午後と夜の2回の公演にほぼ定員の聴衆が来られ、公演後、皆さん演奏に感動され、また主催意図を理解してくださって、次から次へとカンパ箱にカンパを入れてくださっていました。
私はその様子を見ただけで、今回の公演が成功裡に終わったと、また「災害支援」という活動に皆様が賛同していただいたと理解しました。
入場券+協賛金+カンパという収益金を、今後色々な支援に利用されるそうですが、まず今夏被災地の子供達を招くという保養プログラムを検討されている由。
それにしても9千人ほどの小さな信濃町にあって、これだけの演奏家がいて、聴衆がいて、協力者がいることに、スゴイというか関係者の善意の存在が如実に感じられるものでした。
新聞の折込にも利用された、開催を知らせたチラシですが、一茶記念館がある小丸山公園辺りから黒姫山を望むような風景をイラストしたものでした。 黒姫駅には、旧特急あさまに使われていた国鉄型という車両(現在は快速電車)が停車し、蒸気機関車が走っていた頃に使われていた転車台。 黒姫山麓から切り出した木材をおいていた貯木場、工場、駅前商店、県営住宅、信濃小中学校。 位置関係で入らない建物はそこかしこに点在しています。 どれも実際の写真からイラストおこしたそうで、ひょっとしたら謎解きで遊べるかもしれません。
配布されたプログラムの一部を載せました。
1年前に被災地の石巻をたずねた時の報告です。
こちらは今回協賛していただいた企業や個人の一覧。 一部に印刷が間に合わなかったお名前もあるそうです。
チャリティーコンサートの報告のような記事になってしまいましたが、楽器が弾けたらなぁ〜、もっと豊かな人生になっていたのではないかと思わせるものでした。
学生の頃フォークブームでギターをならう仲間が多かったですが、私はカントリーなどで演奏されるバンジョーが欲しくて、東京銀座の山野楽器へ日参し眺めていました。 しかし買える小遣いはなく、練習する手立ても知らないまま楽譜本だけを購入した記憶があります。
そして30歳を過ぎて、ピアノが弾けたらという願望が強くなり、と言ってもピアノを買うわけにはいかないので、大枚はたいてハモンド・オルガンを購入しました。
学生時代の仲間がパイプオルガンを製作したり修理する工房を開いていたので、その影響があったのかもしれません。 とにかく仕事を終えてから教室に通いました。
でも、教室にかよっているとだんだん練習が難しくなり、一週間では予習が間に合わなくなり、結局は挫折。
最後は、家内の友人の娘さんが使うというのでさし上げてしまいました。 今、思うとちょっと残念でした。
ネット検索で見つけた、昔触れたオルガンはこんな感じでした。
バイブレーションのスイッチを入れるとモーターがブーンと回りだして、たぶんスピーカーの前に風を送って音を震動させるものであったでしょう。 今日では、卓上型のオルガンが数万円で購入できるし、練習しやすいような機能がついたものもあるようですが、たぶん年齢的に無理でしょうね。
Hamond Organ Radioというサイトを見つけました。
http://www.live365.com/stations/scsorensen?play=1
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