お知らせ

お知らせ

*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。





「公共放送」と名乗っているNHKや態勢迎合の低俗局(フジサンケイや読売)、大手新聞社(朝日・毎日)等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

*東京新聞(中日新聞)、日刊現代、信濃毎日新聞、長周新聞などややローカルなメディアから、今の日本をチェックしましょう。



人と防災未来センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*過去に所有したドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄し、当ブログへの転送設定も停止しております。

*新聞の切り抜き等で拡大表示しても文字の判読が難しい時があります。 そのような場合は、切り抜き画像をパソコンにダウンロードしてから表示されると読みやすくなります。

*お問い合わせメールは、kurohimekogen●gmail●comへ(●は文字を入れ換え、すべて半角で)

*↓時々、先日付の投稿があります。
 下へスクロールして直近の投稿を確認して下さい。

***掲載した主な画像(写真)の上にカーソルを置きクリックすると拡大されて文字が読みやすくなり、さらにクリックするか当該画像右上のXをクリックすると元のサイズに戻ります***


(間もなく参議院議員選挙がはじまります。)
25年デフレが続いている日本で、自公政権は国民の生活を一顧だにせず、消費税に見られるように搾取を続けています。 彼らは与党政治屋や大手企業経営者の栄華が維持されれば良いと思っているのです。 一般市民が現状をよく見定めて、我々の生活の底上げを真面目にしてくれる政治家を選ぶ必要があります。
自民党、公明党に加え、彼らの補完勢力である、維新、国民、参政党などにも騙されてはなりません。 頼りないですが立憲、共産、社民、れいわ新選組の候補者の中から選びましょう。

2009年5月29日金曜日

下水道工事がやって来る

黒姫

 この所、常住場所では雨降りの毎日で、昨夜帰宅時にもズボンが濡れるほどに降っていた。 そして長袖を着らずにはおれないほど寒さを感じる。
 そんな天気だが黒姫では早々に晴れたようで、今朝はすがすがしい新緑がカメラのレンズを通して見えていた。

 さて、我が家の地区ででも公共下水道工事が始まるらしく、事前説明会の報せが届いたが、どうも出席できそうにない。 会の内容が具体的に記載されていないので役場に問い合わせる必要があろう。 しかし、実際に地域内の工事が終わっても、最大の難関である川を跨ぐ工事が終了しないと、実際の供用開始とはならない。 また、戸別負担金やらトイレの改装費などの出費もあり、誰もが下水道工事開始を手放しで喜ぶわけにはいかないようだ。



2009年5月28日木曜日

ねこ館長

 先日、一茶記念館猫のことがテレビに出ていたと記したが、3月31日付けで一茶記念館が発行した「一茶記念館だより」を見たら、裏面にねこ館長のカット写真が載っているのに気がついた。 名前は「そら」というらしい。
 因みに、一茶記念館では、9月4日より、「一茶とねこ展」という展示を計画しているとある。

neko neko


2009年5月27日水曜日

Macクーロン

ビワ

 常住場所の狭い庭に植えてあるビワの木が実をつけ、熟すと鳥の格好な餌になってしまうので早々に採ってしまった。 枇杷の葉を利用するため(殺菌効果がある)、昨年までは枇杷の木が2本あったのだが、木が大きくなるにつれ日当たりが悪くなったのでやむなく1本を切り倒してしまっていた。

 豪雪のためであろう信濃町では実生の木は育たないらしく、地元産の果物を聞いたことがないが、荒瀬原などの畑ではリンゴの木が見られるので僅かながら生産はされているようだ。 温暖化の影響で信州や青森のリンゴの生育時期が変化しているということなので、そのうち信濃町でも業としてリンゴを育てられるようになるかもしれない。(素人考えだが、霜や雪の影響がおきる11月中旬までに穫り入れが出来れば可能ではないだろうか?)

 ブルーベリーが実生の類に入るのか分からないが、ここ10数年で町内のブルーベリー畑は相当に増えている。 ブルーベリーは生食やケーキ作りにも使われるが、殆どはジュースやジャムなどの加工用だろうと思う。 地元農家から買うブルーベリーも20年程前と比べると値段が随分と高くなったが、そろそろ飽和状態になるのではないかと感じる。 7月中旬から1ヶ月少々しか収穫できない。 ある特産品売場で農家の方が勝手にブルーベリーを納品してくるので冷蔵庫に溢れ困っているという現場に出会ったことが以前にあった。

MacClone

 さて、クーロン牛遺伝子組み換え大豆の輸入に何の意識を持たない日本人は多いようだが、化学的にも生物学的にも操作された食料は歴史の淘汰を受けておらず危険このうえない筈だ。 危険な食品の市場投入を許可する役人は犯罪者に等しい存在のはずだが、ここにでも企業論理だけで決定がされていると思われる。

 今日の話題はクローンだが、生き物ではなくコンピュータのこと。
昔、秋葉原のラジオデパート地階の店でアップルコンピュータのAppleIIクーロンが販売されていた。 ○ンダツウショウという店であったと思うが、そのクーロンさえ高嶺の花でなかなか買えなかった。 世の中の流れでクローンビジネスが難しくなってからも台湾の業者が○教電子のビルであったかAppleIIcクーロンを販売していたが、ほどなく警察の手入れを受けて店を閉じてしまった。

 日本製品のクーロンといえば、NECのPC9801シリーズのクーロンをセイコーエプソンが製造販売したことだけであろう。 法的にクリアーした製品であったが、その後はマイクロソフトのウインドウズOSの躍進でハードはAT互換機中心になってしまい、ハードクーロンの存在意味がなくなった。

 その後年月を経て昨年聞いたのが、アップルのOSXを載せたMacクーロン機であった。 純正機より比較的安い価格設定で、日本で販売されればiPodやiPhoneブームに乗って売れるのではと思っていたのだが、カリフォルニアにあるというPsystarという会社がなんと経営困難で破産保護申請を行ったとCNETに掲載されていた。 当初OpenMacという名称にしたがアップルを刺激するとOpenComputer , OpenComputer Proに変更したとか、アップルのOSをインストールしても正常動作するという表現を控えたりしていたらしい。 法的な権利関係がより厳しくなっているので日本に来ることはないだろうが、アキバ辺りでこんなPCが出回ったら遊びに出るのも悪くないなと思った次第である。
 なおPsystarのショッピングサイトは本日現在まだ公開されている。



2009年5月26日火曜日

ドクダミの花が咲く

どくだみ

 常住場所の庭にドクダミの花が咲いているのに気がついた。 ドクダミなどは誰の眼にも留まらない雑草だが、「毒を抑える」という意味からその名が付いているらしく、種々の効能があるらしい。 信濃町一番の企業である黒姫和漢薬研究所の商品はえんめい茶がよく知られているが、その他にもクマザサ茶ドクダミ茶など健康に良いものを種々生産されている。

 ドクダミの葉は、肌荒れや血行、利尿促進にも効果があるらしいが、葉は特有のにおいがして臭いので嫌われる存在であろう。 もう一つ日陰の雑草としてユキノシタがあるがこれも薬効があり、赤ちゃんにおっぱいをあげているお母さんがなりやすい乳腺炎の治療に使われるとのこと。

 先般、黒姫山の裾野で、これも雑草の類であろうヨモギを沢山採って乾燥させたが、今はこれをお茶に加え飲んでいる。 このように自然界には有用なものがたくさんあるので無駄にしないよう知識を身に付けたいと思う。



2009年5月25日月曜日

ガソリン価格

 イギリスの47歳の歌姫スーザン・ボイルのことを、当ブログでも4月26日5月2日に記したが、今日、カナダde日本語さんのブログで、準決勝の模様を伝えるNothing Ventured, Nothing Gained.さんの記事が照会されていた。

 そこで早速アクセスしてみた。 スーザンは、バーバラ・ストライサンドやサラ・ブライトマンなど多くの女性歌手が歌っているメモリーを歌っている。 はじめは音程の狂いもあったが、あがっていたのであろう胸に手を置き、心を落ち着かせてからは期待通りの歌い方をしていた。 詳しい状況は上記サイトを参照されたい。

 一位の決定は視聴者による電話投票によるそうだが、その架電がチャリティーとして寄付されるとのこと。 「似非」という言葉が見え隠れする日本の慈善事業と比べると実に成熟した社会だと、ある種の羨ましさを感じてしまう。

 


gogo.gs

 さて、当ブログのトップページ最下段にガソリンの平均価格を示すブログパーツを貼り付けてある。 昨年1リッターあたり200円を越える勢いであった価格は、最近ではハイオク130円レギュラー120円前後で推移しているようだが、市中のみならず高速道路のサービスエリアでも販売価格は随分と異なるので、事前調査の上で給油した方が不況時代にあって得策である。
 信濃町にもいくつかガソリンスタンドはあるが、先週まではハイオク130円レギュラー119円で総じて高いので、出かけた時に安売りスタンドを見つけるようにしている。 以前は豊野の国道脇や立ヶ花で給油していたが、価格の差は2円ほどとあまりに小さい。 中野市内や飯山市内でも同様のうえ、この周辺は信濃町の山林に産廃処理施設を計画している高見澤が経営しているスタンドが数多くあるので避けるようにしている。

 先月下旬からたびたび利用していたスタンドは、浅川のループ橋へ分かれる交差点脇にある所である。 先週でハイオク125円、連休前は確か121円とか118円であったと記憶している。
 仁の倉線で、牟礼の横亭で野菜を見て、ガソリンを入れ、ツルヤなど若槻道路周辺で買い物をする。 帰りは北国街道を利用するわけだが、途中に野菜や果物売り場があるので市場調査が出来ることになる。 往復40kmのガソリン消費はあるが、良い買い物が出来て安い給油ができればそれに越したものはない。 町内経済の活性化のためには地元商店を利用すべきであろうが、値段・品質ともに著しい差があると消費者としては難しい選択となってしまう。



2009年5月24日日曜日

温湿度計の組立

温度計

 従前から黒姫の気温を計測してきたが、温度計がバックライトのない液晶表示のため曇天や夕方などの場合数値の判読が困難になっていた。 何か良い手立てがないかなと思っていた所、7セグメントの発光ダイオードで計測値を表示してくれる部品を販売しているサイトを見つけた。

 LED温湿度計キットと名づけられた部品は送料を含め5千円ほど。 電源とセンサーをつなぐ線材が添付されていないので、別途自前で準備する必要がある。 ともに中古(ジャンク)品を扱っている店に行き、ゲーム機用のACアダプタなどを購入して来た。 半田付け作業はいたって簡単なのだが、センサーチップの足間が極端に狭く、油断すると半田が盛って短絡状態になってしまう。

 数値表示は左が温度で右が湿度。 計測は1秒に3回行っているので、実際に見ていると最下位の数値がチカチカして見にくい。 また陽射しがあっても見にくくなるが、スモーク色のプラ板などをLEDにおけば改善されるらしい。

 量販店で買った従前の温度計の前において、USBカメラで写しているが、温度については双方同じような数値を示している。 しかし、湿度は随分と異なる。 数値の動きを見ていると、従前の温度計は常に30代の数値しか示していない。 湿度そのものや湿度の感じ方などをきちんと理解できていないのだが、天気予報の湿度と比べてみると、新たに設置した温度計の方が正しく計測しているように思える。

 さて、その計測した温湿度の画像ファイルを保存し一覧できるようにしているのだが、先般のルーター不具合の対処に見落としがあって、ネットから見られない状況にある。 サーバーとは別PCで計測(画像取り込み)しているのだが、そちらに割り当てたポート番号をルーターに設定していないことに気がついた。 従い、右サイドのリンク集にある黒姫の温度・湿度はしばらく開くことが出来ない。

 なお、相変わらず温度センサーは窓辺に垂らしているのだが、昼過ぎ以降に直射日光があたり、これまで異常な数値を示していたことがあった。 今回、非常に原始的な方法だが、発泡スチロールの板を前面に置き日光が当たらないようにした。 これから真夏に向かうわけだが、たぶんこれで妥当な数値を示してくれるものと思う。



2009年5月23日土曜日

定額給付金の申請をする

 今朝、家内の友人から電話があり、昨晩のテレビ番組で黒姫の猫が話題となって出演していたと伝えられた。 俳人・小林一茶の生涯を展示している一茶記念館に住む猫が一時行方不明になり、オフトーク(有線放送)を利用して迷い猫案内が町内に流れていたと先日聞いていたが、たぶんその猫なのであろう。 実際に対面したことはないが、我々も多少知己のある、一茶記念館近くにお住まいのSさんのお宅から毎朝定時に記念館へ通っているというような話が番組で流れたらしい。
 そこで、昨夜の番組表を探してみたが、たぶんテレビ東京のこの番組だと思う。 再放送があればと思い調べたが分からなかった。 来週地方局のどこかでは観ることができるであろう。

 さて、黒姫の春を満喫して、久しぶりに常住場所に戻ったら郵便物が山のようになっており、その中に「定額給付金のご案内」が入っていた。
 もともとこの給付金については疑問を感じており、一人一人の手に渡った金がどんな使われ方がされるか分からないと思っていた。 医療制度や救急搬送システムの改善、生活保護や失業保険等の篤い給付、雇用機会の創生など、今行政としてやらなければいけない問題は多い。 国民の汗(税金)を散財させるより、もっと意義のある使い方が出来るはずである。
 案内を開封してみたら、何と申請書と一緒に市町村からの寄付申込書も入っているのである。 国から貰う金を市町村の財政援助に向けてほしいというわけだ。 そもそもこの給付金は世界規模の不況の風に苦しむ国民の生活を援助し、国内経済の活性化に資するためのものであった筈だ。 この給付金を、来る衆議院議員選挙や政党、宗教団体の活動資金に利用しようとしている動きもあるらしい。 高速道路の休日利用限度千円という制度も、所定料金の差額が国から高速道路会社に支払われるのだし、ETCの仕組みも加盟しているメーカーやカード会社に金が還流するようになっている。
 そんなことも理解せず、「給付金だ、高速道路千円だ」と、単純に喜んでいる愚かな国民がいるわけだ。 政治家や大企業らがほくそえんで着々と企み、最後は消費税率アップなどの国民への負担増という重い足枷が待っているわけだ。 社会保険制度の改革が何も行われず、あと何年すれば年金資金は枯渇すると、国は国民を脅かし続けている。 政界や財界のそんな魂胆をきちんと理解できなくても良い、”何か、変だな?”という嗅覚さえ持てれば、彼らの悪巧みの流れを正すことは可能だと思う。

 所で、そんな給付金を受け取り拒否しても仕方ない。 雀の涙ほどであろうが、二人して2万4千円の申請を昨日行った。 そしてこの金は活用されるべき所へ送ることにした。 その一つは、戦没画学生の作品を展示している上田の無言館。 これまでも僅少だが寄付して来た。 しかし、昨年完成した第二展示館の最終工事代金の支払いに未だ苦慮されているらしい。
 もう1ヶ所は、あしなが育英会である。 あしなが育英会は、生活費の稼ぎ手を失った子供達に学業の機会を持ってもらおうと援助している団体である。 この2月に、「あしなが育英会から事業報告が届く」という記事を残したが、この不況で高校でさえ通学できなくなっている家庭があるらしい。
 給付金はもともと無かった金である。 確かに生活費の助けになる家庭もあろう。 しかし、一般的には、所謂、棚から牡丹餅というべき金であって、これを飲食など刹那的なものに使うのではなく、社会的に意義のあるものに振り向けて欲しいと願うものである。

無言館第二展示館


2009年5月22日金曜日

もう一つの絵画展

 先日、水彩画展のお知らせを掲載した際に触れた園田さんが、東京・築地で作品展を開かれると案内が届いていた。 先のお知らせと日程が重なる上、展示場所が近いので一度に二ヶ所で絵画鑑賞が出来ることとなった。

 

 



2009年5月21日木曜日

春の花

 ここ数日の間に見た花を一覧にしました。


ヒメシャガ

 


シロバナエンレイソウ

 


シャクナゲ

 


開花直前のオオデマリ

 


上溝桜

 


マーガレット

 


ムラサキツユクサ

 


ドウダンツツジ

 


サンズンアヤメ

 



2009年5月20日水曜日

森のイスキア

佐藤初女

 初女さんといえば、「おむすび」が思い出されるほど多くの人に知られた存在だが、ガイアシンフォニーという映画やNHKテレビの番組で紹介されてからは、初女の講演会にはなかなか参加できないほど聴講希望者が多いらしい。
 家内は以前に「森のイスキア」を訪ね、直に「初女さんのおにぎり」を習っており、ハイキングや車で出かける際には外食を極力避けて、このおにぎりを持参することにしている。

 ところで、先日、ある教会を訪ねた時に置いてあった広報誌「こころの友」に初女さんの笑顔が載っているのに気がついた。 今年の春も多くの人の眼を楽しませてくれたであろう弘前(城)の桜は、初女さんの亡きご主人の熱意の賜物であったことはあまり知られていない。 義理の娘さんや息子さんにも先立たれ、そんな辛い半生の中で心に悩みを持つ人達を受け入れてきた彼女の姿には頭が下がる思いがする。

「こころの友 - 森のイスキアから」その2

「こころの友 - 森のイスキアから」その3



2009年5月19日火曜日

ドイツ生活から生まれた私のお菓子

ドイツ生活から生まれた私のお菓子

 国際村に別荘を持つ方から、「ドイツ生活から生まれた私のお菓子」というレシピ集(本)をいただいた。 30数年間、パンやケーキを焼いてきた家内にふさわしい著作物だと特に選んで下さったようだが、下さった方のご主人からは、焼き上げた完成品をぜひ賞味したいという添え言葉付きであった。

 本書を書かれた田中典子さんは、巻頭文によればドイツに30年以上住まわれ、ドイツ人家庭の奥さんから教えていただいたレシピなどを日本人向けに、あるいは日本で手に入る道具や材料に合わせアレンジされてきて纏められた由。

 日本の著名な方のレシピ集には肝心な手順を隠していたり、あえて表現しなかったりするケースが目立つが、本書は丁寧に手順を記しており、しかもパンやケーキの断面を写真で残しているので出来上がりが分かりやすいという家内の感想である。 ただ、材料をひとつひとつ見ると、そのまま使うのではなく他のものに置き換えた方が良いものもあるらしい。

 内容としては、基本生地の作り方からはじまって、ケーキ53種、クッキー26種、塩味のケーキ他6種、パン13種、お祝いのトルテ3種となっている。 目次を見ていると、フルーツケーキやザッハトルテ、クネッケ、シュトレン等々、これまで家内が焼いて来たものもあって、賞味するだけの身ながらも本書は何か身近な存在のように思えた。

 なお、出版元は婦人の友社、頒価3800円とある。 定価という表示でない所を見ると部数限定の出版物なのであろうか、月刊誌「婦人の友」で本書の広告を見たと家内は言うが、サイトの書籍案内では見つけることができなかった。



2009年5月18日月曜日

新緑がのぼる黒姫高原

夕方7時の黒姫

 今朝は雲ひとつない青空で明け、黒姫山の山肌に新緑がのぼっていく様子が手に取るように分かった。 そして、黒姫高原へ行った所、ゲレンデの八重桜は無残な姿になっていたが、野尻湖から斑尾山の新緑は今がたけなわのような感じがした。

黒姫から野尻を見る

 ちょっとズームを効かして野尻湖と斑尾山、そして神山から菅川集落辺りを撮ってみた。 標高の低い斑尾は全山新緑に包まれているようで、神山周辺はその新緑の違いでカラマツ林か杉林か程度の違いは分かった。

斑尾山と野尻湖
神山一帯と菅川集落


2009年5月17日日曜日

岡部伊都子回顧展

 今朝、京都で開かれている岡部伊都子回顧展から家内が帰って来た。 岡部伊都子さんの著作については家内はかなり以前から読んでおり、自分はそれを傍から眺めていただけの存在であったが、家の建替えなどのため彼女の著作はほとんど処分してしまっており、今となって家内はかなり残念な思いでいる。

 岡部さんの思考の原点は、「お国のためには自らの命も問わない」と婚約者に強く言うことにより、先の大戦で死なせてしまったという痛恨の極みから始まっている。 負傷した婚約者は沖縄の連合軍上陸に伴い、仲間の足手まといにならないためにと自害したとのこと。 岡部さんの著作は130数冊あるらしいが、その主なものはウイキペディアでも知ることができる。

 今回いただいてきた案内を一覧にしよう。

旧宅

 今回の回顧展にあわせ、岡部伊都子さんの旧宅を生前に買い取った料亭が建屋の公開と昼食を提供してくださると、これにも家内は出かけ、しかも近所に住む方から岡部さんの日常生活をうかがうことができて、今回は十分に満たされた京都行きであったようだ。 なお、講演会では、上田・無言館の館主である窪島さんのお話も聞いて来ている。
 その細かい内容をここに記しても仕方ないので、岡部さんの旧宅の写真を少し載せておこう。

岡部伊都子旧宅岡部伊都子旧宅岡部伊都子旧宅
岡部伊都子旧宅岡部伊都子旧宅岡部伊都子旧宅

 その料亭は先斗町で卯月という店や大原にも店を出されていると、とても庶民が行けるお店ではなさそうだが、吟味された京料理なら一生に一度は行ってみたい。
 なお、京都の土産といえば八つ橋や漬物が有名だが、今回は進々堂というパンと阿闇梨餅を入手して来た。 阿闇梨餅は求肥が入っているような延びのある薄皮に餡が入っているものだが美味しく、また進々堂のパンは素材の良さが十分に感じられる。 奇をてらわずに素材の旨みで焼き上げているようで、全国見回しても数少ないパン屋さんだと思うが、残念ながら東京圏にはお店がない。



2009年5月16日土曜日

北国街道を歩く

 今日は、家内が京都・立命館大学平和ミュージアムで開かれている岡部伊都子回顧展へ出かけてしまい、一人PCの前に座っていても仕方ないので、前々から考えていた北国街道を歩くことにした。 北国街道といっても、軽井沢・追分中山道から分かれ、ほぼ国道18号線にしたがい直江津(春日新町)を経て出雲崎(終点は佐渡)へ至る長い道のりなので一日では当然歩けず、今日は善光寺から信濃町の古間宿までとした。
 なお、先達の資料として幾つかのサイトを参考にさせていただいた。

 朝4時半起きし、握飯など支度をして黒姫駅まで歩き、6時14分の始発電車で長野へ向かった。 この時間帯の乗客はほとんど高校生である。 二番電車は7時台だから始業時間に間に合わないのであろう。 長野新幹線の延伸により信越線の存続が危ぶまれているが、彼らはいったいどうすれば良いのであろうか。 効率だけで行政が行われたら、困るのは住民なのである。

善光寺

 さて、出発地点の善光寺(宿)へ向かったのだが、7時を過ぎたばかりだというのに、回向柱にはあいも変わらず長蛇の列。 諦めて歴代の回向柱に会おうと袈裟衣の方に聞いたのだが、要領を得ず結局は分からず、街道歩きを始めることにした。 所で、善光寺信号の麓に長野市道路元標が埋め込まれているのを発見した。 東京・日本橋にも道路などの距離を計測する際の基点があるが、それと同じ意味合いのものであろう。 しかし、ここが出発点だと思ったら違っていた。 出発点は、仁王門をくぐり、すや亀の店脇であった。(早朝にもかかわらず、すや亀の焼きお握りや味噌アイス、そして隣のお焼きにも長い列)

土産物店

 仁王門脇の道は狭いが399号と番号がふられた道で、歩き始めるとやはり街道筋であったと思われる雰囲気はある。 まず出会ったのは、北島書店の「うつくしやしょうじの穴の天の川」という一茶の句。 その先で、長電・善光寺下駅に向かわずに左道に折れる。 新町宿があったという名残は全くない。 三輪七八丁目、三輪89丁目の交差点を過ぎる。

 この辺りの地図と実際のルート。

長野市道路元標古の建物桶屋?土壁の蔵

 土壁の蔵の隣が日本人形の店で、正面は善敬寺参道だが、遠くに見える本堂の屋根がいやに大きい。 たぶん由緒あるお寺さんなのであろうが、今回は道を左に折れて通過した。 やがて稲田神社の前に来て、自転車屋さんの脇であったか草津への道との分れを示す道標(飯山道分岐?)があった。 道はSBC通り、壇田通り(?)を横切るが、この周辺はツルヤへの買物なのでよく来ているので戸惑うことがない。 住宅街を抜け、若槻道路を田中の信号で渡る。 この辺りは初めて黒姫に通いだした頃まだ若槻道路がつながっておらず、狭い道を抜けたことを覚えている。 あの頃は側溝に蓋がなくすれ違いギリギリで走ったが、現在は完全に蓋がされている。 そのためか車はかなりの速度を出して走っている。 抜け道として使うのか、どちらにしても狭い道なので気をつけて走ってもらいたいものだ。

 この辺りの地図と実際のルート。

善敬寺稲田神社道標庚申塔

 田子池(1日の釣りが500円とあった)を過ぎると吉の集落に来る。 車の時はこの先の信号で豊野方面に抜けられるので馴染みの場所であるが、いよいよ急坂が始まるのであった。 若槻道路をくぐり、車道に沿った道を進み出会い、やがて丹霞郷の入口へとやって来る。 その手前左奥に、髻山(もとどりやま)という山があり昔の戦の陣地であったらしい。 喘ぎながらやっと三本松に到着した。 ここは福井団地入口とか、野菜売り場のムーチャンと言った方が分かりやすい。 三本松には行人塚があったということだが、隣はDIYショップのコメリがあり、昔の面影はない。

 この辺りの地図と実際のルート。

田子池丹霞郷入口昔の生活道具三本松

 弥太郎15歳の折、江戸へ奉公に出る際、父親がここまで見送ったということで、「父ありてあけぼのみたし青田原」の一茶句碑が立っている。 しかし、この場所は雑草で覆われておりベンチがあっても休む気分になれない。 管理は飯綱町役場であろうか、ここまで目が届いていないようだ。 北信五岳がよく見える場所だが今日は霞んでいた。 坂を下ると牟礼宿に入る。 信濃町まで聞こえている和(?)菓子処・明月堂前を通過して、普段は飯綱町役場の交差点で曲がってしまうが、今日は直進して徳満寺や證念寺から十王坂を上る。 その後やや道を間違え小玉の坂へと進んだ。 国道18号線、信越線を越えて小玉集落を過ぎると、街道は山の中へと入った。 杉林だが、構造物がなく時代劇映画でも撮れそうな場所だと思って上って行ったが、街道はやがて広い林道となった。

一茶句碑黒姫山と妙高山十王堂(次の世を下す冥土の裁判官)観音平(かんのんびら)と馬頭観音群

 広い林道を進むと、道は信濃町の落影という集落に入って行く。 ここには立場があったという、また坂中峠から善光寺へと抜ける分かれ道もあったらしいが気がつかなかった。 飯綱リゾートから国道18号に出る信号の先(小玉の坂の上部)に、仁の倉線へ出る道があるが、あの道はやがて坂中峠につながるので、落影からの道はそこへとつながっていたのであろう。 街道は小古間の集落へと入り、信濃町の酒蔵である松尾・高橋助作酒造店の前から古間宿へと進み、1時過ぎ本日予定した街道歩きは終えた。

 この辺りの地図と実際のルート。

小玉一里塚跡林を抜けると落影の畑落影集落の一角に茅葺の家古間宿

 GPSで計った歩行距離は26kmだが、余分な行動があったので、街道歩きとしては24km程であろう。 費やした時間は5時間だから、久々のウォーキングとしてはまぁまぁの歩きであったと思う。 と言うものの、一茶を含め、昔の旅人は日没まで十里歩いたそうだから、本来なら関川か田尻まで歩かなければ健脚の部類には入れないであろう。