今日(1月17日)の信濃毎日新聞に阪神淡路大震災から26年として、震災後信州に移り住んだ方達の特集記事が掲載されていました。
26年前、当方はまだ現役でしたが、仕事そっちのけでテレビ報道に釘付けになっていました。 画面では大惨事をこれでもかと伝え、家内は居ても立ってもいられず一週間後でしたか、寝袋などをかかえて新幹線で大阪へと向かいました。
当時、長田区のカトリック鷹取教会が復興にむけてのボランティアセンターになっていて、キリスト像にヘルメットを被せ、ここで手を広げ火災の広がりを防いだともっともらしい写真が報道を賑わしていましたが、何のつてもなく家内が行くと、神父さんほか主だった人から怪訝な目で見られたそうです。
でも救援作業をするボランティアの方たちへの食事当番として炊事をこなし作業の目処がつくまでの1〜2週間ほど働いてきましたが、道路を隔てた、向こうは被災せず天国の様、こちらは地獄という、その落差を見て、あの感覚はその場にいた人しか分からないというので、5月頃でしたか、私も仕事を休んででかけて実査して来ました。
その頃の写真がないかと調べましたがまったくありません。 被災地を巡った時、被災者の姿を追うというのはその悲しみがいくばくか憚れるもので、たぶん神戸の時も携帯やスマホがなかったこともありますが、むやみに撮影できなかったものと思われます。
0 件のコメント:
コメントを投稿