初女さんのことを知ったのは、「地球交響楽(ガイアシンフォニー)二番」 。
初女さんは、日本人が営々と生き歴史を積み重ねて来れたのは「ご飯と味噌汁」があるからで、「人と人との縁」を大事にしたいと、初女さんのおにぎりは、おにぎりと言わず、「おむすび」だと仰っていたそうです。
2002年、家内はこのイスキアを訪ね、初女さんのお話を聞き、「初女さんのおむすび」を教えていただいてきました。
20年を越えた今でも、私達は外出で食事時間にかかる時は、この「おむすび」を持って出かけることがあります。 「穀ちから」というのでしょう、初女さんのおむすびは、ご飯茶わん一杯で作るので、かなり大きいし、私などは一つでお腹が満たされてしまいます。
小林一茶は、柏原(信濃町)と江戸の間を、一日に10里(40kmほど)という早さで歩いたそうですが、その源はお米であったそうです。
昨今、高齢になられ講演もたびたびで、イスキアでの教室は申し込んでも数年待ちになっていたそうです。
弘前城の桜の再生に、ご主人の又一さんが大変な努力をされたものの50代で先立ち、一人息子さんも早世されたようで、昨今、テレビや誌面などで見られた初女さんの姿は、大変なご苦労や悲哀の陰に生まれたもののようです。
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