「髻」という漢字はなかなか難しく、明治時代以前のチョンマゲの空にむけて結んだ所を「もとどり」と言うそうです。
読むことも書くこともできないし、ふだん出会うことのない漢字であったのですが、北国街道沿いにある里山として登山案内があってはじめて知った漢字でした。
俳人小林一茶が幼少の頃に江戸に奉公に出る時、父親が一茶を見送った場所が牟礼にある三本松で、現在はコメリや野菜販売所のムーちゃん、そして福井団地の入り口になっていますが、ここから長野市(善光寺)にむけて街道は一気に下がって行きます。
その途中の平出という地域は現在ではりんご畑が広がっていますが、そこに標高744mの髻山があります。
今回、お誘いがあって、この髻山歩きに参加させてもらうことになりました。
北国街道の平出神社表示の信号近くに駐車場があり、4〜5台ほど駐車できる場所があるのですが、同じ道を往復するのもつまらないであろうと、リーダーは別の場所を出発点として選んでくれました。
長野市の若槻へ向かう時、通常は牟礼駅近くから北国街道を走るのですが、時に横手から人通りの少ない山道を下って平出神社に出ることがあり、その少し手前の田んぼの一角が登山口でした。
ただ数台の車をわけて、入山口と下山口それぞれに駐めておく必要があり、1台だけの車両ですと対応が難しそうです。
登山路には、行先表示が立っていて距離も表示されていますので迷子になる心配はないでしょう。
林間から黒姫山と妙高山が見えましたが、あとは林の中ばかりで遠くを見ることはかないませんでした。
「堀切」、斜面に穴を掘って馬を隠すなどに使われたそうです。堀の大きさから見ると、当時の馬はそう大きくはなかったのではと思われました。
「髻山は火山です」、信州の山々はほとんど火山によってできたのでしょう。 噴火口の跡のような堀もありましたが、往時を偲ばせるものは何もありませんでした。
山頂近くでカタクリの群生地に来ました。 混み具合からすると、そう広い群生地ではないですが、ちょうど満開のカタクリでした。
1時間ほどで山頂に到着
東方に、苗場山や志賀山、根子岳が見えるそうですが、霞んだ空ではなかなか記憶に留めるのが難しい。
案内図で山々を確認。
中段辺りに千曲川、そして北陸新幹線が見られます。 一昨年前の台風禍ではこの地域が川の氾濫で被災したわけです。
平出神社方面に下山、最後はりんご畑を通って北国街道の駐車場所へ。 時間にして40分ほど。 全体として2時間ほどの里山歩きでした。
りんご畑の先に開花しはじめたであろう桜とこぶしもしくは木蓮の花が見られました。
帰宅してから臥竜公園の開花案内をみたら満開の由、今年も桜の開花は早かったようです。
0 件のコメント:
コメントを投稿