昨年11月に長野で、映画「沖縄 うりずんの雨」を見ました。
そして、12月26日に若里文化ホールで、
に参加し、石川文洋(報道写真家)、伊波俊男(信州沖縄塾)、親里千津子(沖縄戦語り部)、具志堅進(松本協立病院長)、曽我逸郎(中川村村長)、茅野實(元八十二銀行頭取)、野地道子(沖縄を感じる会代表)氏らが、今沖縄が置かれている現状を、そして辺野古基地の拡充工事が周辺の海の自然を破壊しつつあることなどを述べておられました。
特に、自民党所属でのちに離党された衆議院議員仲里利信さんのお話に誘発され、70数年前からあまたの苦渋を強いられてきた沖縄の現状に触れることは、日本人として大事なことではないかと認識し、沖縄へ行かなければという思いが膨らみ、先月はじめて沖縄へでかけて来ました。
そんな沖縄への旅を記そうと思っていたら、4月になってこんな記事が飛び込んできました。
実に残念です。
辺野古基地の拡充は、普天間基地の代替と言われてますが、基地増設は辺野古周辺の大事な海洋環境が汚染されるばかりでなく、当初普天間基地の機能縮小や土地返還などが約束されたもののようですが、そうとも言えない現実が明らかになっているのです。
アメリカ軍も日本政府もその時の都合で方針を変えることは明々白々で、周辺住民が疑念を持って基地反対闘争で出ているのは当然のことなのです。
3月下旬、はじめての沖縄は大変寒かったです。
昔、「南の島に雪が降る」という舞台あるいは映画があったように記憶していますが、今回、沖縄本島のどこかで40年ぶりにヒョウが降ったとどなたか話されていました。
それだけ「南の島」ではなかったのです。
島ぐるみ会議というHPをネットで見つけ、毎日沖縄県庁前から辺野古テント村を往復するバスがあるとのこと(年末年始を除く毎日)。
9時半、沖縄県庁前集合(モノレール駅側、国際通り入り口)。
当日の参加者は20数名で、会費千円、弁当350円を支払い、用意されたバスに乗り、本日の予定、辺野古の状況などの説明を受け、高速PAで休憩して11時頃現地に到着。
テントの中に入り、話を聞いたり、また掲示物を見たりして学習。
午後からは漁港に降りて、こちらのテントでも辺野古における工事の変遷を聞き、基地との間を隔てている金網から基地内を見ましたが何も見えませんでした。
時々、米軍の兵士輸送の大型トラックや水陸両用車が出入りすると、皆プラカードを掲げて「基地は要らない NO BASE」の怒号。
国と沖縄県が裁判所の和解案を受け入れたと、工事が中止となっていたため、総体としては静かでしたが、海からカヌーで入ろうとした人には、海上保安庁かマリーンセキュリティの船が牽制のため近づいていたようです。
3時過ぎて、一日の終わりの定例行事なのでしょうか、座り込み参加者が正門入口で輪になって、歌やシュプレヒコール。 正門では綜合警備保障ALSOKの職員が出入りする車の整理をしていましたが、お互い関わりを持たないよう、(それぞれの行動を尊重?しながら) 、やや離れた所では、サングラスにマスクをした警察官が時にビデオカメラを抱え立っていました。
4時半頃我々はテント村を去り、出発地の県庁前に5時半に帰って来ました。
代表の方は、明日一番の飛行機で東京へ向かい、代々木公園などで予定されている集会などハシゴされる由。
基地前座り込み628日目、漁港では8年+4359日目の座り込み。 台風など強風でテントが飛ばされることもしばしばあるとのこと。 テント近くにはトイレもコンビニもないので、日焼けした漁師さんであろう方が札をかかげながら行き来し、車でその場へ案内をされていました。
1600年代、薩摩藩は沖縄(琉球)に人頭税を課し、第二次大戦時には日本軍により、敗戦時には自決強要、敗戦後はアメリカ軍駐留による混乱、アメリカ兵士よる犯罪・レイプ事件など、400年にも亘って沖縄は辛酸を嘗めてきているのです。
そういった社会環境にあっても、住民の方々が平和を求めている熱意には頭がさがる思いでした。
個人的な印象ですが、
(成人式の時期になると、沖縄の成人は毎年ヤンチャ行動に出て騒ぐとのこと、本土からの圧政に抗する気持ちのなせる業ではないかと、一人合点したのでした。)
テント村でいただいた資料の中に、大成建設を糾弾するものがありました。
大成建設は、辺野古の自然を破壊する工事を一手に受けているそうです。
大成建設のHPでは、
「自然との調和を大切にしながら、より豊かな未来を築くこと。それは私たち、社会共通の願いです。大成建設は、次の世代へと受け継がれていく新しい価値の創造を目指して、これからも真摯な姿勢で事業活動に取り組んでいきたいと考えます。」と挨拶していますが、それはあくまでも建前であって、儲けになるものなら、「自然を潰そうが住民を殺そうがかまいやしない」という、会社の姿勢が窺い知れるのです。
大成建設も、総合警備保障ALSOKも、海からのセキュリティーを請け負っているという㈱マリーンセキュリティーも、どれも海賊行為に等しい行為をやっているとしか考えられません。
沖縄県警、東京から来ているという警察官、海上保安庁を含め、彼らは住民の安全や平和な暮らしについて考えているのでしょうか? 上から命令されるだけでただ動くだけの働き蜂になっているのでしょう。
働き蜂はやがて死に、女王蜂だけが生き残るのです。
かつて特高で威張って意気がっていた人達は、戦後惨めな生活を余儀なくされていたそうです。 使われるだけの仕事であることを、今辺野古周辺で、”警備”と称して働いて人たちは悟ってほしいものです。
反基地活動をしながら、こんな替え歌を歌っているんですね。 心根の強さを感じます。
自動車などに貼るラベルを購入。
いろいろ撮った写真を載せましたが、曇天で光がなく、どれも暗い写真になってます。
県庁前にて
テント村到着
沖縄県警、東京の警察官、海上保安庁職員による残虐行為の写真展
兵士をのせたトラックが基地を出て行きます。
漁港にて
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