さて、今日は、2000年もの昔に、キリストが生まれたというクリスマス。 12月25日という日付が確かな生誕日なのか確証はないらしいです。
それでも24日の晩には、教会で礼拝やらミサがとり行われ、祝の言葉を互いに交わします。 昨夜、国際村の野尻湖畔でも、ロウソクを片手に村内をめぐりクリスマス・キャロルを歌い、「メリークリスマス」と祝い合う一団に会いました。
しかし、牧師さんや神父さんの中には、「人間の罪を贖うためにキリストは生まれ、人間の罪により十字架に磔られた」のだから、「メリークリスマス」ではなく「苦しみます」の日だとおっしゃる方が居ります。
プレゼントを交換したり、豪華な食事会を開いたり、何日も前に作られ冷凍保存されてきたケーキなどを食べるという、商業化されたクリスマスが主流となっている今日、キリスト生誕の意味を考える人はほとんどいないのでしょう。
信濃村教会の牧師さんからこんなことを聞きました。
イスラム世界など中東の話題の中で、「シャーローム」とか「サラーム」という言葉をよく聞きますが、ともに「平和」という意味だそうです。
そして、キリストが生まれた地であるエルサレムという町の名前は、この「シャーローム」に由来し、「平和の町」という意味。
しかし、当時は「パックス・ロマーナ」の時代で、ローマ帝国による平和が築かれていました。 第二次世界大戦後、「パックス・アメリカーナ」と盛んに言われるようになり、「アメリカによる平和」「警察国家としてのアメリカ」ということでしょう。 しかしアメリカは自己の利益、石油などの資源を得るために戦争をしかけ、そういったことから中東は混乱を極めているのです。
欧米での難民問題、極右台頭、テロ勃発、そういった一連のものは、過去の帝国侵略、植民地政策の結果であって、欧米人はそのツケを今払わされているのです。
日本の軍隊が中東やアフリカに出かけるのも、特にアメリカを富ませるためであり、さらに地域紛争に拍車をかけ、混乱を生み出すだけの所作にしかならないのです。
クリスマスが、「苦しみます」の日であることは、2000年を経た今日にあって何も変わっていないようです。
中学生の時、二学期終了日にクリスマス会が催され、その頃からクリスマス・キャロルを知り歌うようになりました。 色々な歌手が歌っていますが、それらを聞くと一時心が和むことができますね。
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