地元民が集う料亭「珊瑚屋?」のなかでも、家族それぞれの立場で思うことが異なり、はじめから賛成派であった家長は、娘の思いにじょじょに感化され、余命の末期には家(地域)をつないでほしいと、原発に反意のこころを持って逝ったのでした。
タイトルの「渡されたバトン」の意味が分からなかったのですが、先祖からえいえいと生きながらえてきた地域の人々や文化、生活、絆、社会などを次の世代へ伝え継ないで行く責任が、今生きている我々にはあるという視点で原発の存在を考えたいという製作者の意図がここにあるのだと分かりました。
見終えて思ったことは、この映画は、今、福島原発事故に起因して、原発の存在が全国的に疑問視されている中で、未来に禍根を残さないためにも、自然エネルギーへの転換が叫ばれており、同じような篤い思いを持つ人々への応援メッセージを託した映画ではないかということでした。 大変力強いメッセージを感じました。
本映画は、ジェームス三木脚本とのことで、単なるドラマとしても面白い内容だと思われましたが、やはり巻町の住民達が思い感じた心を、ドラマで表現できたことは実に素晴らしいと思います。
私達は、この日本国ばかりでなく、地球という生命体を安全な状態で次の世代に残していかなければならず、そういう意味でも大事なことを教えてくれている映画だと思います。
映画の中では、住民投票の結果が出てから7年後に北東(東北)電力は原発設置を断念したとありましたが、ウイキペディアを見たら、1999年に当時の反対派町長が町議会に諮らず町有地を原発反対派に売却したと書かれてありました。 この町有地が映画の中で言われていた墓地のことなのか分かりませんが、ウイキペディアの内容が必ずしも正しいわけでもないので、真偽を問わず見ておきたいと思いました。
どちらにしても、大手企業や国、県などからの補助金や助成金などは必ず尾ひれがあり裏があるものですので、それを受けたばかりに将来に禍根を残す結果にもなるのです。 地元に落ちる金による経済効果なんて、わずか数年、もしくは10年というスパーンであり、7th generation という観点から見ると、最低でも生物としての生命帯は350年で捉えなければならないのです。
巻町が原発反対(断念)で終わるのではなく自分たちの町を住民一丸となってこれから作るのだと、映画は最後に終わっていましたが、裏のある金にたよるのではなく、微力な力でわずかな資金であっても、自分たちにふさわしい町、自分たちのふるさとを創るのだという気概を忘れないようにしたいという気持ちはどこの市町村にもつながる考えだと思いました。
因みに、この映画の長野市での直近の上映会は、
11月21日 長野市東部文化ホールで
14:15と18:20 の2回実施されます。
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