しかし、野茂英雄投手だけは違う。 彼のことが気になるのは、一つには彼の容貌とか風貌というのが、自分の息子によく似ているということである。
そういう身びいきもあるが、誰でも言うように、彼はメジャーリーグへの日本人としての先駆者であると同時に、調子の良い時も悪い時も寡黙で、ただひたすら自分の目標に向かってしっかりと自分の歩みを進める姿勢を崩さないからである。
200勝という金字塔すら彼にとっては通過点に過ぎないのである。
鈴木一朗や中田英寿も然り。 武士道というか、何百年何千年と息づいてきた日本人の精神性、あるいは一種の宗教性すら示しているからである。(NHKのラジオ番組に「ラジオ深夜便」というのがあるが、その番組の中で、ある宗教学者がイチローの後姿に宗教性を感じると述べていた)
ただパワーだけの選手をヒーローと見ていたアメリカ人も、野茂やイチローからより深い精神性を持つ日本人のスポーツ選手に開眼したのではないかと思う。
そのような理由で、アサヒ・コムに記載された 「凡打の山、野茂粘って金字塔 経験武器に打たせてとる」2005年06月16日16時43分 という記事を転記した。
「凡打の山、野茂粘って金字塔 経験武器に打たせてとる」
苦しんだ末の日米通算200勝だった。
決して調子は良くなかっただろう。1回、先頭のクラークにど真ん中の直球を左翼席に運ばれて、先制点を許した。その後もボールが先行し、野茂は低めへの制球に苦しんでいるように見えた。
だが、メジャーでの先発がこの夜で313試合目を数える右腕には経験という武器がある。
無失点に抑えた3回から7回まで、1イニング平均の投球数は9.8球だった。打者有利のカウントで凡打を誘う。1点を勝ち越してもらった直後の6回無死一、二塁では、カウント0―1から3番オーバーベイを二直で一塁併殺にしとめて、勝機をたぐり寄せた。
かつて奪三振数を誇りながら、肩とひじの手術を経て球威が衰えた今は、1球でアウトをとるすべを身につける。この夜、三振はわずか2だったが、積み重ねた凡打に価値があった。
日米通算200勝は、日本人選手のメジャー進出に道を開いたパイオニアが新たに切り開いた新世界だろう。だが、野茂はそんなことに頓着しない。「区切りの目標はない。とにかく次の試合を勝てるように投げていく。それだけです」
メジャーで長くやる秘訣(ひけつ)を聞かれた時はこう答えた。「(日米通算)15年しかやっていない僕からアドバイスは出来ない。もっと長くやられている人が日米でいる。僕はそれを目指している」
その姿勢を貫くからこそ到達した金字塔であり、通過点だった。
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