上水内郡信濃町の服部洋町長は9日、県内初の公立小中一貫校を新設することに前向きな姿勢を示した。 町内の教育関係者らの意向を反映し、国の構造改革特区認定を受け、従来の「六・三制」ではなく、9年間の弾力的な教育課程が編成ができる一貫校設置を検討する。
就学児童数の減少が信濃町の財政問題とからめて大きなテーマになっていることは知っていたが、この検討のねらいが実際にどこにあるのか少し気になった。
おおかた行政というのは、財政支出を抑制することを基点に発想を展開することが多いであろう。 しかし、日々の社会を見ていると日本の将来を担う若者を育てるという視点が、教育界のみならず、そこかしこ皆無と思えて仕方ない事象が多い。 より高い点数を獲ること、人に勝つこと、富を得ることしか、家庭でも教育現場でも教えず、高い成績を得る生徒を輩出した教師が重陽され、より高い収入を得るという筋書きが出来上がっているのである。 多少ダーティーであっても、人に勝って、富を得られれば、それを"好し"と肯定する風潮が多い。
その風潮は、教育界のみならず、政治、行政、経済など、あらゆる場に蔓延し、勝つことしか大事にされていないのである。 例えば、企業内でも昇進に遅れた人間は馬鹿にされ、人でないと蔑まれるのである。 そこには個々の人間性などというものはない。 そういう風潮の中で、学校や生徒がかかわる殺傷事件が一度発生すると、彼らは、「命の大切さ」を教えなければと口々に云う。 そんな見え透いた、中味のない言葉を発しても、子供達の心には届かないのである。
そして、レースに負けた若者は刹那的な快楽を求めたり、体を売って高価な品物などを買う。 結果、成人してもニートな生活を続け、ある者は犯罪に手を染め、ある者は身も心も親から独立できず、引き篭もるのである。
今の日本を見たとき、このように"狂っている"としか言いようのない事象があまりにも多すぎる。 徴兵制などを布いて節度ある生活をさせるという単純な発想では解決しない。 我々一人一人の自覚も含め、教育や政治など、あらゆる現場で、この事象を変えるための方策がなされなければ、近い将来、日本は沈没することであろう。 そういう意味では、代議士や閣僚など政治のトップにある者達の責任は重いのだが、彼らがどこまでこれを認識しているか、大変疑わしい。
信濃町の小中一貫校のニュースを聞いて、社会の絆や人の心を大切に、人の心の多様性を大事にし、自らの感情や心をコントロールでき、若々しい発想のもと、故郷から日本を見るような若者を育てる教育現場を、北信濃の一片隅から是非作り上げてほしいと思った次第である。
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