1970年代、ポルポト政権によって多くの粛清が行われ、知識人は不要だと大量虐殺があったカンボジアで、亡命者がたくさん出て、その一部が日本にもたどり着いたとのことで、親を亡くした子どもたちを里子として預かる人はいないですかと、後藤神父が教会員に投げかけたものの、誰も手を挙げる人がおらず、結局、自ら難民を里子として預かるようになった由。
1981年から預かった子どもたちは成長し、ポルポト政権が弱体化する中で、帰国し、荒廃した国の現状から、子どもたちを育てる学校が必要だと、後藤神父に相談し、学校作りの活動が始まった由。
現在、カンボジア各地に19の学校が作られ、20番目の要請があるものの、後藤神父86歳(現在89歳)という高齢のため、即断できないでおられるようです。
(予告編)
映画「father」公開に際し、後藤文雄神父インタビューがYoutubeにアップされています。 聞き手は、清瀬教会伊藤淳神父。 44分ほどで映画では語られていないことも。
1980年代というと、当方は仕事人間になっていたし、子供を育てる時期でもあったので、神奈川県大和に難民の受け入れ組織(かながわ難民定住援助協会?)があることは知っていましたが、神父さん自ら里親になっていたことは知りませんでした。
日本の敗戦後、中国からの日本人引揚者の子どもたちを中国のたくさんの人たちが預かって育ててくれたそうです。 韓国では朝鮮内乱や軍事政権による粛清で多くの人が亡くなり、孤児が増えたことで里子として預かる、あるいはアメリカなど外国に里子として出すなどの社会認識が生まれたようです。
翻って日本を見た時、他人の、それも外国の子供を預かるという発想を持つ人は大変少ないように思います。 我が家では、かつて日本に留学してきたアメリカの高校生を2ヶ月預かったことがありますが、自分たちの生活に異質な存在を容認することになるし、また、伴う金銭の支出が増えます。 1ヶ月とか2ヶ月であればどうにかなりますが、1年2年とかなると、なかなか難しい物があります。
言葉の壁から始まって、ものの考え方、生活習慣などなど、違いに慣れるには相当の時間と忍耐が必要となるでしょう。
特に紛争地からの難民は想像できないような体験をしているであろうし、映画の中でも、ポルポト政権下では、話すことを禁じられていたと、預かった当初は里子は何も喋らなかったという場面がありました。
そんなこんなで、我が家では、以後、フィリッピンのスモーキーマウンテンの子供たちなど、時々、わずかながらカンパを送るだけになっています。
後藤神父の活動に際し、カトリック教会などからの組織的バックアップはないと、個人と賛同者による支援であるらしい。 そこに宗教が存在する意義を感じます。
日本の多くの新興宗教は、集金や覇権に拘泥するものであって、仲間内は大切にするものの、退出者には村八分、他者の存在を考えることはないのです。 特に政権に寄り添った右翼思考の宗教組織は、利権集団そのもので、ヤクザと同様かそれ以下でしょう。
ダライ・ラマ法王が日本で講演される時、「利他のこころ」をよく話されます。 「他者に良くしなさい」という意味で、今の日本人に一番欠けているものではいかと感じます。
さて、権堂商店街にある相生座ロキシーでは、今月は日本に原発を落とされ連合軍に敗戦した月ということもあるのでしょう、意味のある映画が多く上映されるようです。
・ 原田要 平和への祈り 元ゼロ戦パイロットの100年
(予告編)
原田要さんについては、2015年12月に、「ひとりひとりの戦場 最後の零戦パイロット 〜 99歳の元零戦パイロットが語る太平洋戦争の真実」という映画を見ています。 こちらはその予告編。
原田要さんはすでに亡くなられたそうですが、Youtubeの映像を見ていたら、次の映像が掲載されています。
◎NNNドキュメント「ゼロ戦乗りの遺言~真珠湾出撃 原田要の肖像~」 16 12 11
・コスタリカの奇跡〜積極的平和国家のつくり方
軍隊を廃止するまでにいたるコスタリカの状況をアメリカの監督が写したもので、憲法9条で軍備を持たないとしたている、先人の筈の日本が見習うべき国であろうと思いますが、私自身は、今年3月、東京の上映会で見ています。
・ゲッペルスと私
・返還交渉人
1972年、米軍の”理不尽な占領”と闘い続けた外交官がいたと、沖縄返還の舞台裏を画いた映像とのこと。
(予告編)
これも見たいなぁ〜 イ・ビョンホ出演「天命の城」
久しぶりに出かけた相生座ロキシーですが、これからも良い映画を上映するようですね。
私が行った時、ロビーには、70数年前の戦争にかかわる大東亜共栄圏の地図や戦闘機の図柄の浴衣?などなど当時を思い起こさせる掲示がありました。
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