当面の公開予定の映画館は、Facebook・三浦綾子原作「母 小林多喜二の母の物語」に掲載されています。
制作 現代ぷろだくしょん 監督 山田火砂子
三浦綾子さんの著作「母」では、秋田弁か津軽弁か分かりませんが、お腹の中から絞り出すような東北の訛り言葉で、、多喜二への母の愛しみ溢れる語りの出だしであったと記憶しています。
身売りされた幼馴染を助け出すほどに優しい心の持ち主であった多喜二が特高警察により囚われ、何故死ななければならなかったのか、その不条理を朴訥として語っているのです。
多喜二の遺体を囲む写真がこちらのページにあります。
「昔、日本の警察は人を殺してたんです」
そして、Youtubeには北海道放送の番組と思われる映像が残されています。
「いのちの記憶 小林多喜二29年の人生」
因みに、小林多喜二のお墓は、小樽市の奥沢という地域の道路に並行した傾斜地にある墓地の一角にありました。
小林多喜二を殺害した、戦前の特高警察の流れを汲んでいるのが、戦後の思想警察あるいは公安警察であり、検察でしょう。 都市圏で実施される「原発反対」や「安保法制反対」などの集会やデモの周囲には、往々にしてマスクをした一般人姿の(しかも人相の悪い)人物がいて写真を撮ったりしていますが、そういう輩が公安なのです。
時には、体勢を糾弾し、流れをリードするような人物には、公安警察にかかわる人物がわざと転んで、警察官に暴力を働いたと逮捕したり、また痴漢などの冤罪事件をでっち上げているのです。
福島県知事であった佐藤栄佐久さんや植草一秀さんの事件などを精査すれば、ヤラセであったと素人でも何かきな臭いものがあると感じることができるのです。
沖縄・辺野古の米軍基地埋立工事に反対してこられた山城博治さんは10月17日に沖縄県警に逮捕されてから、次から次へと罪状を変えては勾留を継続し、今現在も検察に送られずに刑務所にいるようです。
沖縄県警というか安倍政権の意向なのでしょうが、山城博治さんという一人の人間の人格、人間性を破壊し、関係の反政府運動を沈静化させようと企んでいると思われます。
現代では、まさか小林多喜二を殺戮したと同様のことはできないでしょうが、生命を奮わなくても人身攻撃、人格破壊を、そして狂人にさせることも考えられるのです。
そういった公安の企みを抑えるためには、やはり一人ひとりが声を挙げ、FacebookやTwitterで、その不条理を訴えることが大事だと思うのです。
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