中学校に入る時、親の薦めでミッション系の学校に入り、そこでクリスマス会があり、どんな儀式があったかこれも記憶がありませんが、「きよしこの夜」や「ジングルベル」といったラジオから聞こえてくるような歌ではない、たぶん「諸人こぞりて」のような聖歌を聞き歌い、それまでとは違った新鮮な感覚があったような記憶があります。
学園を経営している修院の建物は、その昔財閥か華族の別荘であったか、能舞台のような、また神社の社のような、周り廊下のある古色蒼然とした立派なもので、その建物の中でのクリスマス会でありました(と記憶しています)。 その土地はディベロッパーに売却したのか、今やかつての建物はなく瀟洒な住宅地に変わっています。
中高6年間の間には、24日のカテドラルでの深夜ミサにも出たことがあり、その後の親睦会(ビンゴなどもここで知った)や幼稚園の教室に布団を敷いて雑魚寝したこと、また、明け方の冷え冷えとした空気を吸いながら、近くの山手通りを散歩したことなどが、昨日のように思い出されます。
その学び舎に愛着があるものの、今や全国で有数の進学校になっているらしく、毎年有名国大に50名以上、有名私大に9割がた進学していると聞き、それはそれで誇らしくもありますが、そういった後輩達が行政の中枢や大企業に入り、政治家と企業家のために働いているとしたら、何とも残念というか、昔の学び舎の意義が薄れてくるようにも思われて仕方ありません。
社会人になり結婚して子供が生まれてからは、情操教育というのでしょうか、一定の価値観を持ってほしいと教会に通わせましたが、幼稚園児であった頃でしょうか、本人達は玩具が欲しく仕方がなく、親としては時間の観念を植え付けさせたく、ディズニーの時計をプレゼントしました。
明け方、枕元に置かれた時計を見て、「サンタの馬鹿野郎」の一言。
クリスマスのプレゼントは親からのものであると、気づいたのは間もなくであったでしょう。
子供達は育ち、我々夫婦も色々な取り組みをして、最後は黒姫に住まいを持つようになったわけですが、クリスマスという言葉も行事もどこかの社会の一つの出来事のようなものになっていました。
でも、この年末に、小さな孫達がやって来るというので、忘れかけていたクリスマスツリーを戸棚から出してきて飾り付けをしました。
クリスマスと聞くと、一般的にはケーキを食べて(あるいは外食をして)、プレゼントをもらうという気持ちしかないでしょう。
今夏、当ブログで記した「かけがいのない いのち」の作曲者古木シスターがイタリアのローマで仕事をされていると、近況を伝えるブログの中で「痛みをともなう贈り物」という一行が目に止まりました。
温かい部屋で美味しいケーキや食事を食べたり、プレゼントを貰うのがクリスマスではなく、日々苦しむ人のことを思い、少なからず手助けをしようとする気持ちを抱くこと、それこそがクリスマスシーズンだと思うのです。
古木シスターのブログ掲載にあった漫画をのこします。
12月になると当方にも色々な団体から案内が届き、そこの最後の頁には必ず活動への支援を願う内容が記されています。 当方は、国境なき医師団のような世界的な活動に微力ながら支援をしていますが、国内に目を向けた所では、今、大阪西成で活動をされている「ふるさとの家」に時々物資や募金を送っています。 痛みを伴うためにはもっと頻繁に送らなければと思うものの、日頃欲しい物があったりすると、なかなかそうもいきません。
東日本大震災による被災者、福島原発の放射能禍に苦しむ人々、虐げられた人々は少なくなることはなく、かえって増えているわけで、行政が温かくこまかな支援がなかなかできない状況下にあって、市民一人ひとりが助けようという気持ちを持つことが望まれていると思うのです。
最後に、贈り物といえば、この時期の日本の風習は「お歳暮」。 今日は第三弾の荷物を発送。 漏れがなければ良いのですが、それだけが気がかりというかドライになれないのも、日本人であることの証拠なのでしょう。
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