文学館を訪ねた後、「見本林」という新聞が時折送られ、その時に「塩狩峠ツアー」という企画が載っていて、何気に申し込んでみました。 そのツアーの先導役になっていた方が、現在三浦綾子読書会を主宰されている森下辰衛先生で、講談師の話を聞くような弁舌爽やかな説明にうなづくことが多く、読書会へ参加することとなり、東京や長野での読書会に参加したりして、三浦綾子作品に触れているうちに、深読みができて、作者が何を伝えたかったかがよく分かって来ました。
その後、富山で朗読会がある時に出かけ、昨年は津波被災地である石巻を中心に著作(書籍)を配布する活動にも参加して来ました。 この所時間が合わず、読書会にはあまり参加できなかったのですが、今般、坂城(坂城栄光教会)で読書会全国大会が開かれると出かけてきたものでした。
坂城は、「まばたきの詩人」と云われる水野源三さんが生きた地で、今般、水野さんの詩集を森下先生が選者としてあらたに出版した記念として、大会が行われたものでした。
水野さんは9歳の時、赤痢による高熱で脳性小児麻痺となり、手足を動かせず物も言えない半身不随の状態となってしまいました。 意思を伝える唯一の手段は「瞬き」であったとのこと。
昨日は上田を中心に文学散歩が行われ、無言館を訪ねるなどし、夜は千曲市で「平和を願う講演会&コンサート」が行われましたが、私たちは所要で出られず、本日だけの参加となりました。
今日は、午前中は講演、昼過ぎはコンサートという企画で、まず、 水野源三さんの存在を見つけ信仰の道へ導いた宮尾牧師の娘さんである宮尾友子さんから「父隆邦と源ちゃん」というお話。
母親が五十音表に示した音にまばたきをすることで詩や短歌を作ることをおぼえ、それを新聞に投稿したことで、三浦綾子さんや牧師の榎本保郎さんの目に止まる事になったらしいです。 榎本牧師は、三浦さんの作品「ちいろば先生物語」の主人公でもあります。
その榎本牧師の子息である榎本恵さんが「タラントンは埋めてはならない ー 父榎本保郎と水野源三」 (注:タラントン=タレント=能力?)
そして三浦綾子さんの初代秘書であった宮嶋裕子さんの「綾子さんに生かされて」。 その間に、十代で受洗したという、現在はやはり牧師職についているらしい福島さんという方が挨拶されていました。
午前の部は、西海さんの「キリストにある出逢い 〜歌人源三と三浦光世」で締めくくられていました。
午後は、「源三さんの心を歌うコンサート」と題して、源三さんの詩に曲をつけたものを坂井和夫さんと浜田盟子さんがじっくりと聞かせてくれていました。
会場では、著作やCDなど色々販売されていましたが、今回出版された「水野源三精選詩集」はおいおい見て行きたいと思います。
また坂城栄光教会で販売されていた水野源三さんの詩集を版画にしたものも購入しました。
こちらは個人の作品ですので、そのまま掲載するのはまずいですので、どんなものか様子が分かるように3枚を重ね合わせておきました。
B4縦サイズの「私がいる」は力強い作品と思われ、額に入れて部屋に置こうと思っています。
日本の政治や社会に目を向けると、不正・不順がそこかしこに見られ重苦しく思えるのですが、今日は「人間って素晴らしい!」という思いを強くした一日でもありました。
そして今日覚えた言葉は、「悪疎」。 「悪に疎い」存在に自分もなりたいです。
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