そして、今朝7時49分頃と8時40分頃に再び虹が見えていましたが、先日と同様にタイミングが悪く間もなく消えそうな虹しかみられませんでした。
さて、先月、黒姫へ移動する際に、山梨県北杜市にある浅川伯教・巧兄弟資料館を訪ねて来ました。 この7月に、映画「道 白磁の人」(韓国語タイトルは、「白磁の国に生きる」のようです)を見て大変感銘を受け、主人公の浅川巧が生まれた地をたずね、その偉業を顕彰している資料館に行ってみたいと考えていたのでした。
浅川伯教・巧兄弟資料館は、北杜市の生涯学習センターの建物内にあり、中央高速道の長坂インターで降りて、料金所前の交差点を左折し、10分ほど道なりに走行していると、左手に広い駐車場が見えて来るという分かりやすい所にありました。 センターは広い駐車場の奥に、一段高くなった所にあり、建物前にも若干の駐車スペースがありますので、空いていれば坂道を歩かない分楽でしょう。
センター本館の右手が図書館で、資料館は左手にありました。 12月24日までは本映画製作に関連してメイキング展が併設されています。
展示を観たあと、資料館で購入した書籍は、椙村彩著「浅川巧 ー 日韓交流のさきがけ」で、著者の椙村さんは中学二年生の時に浅川巧に出会い、その人物像に惹かれ研究をすすめノートにまとめていたら、その内容がすばらしく、一冊の本として完成されたものとのことです。 著作を山梨県内の中学高校にも寄贈されたそうですが、浅川巧について中学生にもわかりやすく書かれており、巧の人となりがおおかた理解できる書となっています。
日本帝国による朝鮮併合がすすめられる時代にあって、浅川巧が、彼らの言葉を話し彼らと同じ生活をし、彼らと共にあることを望んだのはメソジスト教会の信仰を持っていたことも要因の一つでであったことでしょう。 また、白磁や台所の木製道具などを収集する中で、朝鮮民族の能力の高さや尊厳を見出し、少しでもそこに近づこうとしていたのではないかと思われます。
その思想は、東アジアの平和を願った安重根らの思考にも共通するのでしょう。
椙村さんの著作の「巧の死」の項から一部抜粋
浅川巧の死に際し、当時京城帝国大学教授であった哲学者安倍能成は「浅川巧さんを惜しむ」と題する次の文章を書きました。
巧さんのやうな、正しい、義務を重んずる、人を畏れずして神のみを畏れる、独立自由な、しかも頭脳が勝れ、鑑賞力に富んだ人は、実に有難い人である。 巧さんは官位にも学歴にも権勢にも富貴にもよることなく、その人間の力だけで堂々と生きぬいていった。 かういふ人は、よい人といふばかりでなく、えらい人である。 かういふ人の存在は、人間の生活を頼もしくする。 かういふ人の喪失が、朝鮮の為に大なる喪失であることはいふまでもないが、私は更に大きくこれを人類の喪失だといふに躊躇しない。 人類にとって、人間の道を正しく勇敢に踏んだ人の喪失ぐらゐ大きい損失はないからである。巧という人物を称賛する最高の言葉でしょう。 官位、学歴、権勢、富貴に溺れているのが、今の政治家を筆頭に、我々のほとんどがそうだと言えるからです。
浅川伯教・巧兄弟については、高崎宗司さんという方が、「朝鮮の土になった日本人 ― 浅川巧の生涯」を著されて広く知られるようになり、さらに江宮隆之さんの小説「白磁の人」をもとに映画が製作されたようで、この二著ともにあらためて読もうと思っています。
資料館でいただいた資料の中に、「浅川巧の足跡と映画撮影地を訪ねる旅」の案内があり、平日4日間のツアーを4月から開催していると、この11月の実施は8回目のようです。
既に申し込み期限が過ぎており時機も合いませんので、次回ソウルを訪ねる機会がありましたら、浅川巧が眠るという忘憂里共同墓地に参りたいと思います。 資料によるとソウル市内ですので半日もあれば墓参は可能なようです。
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