2004年8月21日土曜日

一茶記念館第三回講座を聴く

 「一茶句のおもしろさとおそろしさ」と題して、宮沢賢治イーハトーブ館館長であり、30年前から信濃町の山桑に住まいを持つという原子朗さんの講演を一茶記念館で聴くことができた。

 2時の開演に間に合うように行くと駐車場は満杯、二階研修室もほぼ満席の盛況で、講演者もあまりにも沢山来られたと驚いていた。
 講演の内容は、当時の時代背景から、一茶の生き様と一茶句を詳訳したもので、

  • 幕府直轄の天領であったこと、
  • 親鸞に詣でるために三河から北国街道を歩き柏原に居を構えた人々のこと、
  • 農業文化が栄えたこと、
  • 平均余命30数才の時代に65歳まで生きた一茶を支えたのは蕎麦であったこと、
  • 一茶の家庭環境のこと、等々

お話が多岐にわたり、その中で一茶句を解説されていた。

  • 松木姓のこと、
  • 中村与平さんのこと、
  • らくや食堂、
  • しなの書房を秘書箱代わり(気付)に使われたこと、
  • ノーマンさんのこと、などを

今の信濃町の情報とからめて話され、非常に面白く興味を持って聴くことができた。
 最後に、一茶を支えた蕎麦の原産地はイラン・イラクであり、蕎麦がきを焼いたようなパンをあちらでは食すとのこと。
 兄弟の多くを先の大戦で亡くされ、その分自分は長生きして憲法9条を守るのだという、イラク派兵など、とんでもないと真摯に発言される80歳の若さにも敬服。
 本当に実りの多い講座であった。 この新しい一茶記念館の建築デザインに少し違和感を感じ、今までは足が遠のいていたのが少し残念であった。

(旧徒然日記から転記)



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