二泊三日で熊本へ行ってきました。
家内の実家の菩提寺に参るのが主たる目的でしたが、熊本地震からの復旧状況を確認したり、西南の役の地にたち見聞を深めてきました。
前回、熊本を訪ねた時は地震直後で横に倒れた墓石が目に付きましたが、ほぼ全てが修復され、真新しい御影石に代わったお墓もありました。
家内が親しくしている高校時代の同級生や1年上の先輩を訪ねたり、宿泊させていただいたりし、加えご主人に阿蘇山周辺の観光案内までして頂きました。
まず訪ねたのは新阿蘇大橋。
旧阿蘇大橋の上部には以前揚水発電のための揚水池があり、あの地震の際には揚水池が地震で破壊され、その水が一気に流れ、橋を崩壊したとのことです。(詳細は不明)
橋の袂には東海大学の学舎に通じる道がありましたが、現在は熊本市内に新しい学び舎ができているようです。
その崩壊した旧大橋から600mほど下流に建設された新阿蘇大橋は実に巨大で、橋下を覗くのが怖いほどの深さ(高さ?)でした。
次に訪ねたのが草千里で青い原っぱが続いていました。 左手奥には噴煙をあげている中岳で、その周辺には砂原が続く砂千里。
草千里を前回訪ねたのは学生の時でしたので、50数年ぶりでした。
火山活動が沈静化しているということで、火口付近まで車で行くことができ、火口からは硫黄の匂いがかろじて立ちこめ、周囲には分厚い壁の避難小屋が設置されていました。 そして見学者を運ぶのであろうケーブルカーを新設するのであろう工事が行われていました。
見えるのは噴煙ばかりで残念ながら釜は見えませんでした。
熊本市内に戻って白川周辺を散歩。 白川の両岸には広い散歩道があり、
ゆったりとした景観が見られましたが、住宅地との境には2m近い高さの壁が設えていて、洪水に備えているのでしょうが、実に無骨な感じで、しかも川を渡る橋には壁がないので、何のための擁壁なのか疑問に思えました。
幼少の頃の家内は白川が氾濫し家屋が浸水したため、父親の背にまたがり避難したそうで、浸水の程度で学校から配られた見舞い品(学用品)に違いがあり、床上では大層な物が配られたそうで、羨望の的であったらしい。
見学する時間がなかったのですが、徳冨蘇峰・蘆花が私塾として利用していた屋敷が徳富記念園(大江義塾)として保存されています。
熊本の郷土料理の一つであるだご汁(だんご汁)の店に案内してもらいました。
地元民による信仰の対象であろう西浦荒神社(西浦の荒神「こうじん」さん)を目指した竹林の中にその店はありました。
小麦粉を練って、適当な大きさにちぎって汁に落としたものをだご汁と言うのですが、残念ながらこの店では手抜きなのでしょう、茹でたうどんを入れていました。 だごとうどんでは味が違うんですね、古民家のような風情のある構えの店でしたが、ちょっと残念でした。 場所は鹿児島本線西里駅が最寄り(?)かも。
次に訪ねたのが西南戦争(西南の役)資料館。 展示は色々ありましたが、薩摩を中心とした下級武士の明治政府への不満が蓄積して起きた戦争(内乱?)なのでしょうが、通り一遍等の説明で史実をもっと掘り下げようとする説明を欠いているように思われました。
傷病兵を土蔵で治療したそうで、日本赤十字病院はここから始まったそうです。
市内観光の最終日は交通センターと熊本駅。
交通センターは市内(県内)交通の中心で多くのバスが発着していますが、現在の名称は桜町バスターミナルで、階上はテナントや会議室、屋上は広い庭園となっています。
会議棟の屋上からは熊本城などが見られるそうですが、土日しか利用できないそうで、ビルの間からかろうじてお城が見られました。
熊本ラーメンを食しましたが、前回食べた味千の方が私の舌には合っている印象でした。
桜町バスターミナルを出て振り返ったら、くまモンが手を降ってくれていました。
バスターミナルからは路面電車(市電)に乗って熊本駅へ行き、新しくなった駅舎を見学。
駅舎は有名な方の設計らしいのですが、正面はあまり変哲がない感じと同時に裏手にあるかも知れない昔の機関区などが見られず残念でした。
熊本空港から帰途についたのですが、空港ビルも新しくなったということで、よく見ないままチェックインしてしまいました。 我々は保安検査を済ませ搭乗を待つ間に土産品店を見たり食事をしたりできましたが、地元民が空港ビルを散策したいと思っても、航空会社のカウンターのみで、地元特産品などを探したり散策できるような施設はないようでした。
しかし、空港近くにJA菊池が運営する農畜産物市場(きくちのまんま)があり、値段の安い産物に驚いてしまいました。 特に、名称は分からないのですが、豆腐を発酵させたような食品が美味しく、ご飯と一緒に食すと最高の味でした。
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