昨年11月頃から今年1月頃までであったでしょうか、次の衆議院議員選挙にむけて、れいわ新選組では立候補予定者の公開などされ、You Tube映像を盛んに掲載していました。
しかし、新型コロナウイルス禍による騒ぎが大きくなるにしたがい、街頭演説会やおしゃべり会などが自粛され、政党としての活動が制限され、それまでの賑やかさが消えてしまいました。
そんな中、東京都知事選挙があり、党首である山本太郎氏が立候補することになりましたが、それを聞いて、「国政選挙をどうするのだろうか?」、しかも「立候補声明が遅かった」上、「有権者層が重なるであろう宇都宮健児氏との調整が何故できないのであろうか」、などと疑問が湧き、このまま「れいわ新選組」を応援してもいいのだろうかと考えるようになりました。
しかし、八方塞がりの中で光明を見出す機会だと彼は思ったのでしょう。 「れいわ」の火が消えてしまうことに危惧を感じて、無謀にも思える選挙戦に出たのではないかと推測しました。
その後、大西氏の選民発言や野原氏の離党問題などで、山本氏はかなりの瀬戸際に立たされてしまいました。 しかし、山本氏の明確な発言が聞こえてこない日が続き、騒ぎの渦中の当人が党を離れることで決着したようです。
ただ支援者の中にもいろいろな考えがあり、分裂とは言わないまでも離反された方もおられるでしょう。
ブロッガーの中で私なりに信頼している明月さんがこんなツイートをしていました。
この写真ばかりでなく、大西氏には腕組みしている写真が多いように感じられますが、これはアベシンゾウが発言の場で大仰に腕を広げ(統一教会の文鮮明にも似ていますね)、自分を尊大に見せる所作に通じるように感じられ、まずここで一歩引いた思考にならざるを得ませんでした。
大西氏の除籍の次に伝わってきたのが野原氏の離党。
私は、創価学会と公明党には相容れない信条を持っており、「れいわ」の選挙演説の会場で学会の旗がうごめくことに違和感を感じていました。
学会員でありながら、公明党の政策に反旗を翻すなんて、結局野原氏の思いだけで、それが「れいわ」にプラスになるとは到底思われませんでした。
そういう意味では、彼が離党したのは良かったことでしょう。
大西氏の件では、山本氏は折り合いをつけられる所まで時間をかけておられたように窺えられます。
既成政党のように党を困らす人物を即切り捨てることができずに、どうにか接点を見出すよう努めてきたのは山本氏の優しい性格なのでしょうが、即断できなかったのは人間としての甘さがあると見る人もいるでしょう。
とにかく政治の世界には有象無象の輩がおり、アベシンゾウの森友問題など、通常であれば犯罪と思しき所作も権力で正当化されてしまうのです。
GO TO トラベルもワーケーションも、マスクも自公政権がやっていることは全て自分たちの利権ためであり、それにぶら下がっているのが、池袋で自動車による死亡事故を起こしながら訴追されない犯人である元官僚などの上級公務員なのです。
立憲民主のエダノが言う「真っ当な政治」は、民主党政権下で官房長官であった際福島の原発事故に対し「直ちに人体にや健康に影響を及ぼすものでない」と言っていたのと同様、実に中味のない、あとでどんな抗弁ができるような注力された発言であり、自公政権の「嘘も方便」と何ら変わるものがないのです。
それに比べ、山本太郎氏の思考には、これまでの政治家にはない純朴さがあります。 権謀術数に囚われない人物なのです。
完璧な人間や完璧な政治家などはおらず、思考の中にも揺れ蠢きながら物事を決めているのでしょう。
ただ、明月さんが言われるように、「れいわ」の組織が十分にできていない結果でもあろうと思われるし、また山本氏が全てを背負うのではなく、ブレーンの中で分担し、意思疎通を図りながら党勢を強めることが望まれていると思われます。
波風はいつでも立つものです。 どんな風にも倒されないような信念を持ち続けてほしいと思います。
「れいわ」支援者は、山本氏の発言や一挙手一投足だけで判断するのではなく数歩退いて、彼を俯瞰するような気持ちでいるべきではないかと思います。
自分にとっては発言が不本意なので寄付金や支援金を返せという人がいますが、政治家に委ねたつもりで提供した資金なのです。 返せというのはスジが違うと思います。
今後、山本氏の政策が大きくぶれない限り、これまでと同様に支援して行きます。
長周新聞が7月30日付けで、『「れいわ新選組、しっかりせい!」 命の選別騒動に思うこと』と題した記者座談会を掲載しています。








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