日曜日の朝、何気なくテレビのチャンネルを回していたら(この表現も何か隔世の感があるな!)、「題名のない音楽会」という番組の終了間際で、若い日本人の演奏家とケニー・Gというサックスプレヤーとのデュエットで、"moment"という曲が流れていた。
(ケニー・Gは、息子と最初で最後に演奏会に行ったプレヤーでもある)
その若い日本人が演奏しているのは「尺八」なのである。 深みのある優しい音色がすぐに響いてきて、何という名の演奏家であろうと、テロップを凝視。 「藤原道山」という名前を初めて知ったのである。
「題名のない音楽会」について少し述べたいのだが、長く司会をされていた「黛敏郎」(思想的には相反する端にいた人物だが)の類まれなる知識や能力がこの番組を崇高で格調高いものにしており、日曜日の朝の番組として大変楽しみにしていたものだった。 しかし、亡くなられてから司会者が変わるものの、あれほどの格調さがなく、通り一片の音楽番組になってしまったのが残念だ。
さて、東儀秀樹さんとか、上妻宏光さんなど、和楽器を我々の身近なものにしてくれた演奏家は多いものの、ゆっくりと、しなやかに、心に響かせてくれる楽器が、この藤原道山さんの尺八なのであろうと思ったわけだ。 確かに、ケニー・Gが演奏するソプラノサックスやフルートなど西洋の木管楽器も綺麗で華やかな音色ではあるが、竹であろうか自然界で育ったものを材料とする尺八は、ふくよかで深みのある音色を聞かせてくれていると云っていいと思う。
たぶん、オシロスコープにかけたら、西洋楽器は単一な正弦波のような波形、尺八はいくつもの波が重なったような波形を示すのではないか。 そんな所に音色の深みがあるのではなかろうかと思う。
加え、尺八にはリードという音源がなく、強いて云えば道山さんの唇とうことになり、彼の演奏の素晴らしさは尺八という楽器としての特性だけによるものでないことがよく分かる。 ということで、早速、藤原道山さんの最近のアルバムCD「夢」と「空(くう)」を購入して聞いた。 やぁ、何とも素晴らしい演奏で、特に 「空」や「琥珀の道」などじっくり聞きたい曲である。
と、ここまで「黒姫高原」のカテゴリーに書いてきたのはわけがあるのである。
昨年8月21日に、野尻湖の琵琶島で、大鳥居竣工記念コンサートがあって、ギタリスト辻幹雄さんの11絃と6絃ギターのソロと松尾慧さんの篠笛・龍笛・能管とのデュエットを堪能した。 今年も同様の演奏会があるのか知らないのだが、藤原道山さんの演奏を琵琶島の宇賀神社の杜で聞きたいのである。
夏の喧騒が過ぎ去り、秋風がそよぐ杜の中で、彼の尺八の音色が聞けたら、どんなにか素晴らしいだろうか。 自然の中での共生感がよみがえり、悠久の世界の中での自分の存在が誰でも実感できるのではないかと思う。
今、信濃町では、"癒しの森"と称した事業を展開し観光の柱の一つにしている。 この事業の内容について全く知識を持ち合わせていないのだが、一般的な"癒し"にはイージーゴーイングな安っぽさが感じられて仕方ない。 "癒し"というのは、単に"ゆったりする"とか、"ホッとする"というものではなく、自然界との一体感 → 時空を越えた自分という存在感 → 生きていることの確信 そういった流れで心の確信を得て、日常の生活に戻ることではなかろうか。 そういう手助けをしてくれるのが、藤原道山さんの尺八であり、宇賀神社の杜であると思うからである。
最後に、藤原道山さんのCDは、レコード店(CDを販売しているのにレコード店とは?)の邦楽の棚にはなく、"癒し"とか"ヒーリング"と書かれた棚で見つけたのであった。 藤原道山さんのサイトではリリースしたCDに収録されている曲の一部をインターネットで聞くことができる。 ぜひぜひ皆に聞いてほしい。
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