「クロンビ、風が吹く」は、韓国・済州島(チェジュド)・カンジョン村に予定されている海軍基地の建設に反対する地元民の姿を描いた映画だという認識しか私にはなかったのですが、いざ観てみると、チェジュの素晴らしい自然が映し出され、こんな豊かな自然あふれる場所をコンクリートで固め、大型軍艦を寄港させ、中国本土や北朝鮮などを威嚇し標的とした軍事基地をなぜ作るのか韓国政府の意図が全く分かりませんでした。
しかも、毎年、大型台風が通過し、施設の多くが強風や波浪でつぶされ流されている場だそうです。
沖縄でも現在普天間基地の辺野古への移転をめぐって、地元住民の反対がありながら、日本政府はそれを無視しゴリ押しで進めようとしています。 しかもサンゴ礁をつぶしているのです。
そして日本政府は憲法9条をないがしろにして、自衛のためではなく進軍するための軍隊を作ろうとしています。
そういった諸々の動きの裏にはアメリカがいるのです。
東西冷戦時代、アメリカは共産圏の恐ろしさを解き、日本政府もそれにしたがった教育や宣伝を日本国民に対し行って来ました。 その結果、今でも共産国、共産党は危険で、あってはならないものという思いが大方の日本人のどこかにあります。 確かにグレーの部分はあるでしょうが、アメリカを筆頭に大国の政策にはグレーどころかブラックな部分が多いのです。
一例をあげれば、大量破壊兵器を理由にアメリカはイラクに進駐し、サダム・フセインを殺してしまったのに、大量破壊兵器を見つけることができず、誤った戦争をはじめたことに対し、世界へエクスキューズもなく、そういう政策への反省がないまま、再び場所を変えて戦争を繰り返しているのです。 アメリカは戦争を続けないと成り立たない国となっているのです。
そういうアメリカさんのいいなりになって、国民の血税からアメリカ軍のために建設されているのが、韓国のチェジュ・カンジョン村であり、日本の沖縄・辺野古だと言えるでしょう。
そういう理解の上で、この映画「クロンビ、風が吹く」を見る必要があろうと思います。
1時間半ほどのフィルムの多くは、基地建設予定地周辺での建設機材搬入に対する住民の座り込み、また業者をガードする警官とのトラブルを写していますが、そんな中でチェジュの美しい自然の風景があちこちで見られました。 またパンソリなど韓国の伝統音楽や歌なども聞けて、単なるドキュメンタリーの域を越えた、素晴らしい作品になっていると感じました。
済州島は、大東亜戦争の時は日本帝国軍が駐留し、朝鮮戦争がはじまってからは、北のパルチザンなどが南下してくる中で、混乱の中で多くの住民が虐殺されたそうです。
日本へ逃げた住民もいたようですが、日本軍や日本企業に徴用もしくは強制連行され日本に来た朝鮮人、商売をあてこんで日本に来た朝鮮人などなど、在日になった理由はいろいろあるわけで、それを一括りにして在日特権を許さないというヘイトスピーチは全く根拠がないのです。
朝鮮内乱後の四三事件の時は、針金で手足をしばられた死体が対馬にしばしば流さついたそうで、2009年対馬に渡った時、対馬の住民からその時の様子を聞いたことがありました。 当時、役所は何もしないので、住民がそういった遺体を荼毘に付し、墓地に葬ったそうです。
そんなチェジュにあって、1600人ほどの地域住民のうち、金で故郷を売ったと思われる80名ほどのごく一部の住民が建設に賛成したということを根拠に、韓国政府は建設を強行しているとのこと。
反対派住民が司法に訴えても、裁判所は政府に迎合した判決しか出さない。 そして反対住民を逮捕勾留し、さらに賠償金を要求するなどして、反対活動の弱体化を図っているのです。
山口県祝島に予定されている上関原発に対する地元の反対運動、そして沖縄の辺野古など、日本でも地元を売る住民と生活圏が脅かされると反対運動を展開する住民と二分させて、その混乱のうちになにがなんでもやり遂げてしまおうという政府や大企業の思惑が見られます。
韓国も日本も、地元を混乱に陥れ、昔からえいえいと続いて、将来の子孫に残すための自然環境、住環境を率先して壊しているのが、政治家や財閥に代表される権力そのものと言えるのです。
福島原発事故に見られるような原子力をも含め、人間社会にあってはならないものに対する拒絶活動はそこかしこで起こすべきでしょう。 法を犯すわけにはいきませんが、ゲリラ戦法が考えられるのは市民の特権でしょう。
上映後、制作されたチョ・ソンボン監督とのトークと質疑応答。もう少し通訳に長けた方がおられれば、参加者の質問の意図が正確に監督に伝わっただろうし、監督が話された事の意味も分かったことでしょう。 そんな所がちょっと残念でした。
それと今の韓国は北朝鮮との休戦状態にあるということで、一見平和と見られる日本とは政治や社会状況が異なるということでしょう。
「クロムビの歌を聴け」という映画に合わせまとめられた書籍が販売されていましたので、早速購入しました。
映画の中でもしばしば登場しましたが、カトリック教会の司祭達も住民の反対活動に参加し、工事現場での座り込みやピケ、ミサをたてることもしばしば行っているそうです。
警官が排除行動をする中、へニョン(海女)と思われる太ってるけどバイタリティー溢れ、元気に声を出し俊敏に動いていた女性(映画の中では警官やガードマンが直接阻止できないよう、上着を脱いてブラジャーだけの姿になっていたのでした)、そして、長い白ひげをはやしたお爺さんの姿が目にとまりました。
このお爺さんは、カトリック教会の現役の司祭だそうで、「イエス様は路上の人」であったと、「路上の神父」を実践している由。 確かに、大きな教会・寺院や金ピカの祭壇に神様や仏様がいるとは到底思われません。 「アカの神父」とか「「暴力司祭」などと揶揄されることがあるようですが、貧者の中にこそ神がいるという、この文正鉉(ムン・ジョンヒョン)司祭の姿そのものが宗教者の姿であると確信しました。
大阪・釜ヶ崎で日雇い労働者の救済に奔走されている本田哲郎神父、またソウル市内のスラム街であった清渓川(チョンゲチョン)流域で惜しみなく援助をおこなっていた日本の牧師さん、そういった方々に触れると、まだまだ人間は捨てたものではないと、元気が湧いてくるものです。
昨年10月、チェジュ平和祭が催され、日本と韓国の市民が集い、その時に上映された本映画を日本でも自主上映しようと組織づくりがされたそうです。
あの時、もし行っていれば、チェジュの別の面を早いうちに知ることができただろうにと、参加しなかったことに残念な思いをしています。
と言うのは、チェジュには、スペインの巡礼路カミーノに似せた道オルレ(オレッキル)があり、2009年11月にここを歩いたことがあるからです。
親しくなった韓国のご夫婦が案内してくれたのですが、その方達は一部歩いているからと順路通りでなく、8番目辺りから歩き出しました。
カンジョン村の基地建設は2007年から始まっていたとのことで、その場所はオレッキルの7番目近くだそうで、友人はその場所を見させたくないため、あえて避けたのではないかと分かったのでした。
カンジョン村の沖合に虎島、少し離れて森島があるようです。
以下に、その時の写真を残しておきます。
1800年代、布教に出かけた韓国人司祭の船が難破した場所だと、メモリアルの教会がありました。
韓ドラの時代劇で見るような刑場の諸々が展示されていました。
当時難破した船を復元したそうです。
チェジュは蜜柑の産地で、歩いていると農家の方が持っていけと沢山の美味しい蜜柑をくれます。 その蜜柑から作った蜜柑マッコリ。 普通のマッコリの倍の値段ですが、それなりに美味しかったと記憶しています。
あちこちにトルハルバン。
イルチュルボンでは肝心の日の出が見られませんでした。
牛島(うと)という小島へ渡ったのですが、そこの水にやられて下痢、体調不良となってオルレ歩きを中断してしまいました。
0 件のコメント:
コメントを投稿