来年元旦にはなくなってしまう戸隠村の最後のイベントであろう、戸隠村商工会青年部が戸隠神社奥社参道に400本のぼんぼりを点すとのことである。
深淵とした夜の静けさの中で、奥社へお参りし新年を迎えた時に感じるであろう”荘厳さ”に是非行きたいと思ったが今回は都合があってダメだ。
それにしても戸隠村は長野市と合併し長野市の一部になってしまうというが、隣にあるものの地形的にも住民の生計も、雪の量も全く異にしている行政区が一つになって意味があるのか疑問に思えるし、村の特性が消えていくことに何か寂しさも感じる。
今後、「戸隠」という名がどんな形で残っていくのか気がかりだ。 同じように飯綱町になるという牟礼と三水についても同じ思いがする。
特に、「さみず」という名はりんご生産地としてのある種のブランド名にもなっていると思うからである。
効率化、省力化という行政の体制立て直しという目的は分かるが、それぞれの地域に生きている、人々の心に残っている特性や歴史という火を消すようなことは絶対しないでほしいと切に願うものである。
(旧徒然日記から転記)
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