昨日に続いて、毎日新聞HP版の長野県記事を見ていたら、今月5日に掲載された「一茶郷土民俗資料館」学芸員である中村敦子さんについての記事を見つけることができた。 記事の冒頭には、
「耕さぬ 罪もいくばく 年の暮」
俳人の小林一茶はこのような句を読んだように、長年、故郷の信濃町で評判は悪かった。 農家の長男にもかかわらず、故郷を離れて俳句に没頭。 故郷が一茶に向ける目は、怠け者、働かない、身なりに構わないなど、散々だった。
「ところが、(一茶は)4年前から地元の人と雪解けし、理解が広がった」と笑顔で語る。 「一茶記念館」と「一茶郷土民俗資料館」を運営していた二つの財団法人が01年、同町へ運営を移管。 03年の新館開館により、新館の一茶関連資料も約130点に増えた。 4年間で地元の一茶への理解が深まった、と振り返る。
俳句づくりへの努力を感じさせない一茶が好きだという。 多くの俳句を写し、本を読み、それを死の直前まで続けた。 うれしい時も、悲しい時も読んだ。 200年近くの時を超えてもなお、色あせない「友達感覚の句」をつくった個性派の一茶を尊敬する。(以下、省略)
一茶記念館が新たに出来た時には、この建物が小林一茶を象徴するにふさわしいのか、その概観に何か違和感を感じたものであったが、昨年の一茶忌の会場の盛況さは大変なもので、今までの意識を変えたのであった。
自分は今になって、やっと人間臭さ故に一茶を愛でる気持ちになってきたのであるが、中村さんのような熱心な逸材が、記念館のあり方を変える結果となっているのであろう。 やはり事業は人。 人をいかに育てるか、見つけるかが大事なのであろう。
(旧徒然日記から転記)
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