2019年12月25日水曜日

ソウルのかつてのスラム街を中心に撮影された日本人牧師の記事を見る

22日のヤフーニュースの中で、共同通信が配信されたと思われる記事を見つけました。
題して、「独裁政権下の韓国民衆撮影 日本の牧師、写真集出版」。


半世紀近い昔、私は野村牧師さんの知己を得ていたのですが、東京から山梨へ移られてからは遠いこともあってほとんど音信不通状態でした。 数年前に連絡があり、ソウルの昔を写した写真とともに思い出の話をされるとのことで近くの会場へ出向きました。

1970年代、韓国へ行かれたのは韓国の教会との関わりがあったのでしょう、もともと写真撮影が好きな方でしたので常にカメラは携帯されていましたが、当時の軍政権下では写真撮影はご法度。 KCIAなど情報組織に見つからないよう苦心して撮られたようです。

(さすが、昨今は、インチョン空港や金浦空港で着陸態勢に入った時、カメラ撮影はしないようにという機上アナウンスはなくなりましたが、東海(トンへ)などの海岸線では北朝鮮からの亡命やスパイ侵入を防ぐため、今でも海岸線の撮影が禁止されています。)

韓国には、当時の生活や民衆を撮影した記録はかなり少ないか殆ど無い状態で、後年、野村牧師さんは撮りためた写真をソウル市に寄贈されたそうで、それが当時の韓国社会を理解するうえで、大変貴重な資料になっているとのこと。

そんな流れの中で二度に渡って写真集が出版されたようです。



多く撮られたのはソウル市内の清渓川(チョンゲチョン)界隈で、昔は地方から流れ着いた人々がバラックを建てスラム化していた由。 大統領であった李明博がソウル市長であった時、住民を強制排除して、川の暗渠化、高速道路化などを図ったが、その後、昔のせせらぎを取り戻そうと復元化の気運がたかまり、現在の清渓川になったそうです。

後年、清渓川復興の祝賀会で牧師さんがイミョンバクに、スラムに住んでいた人々はどこへ行ったのか聞いたが、無視されて回答がなかったとのこと。

現在の清渓川は、漢江(ハンガン)から水を取り込み、再び漢江に戻していて、完全な自然の流れではないようです。

地下鉄2号線龍頭(ヨンドゥ、Yongdu)駅から10分ほど歩いた、清渓川から一歩入った所に清渓川博物館があり、建物外壁に設置されたエスカレーターで4階まで上がってから館内を見学するようになっていて、清渓川の歴史が分かります。




そして、1階の展示が終了する所で、野村牧師さんの写真を見つけたのでした。



さらに発見がありました。
東大門(トンデモン)には衣料品の大きな市場(シジャン)があり、全国に配送する宅配バイクに溢れている所ですが、清渓川を跨ぐ橋の真ん中に銅像があります。


いつも何の銅像だろうと疑問に思っていたのですが、清渓川博物館に説明がありました。

韓国の経済が成長して行く中で縫製など衣料関係が果たした役割は大きかったようですが、かなり劣悪な環境で働かされていたようで、それに抗議した青年チョン・テイルが焼身自殺をしたとのこと。 日本経済も高度成長の影で水俣や阿賀野川などの公害や血液製剤などで一生を棒に振った人たちがいましたが、同様の犠牲者が韓国にもいたわけで、そういう人たちのおかげで今の繁栄があるのだと認識しなければならないのでしょう


ネット検索したら、レイバーネットに清渓川復興にかかわる記述がありましたので、詳しいことはそちら(韓国;野村ハラポジより)をご覧下さい。

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