日に「黒柳徹子のコドモノクニ」という番組で佐喜真美術館が紹介される(今回が最終回)と知り、早速、友人に録画を依頼。


番組の中で、奇しくも詩人アーサー・ビナードさんが、今回我々が行った嘉数高台公園佐喜真美術館をたずね、沖縄の現実を子供たちと見聞しているのでした。


最終日には、対馬丸記念館へ行ってきました。
敗戦の1年前、1944年、沖縄での戦況がひっ迫すると、足手まといになる子供たちや老人を鹿児島へ疎開させることになったそうです。 老朽化していた対馬丸は速度は遅く、出港時からアメリカ軍潜水艦に追尾され悪石島付近で撃沈され、多くの子供たちを含む1500名が亡くなったとのこと。

入館すると、10分ほどのビデオ視聴で概要を説明。
ビデオでは、かつてNHKの連続ドラマ「ちゅらさん」で全国に知られるようになった「おばあこと平良とみ」さんが案内。 懐かしい声を聞きましたが、平良さん自身は昨年12月に他界されていますね。

僚船や操業中の漁船からの救出活動はかなり遅かったようで、逆に事故を秘密にしたい軍は救出活動を規制し、漁民達はまだ助けられたのにと慙愧の念。 救助した人、救助された人に緘口令が出され、他に口外してはならないと指示された由。
助かった子が郷里に帰ると、「自分達の子が死んで、何でお前が生きているのだ」と非難されたこともあったそうだ。
記憶を後世に残そうとするも、当時の事故にかかわる資料がほとんど無い中で、多くの善意が2004年の記念館開館を支えたそうです。

記念館受付で「対馬丸記念館 公式ガイドブック」が千円で入手でき、これを見ると、掲示物のほとんどが網羅されているようです。



記念館の裏に、「小桜の塔」という慰霊碑がありました。



あの戦争の時、軍人ばかりが日本国のために働いたわけではありません。
沖縄戦で見られた自決指示など、日本人が日本人を殺すという姿がしばしばあったそうです。
対馬丸に乗船して無念の死を迎えた子供たち、当時の日本政府に騙され満州開拓に出たものの、日本への帰国がかなわず死んだ人、米軍の空襲で焼き出された人々。
あの戦争で無念な思いを持ちながらこの世を去った日本人は数限りないのです。

軍人や軍人家族は、軍人恩給という形で懇ろに生活補償されているのに、戦争によって翻弄された一般市民は死に損ないなのです。 その不条理をいつも意識していなければなりません。

戦後、新しい憲法が平和日本を支えてきたのに、今の日本政府は再び戦争ができる国にしようとしています。 再び、日本の市井の人々がこのような悲しみを持たないような政治をすべきなのですが、現実は逆方向に進んでいます。

こういった記念館などをたずね、一人でも多くの人が、過去の悲しみに触れてくれることを切に望むものでした。

旅の最後に、一般の観光コースに入り、首里城と識名園を見学。



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