24日、柏原の明専寺本堂で、「終北山明専寺開山800年記念ライブ」と銘打った、坂田明さんの水晶の詠トリオの演奏を聞いて来ました。
パンフレットには「無量音 Infinty Sound」と印刷され、その Infinity は「無限大、無限の広がり」を意味しているそうです。
そういえば、本堂の正面には竹竿で作ったと思われる無限大マークを設置。
これも説法?
知り合いと歓談している間に、会場である本堂正面にはたくさんの観客が座り、敢え無く端に座るしかなく、坂田さんを正面から見る(拝顔)ことができず残念でした。
しかし、本堂の中より、外で聞いている方が良い音になっていたそうです。
まず始まったのは、笙(しょう)や篳篥(ひちりき)など雅楽の演奏と称名。
「称名」の意味もわからないまま30分ほど聞いてから、坂田さんの演奏が始まりましたが、端からメロディーのない即興曲。
私の息子の一人は学生時代から音楽を趣味にしているのですが、その音楽とは「ヘビメタ」。
齢半世紀を過ぎているのに、海外の演奏家がやってくると万難を排して演奏会に出かけているのですが、我々には騒音にしか聞こえない演奏になぜ没頭するのか分かりません。
坂田さんの演奏の最初から、息子の音楽嗜好と共通するものがあるのだなと感じた次第です。 因みに、坂田さんの音楽はフリージャズというそうで、フリージャズとは、
1.音階からのフリー
2.コード(もしくはハーモニー)からのフリー
3.リズムからのフリー
と定義されているようです。(出典:フリージャズとは何だ?)
それでもノイジーな曲の間に坂田さんのトークを聞いていると聴衆を和やかにしてくれるものがありました。
そして最後の演奏は定番の「ひまわり」で、やっとメロディアスな曲が聞けて安堵。
(「ひまわり」は、ソフィアローレン、マルチェロ・マストロヤンニが主演した同名の古い映画)
一番感じたのは、ベトナム戦争時に作られた谷川俊太郎(詞)・武満徹(曲)の「死んだ男の残したものは」で、坂田さんの腹の底から思いの限り絞り出すような声に感じるものがありました。
演奏を終えてからは、坂田さんのこれまでの活動を収録したCDや書籍の販売会。
私は、坂田さんの「ミジンコ学」を学びたいと、「私説ミジンコ大全」を購入。 坂田さんの演奏を収録したCDが添付されており、”比較的聞きやすいCDだよ”というオススメもあって買いました。 確かに聞いていて疲れを感じないCDでした。
そして、「死んだ男の残したものは」をもう一度聞きたいと、収録されているCDも購入。
最後に、You Tubeを色々検索していたらこんな音源がありました。 ちょっと面白そうなので記載しました。 「角さん」を彷彿とさせるものがあります。
◯坂田明 「元総理と鍵盤の対話」ー 20人格
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