お知らせ

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*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱、ウソ箱ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。





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(間もなく参議院議員選挙がはじまります。)
25年デフレが続いている日本で、自公政権は国民の生活を一顧だにせず、消費税に見られるように搾取を続けています。 彼らは与党政治屋や大手企業経営者の栄華が維持されれば良いと思っているのです。 一般市民が現状をよく見定めて、我々の生活の底上げを真面目にしてくれる政治家を選ぶ必要があります。
自民党、公明党に加え、彼らの補完勢力である、維新、国民、参政党などにも騙されてはなりません。 頼りないですが立憲、共産、社民、れいわ新選組の候補者の中から選びましょう。

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2009年5月3日日曜日

「チベット2002~ダラムサラより~」を観る

チベットウイーク

 先日、「善光寺でチベット犠牲者の法要が行われた」と記したが、その記事を書く中で、このゴールデンウイークにかけてチベットにかかわる催しが長野であることを知り、今日は「チベット2002~ダラムサラより~」という映画を見てきた。
 映画そのものは、現在のチベットが抱える問題を簡潔に紹介しているものであったが、上映後本映画を製作された岩佐寿弥監督と上田市海禅寺の飯島俊哲さんのトークショーを聞くことができ、チベットの現状やチベット人の性格などを知りなかなか感ずるものがあった。

 岩佐監督は、モウモチェンガ(満月ばあちゃん)という映画製作の過程で、本日上映された「チベット2002~ダラムサラより~」を付属的な存在として作成された由。 映画制作の過程の中でチベット人の心に深く感銘を受け、8年前の2001年に製作されたものなのに、いまだ古さを感じられないフィルムに残念な思いがすると話されていた。
 要は、中国政府のチベットに対する政策が何も改善されていないということ。 高給でチベット人を警察官や刑務官に雇い、反体制運動を行ったとチベット人を拘束しチベット人がそのチベット人に危害を加えるという、悲しい連鎖が繰り返されている由。
 僧侶の飯島さんもダラムサラや本国を訪ね、チベット人にある心根に感ずるものがあったとのこと。 雨の中、おばあちゃんが人に踏まれるといけないとミミズ一匹づつ祈りを唱えながら移してあげるとか、日本に駐在したチベット人の両親が子供を日本の学校へ通わせたが虫籠に虫を集める遊びを覚え、小さな生命を籠に集めやがて死なせてしまう遊びに疑問を覚え、両親は子供をダラムサラへ返して現地の学校で学ばさせるようにしたという話をされていた。 小さな生命に対する思いが非常に篤いと同時に、親しくなると冗談を言い合い、媚へつらいや自己嫌悪のような気持ちもなく、その純朴な民ゆえにチベットに関わることになった由。 我々がダライラマ法王の笑顔を見、あの優しい声を聞くと、何とも言えない心地良さを感じるが、たぶん同じものがチベット人全体に流れているのであろう。
 飯島さんは29歳という若者で、淡々とした話し方の中に仏教者としての愛情を感じることが出来た。 年寄りは何かと若者の言動を忌み嫌いがちだが、彼のような存在は混沌とした現代の日本社会にあって一つの光明ではないかと思えた。

 2時の開演に、会場を見回すと10数人の観客で、最後には30名ほどになったと思うが、これだけ良い話が聞けて空席が目立つのは非常に勿体無い思いがした。 彼らの活動資金になればと、次回上映されるという「モウモチェンガ」という映画のDVDや紅茶、香を買ってきた。

 明日以降11日まで色々な企画があるようなので、時間があれば再び訪ねてみたいと思う。

大チベット祭 大チベット祭

 会場を後にして休憩を取ったのが、トイーゴ内にあるカンテンパパの喫茶室。 抹茶ぜんざいを食べたが、抹茶の香りと甘さがほどほどで美味しかった。

抹茶ぜんざい

 

 そして善光寺の参詣となったのだが、やはり休日ということで大変な混雑で、前立本尊回向柱には長い列が出来ていた。 内心は、柱に触れて何のご利益があるのか疑問に思ったが、小川村から切り倒したという前立本尊回向柱に使われた太い角材(名称というか、言い方が不明)は実に立派であった。

 

善光寺

 

善光寺

 



2008年4月26日土曜日

チベット族・漢族犠牲者の善光寺法要に出る

今日の暦から : 毎日欠かさず汗ばむ運動



 今日7時から善光寺で、チベット騒動による犠牲者のための法要があるとネットで知り、早朝なので車しか使えないし停める場所にも苦慮するであろうと考えあぐねていた所、昨日であったか8時15分の開始に変更になり電車で長野へ向かうことにした。

 朝一番の電車に乗り長野駅に降り立ったのは7時少し前であったが、中国人とおぼしき集団が大きな赤い中国国旗を振りながら気勢を上げていた。 道路の反対側には、チベット民族を応援する人々(多くが日本人)がFree Tibetの旗をかざし、そんな中に右翼であろうか日章旗を振りながらスピーカーを使い大声を張り上げていたが内容は全く理解できなかった。

 そんな騒ぎに巻き込まれたくはなかったが、心情的にはもともとチベットを応援したくてチベット側にいた所、チベット人であろうFree TibetのA4サイズの印刷物を呉れたので、胸にかざして今日の法要に出るため善光寺へと向かった。 大門へ行く道は聖火リレーの通り道らしく、辻々に赤い旗の中国人がたむろしており、我々に向かい「チャーヨ・チョンゴ - 中国頑張れ」や「One China」と大声を張り上げていた。 こちらはそんな輩に合気するつもりもなかったが、あまりに言われると「中国へ帰れ!」と言いたくもなる。 一人は、「アルバイトしちゃ駄目!」というような意味の言葉を発していたが、そういう言葉の裏には、彼等は中国政府(在日大使館)から日当をもらいながらナショナリティーを高めるために長野へやって来たのかもしれない。 それを裏付けるように、あるブログには、観光業法(?)に違反するような手段で留学生などが狩り出されていると書かれてあった。

��追記: リーダーと思われる中国人が、「あれは日本人だ」と仲間を制する言葉も聞こえた。 そのくらいの中国語はこちらも理解できるのである。 さて、我々の印象を裏付けるように、29日のアサヒコムには官製応援隊の記事が掲載された。→続きへ)
















 やっと境内に入ると、どちらの旗もかざすような姿は全くなく静かな佇まいで、本堂の前ではチベット人と僧侶がチベット語であろうか手を合わせ静かにお経を唱えていた。 彼らの顔からは犠牲となった同胞を想う気持ちが満ち溢れているようで、こちらも静かに手を合わせざるを得ないような気持ちになった。

終わって、彼等は本堂内陣の呼び名が分からないがお経を唱えるお坊さん達が座る場所に座り、内陣の前の方にSFTのメンバー、我々一般人はその後方に座った。

 法要は、チベット族・漢族の犠牲者を供養するというもので、犠牲者の名が一つ一つ名乗られ、そのお坊さんの声が堂内に響いて非常に心地よいものであった。 法要は20分ほどであったが、参拝者は内陣いっぱいになっており、日本人がこれだけ応援している姿に安堵した。

















 法要は、聖火リレーの出発時間に合わせていたのだが、リレーを写すためのヘリコプターがひっきりなしに飛んでおり五月蝿くてたまらなかった。 法要が終わり、はじめての戒壇廻りをして境内に戻った時には、ほとんど参拝客はおらず閑散とした場になっていた。



 今朝の中国人達の騒ぎを見ていて、かつて日本帝国軍が侵略した中国に対し、戦後の日本政府はきちんとした戦後処理をしていないと常々思っていたのだが、我々日本人が考慮するに値する国(民)ではないと思った。

 今朝の姿ばかりでなく、彼等は傍若無人の一言である。 海外で美術館などに行くと中国人のツアー客は順番にかまわず割り込みをするし、回りに遠慮せず大声で話す。 撮影不可という場所でもかまわず写真を撮るし、かまわず何でも捨てる。 知人の会社経営者が少しでも手助けになればとこれまで随分と中国からの留学生を援助してきたが、誰一人として恩義の表明もなく帰国し、それっきり連絡も絶ってしまうという。 中国進出企業が現地採用社員にノウハウを教えると、さっさと辞めて自分の会社を作ってしまうとのこと。 とにかく彼等には規範や義、恩、徳というものがない。

 留学生、観光客、山村の中国人妻など中国人を歓迎しているらしい、今の日本だが、政策の方向転換をしてほしいと思う。 この状態が拡大すれば日本はそのうち中国人に侵略されることになろう。 何枚も舌を持つ胡キントウなどに騙されてはならない。

中国には少数民族がたくさんあると聞く。 チベット民族はその一つであり、海外との接点があるがため中国政府による圧政に疑問を持ったものであろう。 中国政府としては、各地への拡大を牽制するためにより強い弾圧を加えたのであろうが、西洋をはじめ諸外国の反応だけでなく、国内的にも不穏な大きな火種を残してしまったと思う。

 それにしても青ジャージの親衛隊や留学生などの集団を世界に送り込んでいる中国だが、逆に中国がオリンピックを開催するに相応しくない特異な国家であるという印象を自ら発信してしまっているように思う。



 それにしても、今回の善光寺さんの対応は素晴らしかった。 聖火リレーは世界中を巡っているようだが、これまではっきりと判断を示した出発地(国)はなかったと思う。 善光寺を世界遺産に登録しようという動きには少し引っ掛かるが、善光寺は日本人としての誇りであると海外の人々にも訴えたい気持ちになった。

 なお、当方は北京オリンピックも今回の聖火リレーも全く興味も関心もないので、どのように行われたかは知らない。 帰り際長野駅頭で長野市民新聞の号外を受け取ったが、信念も何もない星野のトーチ姿に号外をそのまま捨ててしまった。 夜の報道では、政治の影に市民参加のリレーにならなかったと言っているそうだが、もっと政治的であるべきで、有名人やスポーツ選手の顔が見れたか見れなかったかで価値判断を置くのは何とも情けない。

 最後に、これまで中国という国家とそれを担う中国人を否定するように書いたが、中国人個人を否定するものでないことを付け加えておく。




「聖火応援隊」やっぱり動員 中国当局が旅費負担

  2008年04月29日06時24分  アサヒコム



 【北京=峯村健司】北京五輪の聖火リレーへの妨害を防ぐため、各地の中国大使館側が旅費を負担するなどして、現地の中国人留学生らを大量動員していたことが関係者の話でわかった。「人間の壁」による妨害対策を指示するなど、対処マニュアルも作成。各地で赤い中国国旗を振っていた「聖火応援隊」は、やはり当局主導だった。



 長野市を走った26日の聖火リレーでは、約5千人の中国人留学生らが日本各地から集まった。東京から参加した複数の留学生によると、前日から夜行バスで向かい、1人2千円の交通費を負担したが、残りの費用は、すべて大使館側が負担してくれたという。



 配られたマニュアルでは、(1)聖火が引き継がれる地点にそれぞれ20人ずつ集まって「人間の壁」をつくり妨害者の進入を防ぐ(2)自分たち以外の大人数の団体を見つけたら責任者に報告する(3)不審な物を発見したらすぐに新聞紙や服で包んで排除する、などと書かれている。



 さらに「体を張って妨害を食い止めてもいいが暴力を振るってはいけない」「大声を出してもいいが、相手を侮辱するような言葉は使わない」など、法律やルールを守るよう呼びかけ、現場でも注意されたという。中国のイメージが損なわれないよう配慮していることがうかがえる。



 関係者によると、パリやロンドンで聖火妨害が相次いだため、各大使館が中国人留学生や華僑を動員し、聖火を防衛することを決めたという。オーストラリアのキャンベラでは1万人以上が、アルゼンチンのブエノスアイレスでも数千人の留学生らが動員された。リレーが通過しなかったカナダやニュージーランドなど15カ所でも、現地中国人による大規模な「北京五輪支持集会」が開かれている。



 24日にあった中国外務省の定例会見で、「中国大使館が費用を負担して現地の中国人を動員しているのか」という記者からの質問に対し、姜瑜副報道局長は「そのような質問をして、どんな意味があるのか」と明言を避けた。




韓国、中国人留学生の過激行動に抗議 聖火リレー

 アサヒコム 2008年04月28日23時17分



 【ソウル=箱田哲也】韓国外交通商省の李容濬(イ・ヨンジュン)・次官補は28日、中国の寧賦魁・駐韓大使を呼び、前日にソウルであった聖火リレーで中国人留学生らが過激な行動に出たことに抗議した。韓国ではインターネットで、一部の中国人留学生らの暴力行為も動画で投稿され、反発が広がっている。



 寧大使は、ソウルの聖火リレーが成功裏に終わったことに対する温家宝(ウェン・チアパオ)首相らの謝意を口頭で伝えたうえで、「一部の中国の青年らが過激な行動をし、韓国の警察や記者らが負傷したことに遺憾の意を表する」と述べたという。



 韓国警察当局などによると、27日にあった聖火リレーでは、脱北者3人と中国人1人の計4人が摘発された。中国人は、リレーを阻止しようとした市民団体のメンバーにものを投げてけがを負わせた疑い。ただ、沿道でほかにも不法行為を働いた中国人がいたとの情報があり、ビデオ分析など捜査を続けている。



 負傷者は少なくとも10人が確認されている。機動隊員やカメラマンのほか、ゴール地点のソウル市庁付近でチベット問題の解決を訴えた米国人とカナダ人2人が、中国人留学生とみられる集団に暴行を受け、けがをしたという。



 スタート地点近くで30分にわたって中国人に暴行されたと訴える韓国人男性が、ネットの掲示板に「容疑者らを警察に突き出すため、有力な情報を知らせてくれた人に100万ウォン(約10万円)の謝礼を贈る」と書き込み、話題になっている。


2008年4月18日金曜日

善光寺、聖火リレー出発地を辞退

今日の暦から : 階段使って足腰強化


 一昨日、ウイキリークというサイトに掲載されているチベット人民弾圧写真のことを記したが、来週土曜日に長野で行われる北京オリンピックの聖火リレーについて、今日大きな動きがあり、善光寺境内を出発点にしていたことに対し、善光寺側が辞退を申し入れたとのことである。
 理由として、狭い境内で騒動が起きた場合、国宝や信者を守りきれないということらしいが、チベット仏教僧に対する中国政府による弾圧を見過ごせないという視点もあるようだ。
 やっと日本の仏教寺院がこういう意思を明らかにされたことは歓迎すべきだが、仏教界のみならず宗教界全体がもっと早期に意思表示をすべきであったと思う。
 今日の信濃毎日新聞によれば、聖火リレー応援のため、当日は中国人留学生(?)を中心に2000名が長野に動員されるとのこと。 チベット人民を支援する人々も何らかのアピールを行う行動に出るであろうから、どちらも衝突や暴力を避けたいというものの、ニアミスがあれば一触即発状態になるかもと予想される。
 3月のあの惨状を見て、Free Tibet のゼッケンをつけて善光寺の大門付近を歩く位のアピール行動は自分にも出来るのではと思ったが、2000人という北京オリンピックを応援する逆の立場の人間に何をされるか分からないし、こういう場には制私服の警察官ばかりでなく公安警察もいよう。 決して傍観するわけではないが、挑発行為には無力であり残念ながら26日は君子危うきに近寄らずを突き通した方が良さそうだ。
(追記:青白の服を着た中国人のガードマンが併走するというニュースもある。 結局日本政府は中国の申し入れを飲んでしまったのか? その真意は如何に?)


 続きに、本件に関する今日の紙面を残した。



アサヒ・コム 2008年04月18日13時10分

 (11時頃から数回に渡って書き換えられていたが、これが最終記事であろう)

長野聖火リレー 善光寺が辞退、出発地を変更


当初の聖火リレーコース 26日の長野市の北京五輪聖火リレーの出発式会場が18日、善光寺境内から変更されることが決まった。同寺が同日午前に辞退を申し出て、市や日本オリンピック委員会(JOC)などでつくる実行委員会側が受け入れた。同市のリレーで初の計画変更となり、実行委は新たな出発地の選定作業に入った。


 善光寺と実行委が同日正午過ぎ、共同で会見して明らかにした。同寺事務局の若麻績(わかおみ)信昭・寺務総長は「文化財や信者を守らなければならない。また、チベット人の人権への弾圧が行われていることについて同じ仏教徒として憂慮した」と理由を述べた。


 一方、実行委の篠原邦彦事務局長は会見後、「大変衝撃を受けている。善光寺の総意であれば受け入れざるを得ない。ルートの変更をする必要があるが、最小限にとどめたい」と語った。一両日中に新たな出発地を決める方針だ。


 当初計画では、聖火の出発式・点火式は午前8時から善光寺境内の本堂(国宝)前で開催。聖火は午前8時半、本堂の数十メートル南側にある三門(国の重要文化財)を抜けて市街地に出る予定だった。本番を8日後に控えた時点のルート変更で、県警や実行委の警備計画の変更は避けられない事態となった。


 辞退の背景には、善光寺内に混乱への懸念や仏教徒としてのチベット側への理解があるとみられる。宿坊の住職は「世界中で混乱が起きている状況を踏まえれば、出発地を返上することもやむを得ない」と話していた。


 別の宿坊の関係者は「平和の象徴である善光寺で、厳戒態勢が敷かれたり、万が一、暴動などが起きるようでは困る」と語った。ほかの宿坊の関係者も「世界に善光寺をアピールできるチャンスだった。抗議に負けないように開催できれば良かったが問題が起きると困る」と語っていた。


 一方、3千人規模の警備で備える予定の県警の幹部は「人が最も集まる出発式会場は、警備上最も重視すべき場所。この時期に変更は大変」と困惑する。


 実行委はこれまで、リレー当日は混乱も予想されることから、善光寺の参道への一般客の立ち入り規制を検討していた。それに対して、善光寺事務局は、「参拝客を最優先にしたい」との立場をとっていた。


 ■世界各地で妨害・変更相次ぐ


 3月24日に始まった北京五輪の聖火リレーは、チベット問題をめぐって中国政府への抗議を訴える妨害活動が続き、コースの短縮や走者の辞退などが相次いでいる。


 ギリシャの採火式で抗議活動があったのを皮切りに、ロンドン(4月6日)、パリ(7日)と激しい抗議が続いた。消火器で聖火を消そうとしたり、チベットの旗を掲げてコースに乱入したり。パリでは終盤、聖火がバスで運ばれ、パリ市庁舎での式典も中止に。9日の米サンフランシスコでは、沿道の観客に知らせないまま、コースを変更する事態となった。


 16日のパキスタンでも、当初はイスラマバードの大統領府前を出発して大通りを走るコースだったが、競技場周辺に切り替えた。


 17日にあったインドの首都ニューデリーでは、9キロの予定を2キロに短縮。周辺道路を封鎖して、1万5千人の治安要員を配置する厳戒ぶり。開始時間も直前まで明らかにしなかった。サッカー代表主将や女優らが抗議を示唆して参加を辞退した。


 今後、聖火が向かう予定のマレーシア、インドネシア、香港などでもコースの短縮が検討されている。


 一方、各地で続く妨害活動に中国国内では反発の声が高まっており、フランス製品の不買運動も起きている。




信濃毎日新聞  4月18日(金)

聖火リレー出発式会場を善光寺が辞退 コース再検討へ


 長野市で26日に行う北京五輪の聖火リレーで、善光寺は18日午前、出発式会場を辞退すると決め、長野市実行委員会に伝えた。参拝客の安全やチベット問題などを辞退理由に挙げている。市実行委は、リレー実施8日前にして大きなコース変更を迫られることになった。


 1998年の長野冬季五輪開幕の際に、鐘を鳴らして平和のメッセージを伝えた善光寺の辞退は、日本で唯一行われる北京五輪聖火リレーの意義も問われることになりそうだ。


 若麻績信昭寺務総長ら善光寺の4人が、長野市役所にリレー市実行委員会の篠原邦彦事務局長(市教委教育次長)を訪ねた。善光寺側は、出発式を行う本堂前だけでなく、境内全体をコースから外すよう求めた。


 辞退を伝えた後、若麻績寺務総長は取材に「さまざまな事情を考えて、辞退することになった」と述べ、決定は「善光寺の総意」とした。チベット問題については「五輪憲章には人種、宗教、性別、イデオロギーを超えた無差別、平等の理念があるため」と説明した。


 篠原事務局長は「大変な衝撃。善光寺のスタートというのは大きなものだった。早急にルートは検討しなければいけないが、限りなく現行のルートを変更しないようにしたい」と述べた。日本オリンピック委員会(JOC)、北京五輪組織委員会(BOCOG)に報告するとした。


 聖火リレーをめぐっては、昨年4月に長野市が選ばれ、同10月、善光寺での出発式の後、五輪関連施設などを巡る18・5キロのコースが決まった。善光寺が17日に開いた局議では、チベット人僧侶の弾圧されている問題や、警備上の懸念の声が上がっていた。




信濃毎日新聞  4月18日(金)

長野聖火リレーに中国人留学生2千人動員へ バス40台



 在日中国人留学生でつくる全日本中国留学生学友会が、26日に長野市で行う聖火リレーで、日本各地の留学生ら約2千人が沿道から声援を送ったり、「ありがとう長野、ようこそ北京へ」といったスローガンを掲げたりする計画を進めていることが17日、分かった。


 学友会によると、留学生がいる全国約100大学の学生と日本で働く中国人を対象にホームページなどで参加を呼び掛けている。参加者数に応じて25日深夜、東京都内からバス30-40台をチャーターして長野に向かう予定。電車などで直接、長野入りする留学生もいるという。


 当日は日中両国と五輪の小旗を持ち、希望者にはTシャツも販売して身に付ける。李光哲会長は「平和や友好を願う留学生の思いを伝え、聖火リレーやランナーを支援する目的」と話し、抗議行動や妨害活動があった場合には「衝突や暴力には決して訴えず、対応は日本政府や警察に任せる」としている。




毎日新聞 2008年4月18日 13時48分(最終更新 4月18日 13時54分)

聖火リレー:長野コース変更 善光寺、出発地返上


 北京五輪聖火リレーの国内唯一の開催地、長野市で26日に行われる聖火リレーで、出発・点火式が予定されていた善光寺は18日、出発地点を返上することを市リレー実行委員会に申し入れた。理由について、「チベット人権問題」が一因であることを明らかにした。実行委もこれを受け入れ、コース(全長18.5キロ)のうちスタート地点などを変更することを決めた。一両日中にも新たなコースを公表する。開催まで約1週間に迫った時点で、実施計画の主要部分が変更されることになった。【藤原章博、福田智沙】 


 18日会見した善光寺は、「文化財と一般信者を守る安全上の責任がある」と述べたうえで、中国のチベットへの「弾圧」について触れ「五輪憲章は人種や宗教、イデオロギーを超えた平等の理念がある憲章だと考えている。宗教(仏教)の寺として信者の声をくんだ」と述べた。


 リレーを巡っては、県警と警察庁は情勢次第では3000~4000人規模の警備体制で臨む方針だった。しかし、聖火リレーへの対応を協議するため17日開かれた善光寺の幹部会議では、チベット問題に関する抗議活動や警備問題などを念頭に「出発点の返上を実行委に求めるべきだ」などの意見が出たため返上を決めた。


 善光寺の境内で出発・点火式が行われることは昨年10月に決定。当初は、妨害行為が続く中、混乱を防ぐため、出発式が行われる午前8時から約30分間、見物だけを目的とする一般客の立ち入り規制を検討していた。




読売新聞 (2008年4月18日13時49分 )

善光寺が五輪聖火出発式を辞退、長野市は出発点変更へ



 長野市で26日に行われる北京五輪聖火リレーで、出発式会場に予定されていた善光寺は18日、市に対し、「一般の参拝客への影響が懸念される」として、会場の辞退を申し入れた。市側は意向を尊重し、出発地点の変更を決めた。


 市の実行委員会は本番まで1週間余りとなるなか、ルートと警備態勢の見直しを迫られることになった。


 聖火リレーをめぐっては、各国で妨害行動やコースの変更が相次いでいた。


 市への申し入れ後に記者会見した同寺の若麻績(わかおみ)信昭・寺務総長は「善光寺は開かれた寺で、どこからでも境内に入ることができるため、警備が非常に難しい」と述べ、参拝客の安全確保が辞退の主な理由と説明した。


 同寺は「三門」(山門)の修復が終わり、今月23日に竣工(しゅんこう)式が予定されている。26日は大型連休の初日にあたり、増加が見込まれる参拝客に対し、「迷惑をかける訳にはいかないと考えた」という。チベット問題をめぐり、欧米でリレーへの妨害があったことに関しては、「仏教、宗教の場として、チベットに対する人権問題も考慮した。チベットの宗教者に対する弾圧を憂慮している。国宝や国の重要文化財も多く、それを守る必要もある」と語った。


 長野市側では申し入れを受け入れ、日本オリンピック委員会(JOC)や北京の組織委員会に報告した上で、改めてスタート地点を決定する。


 長野市の実行委員会事務局長の篠原邦彦教育次長は「衝撃を感じている。出発地点は今週中に決めないと間に合わないと思う。コースの変更はできるだけ少なくしたい」と話した。


 善光寺では17日に僧職や事務局役員ら約25人が出席し、局議を開催。「チベット人と同じ仏教徒なのに、中国側に協力していると受け取られないか」などとする意見が出る一方、「宗派と関係なく、だれにも開かれた寺が受け入れを断ることは望ましくない」とする声もあったという。幹部が18日午前、再度協議し、辞退を決めたという。


 当初の計画では、聖火リレーは善光寺の本堂前を出発。参道を通って中央通りなどを経由し、市内の若里公園までの18・5キロを予定していた。


 長野市側はこれまで、イベントの一部中止を決めたが、コースはそのまま実施する考えだった。


2007年1月3日水曜日

善光寺参り

 東京に帰る息子を見送るのに合わせ、今日は善光寺へ参ろうと長野に出た。 黒姫駅前駐車場に車を停め、電車で行ったわけだが、黒姫は雪が降っており、そのまま長野へ長靴を履いたままでは具合が悪いであろうと駐車場で運動靴に履き替えた。 思った通り長野は晴れで、やはり長靴では歩けなかった。
 長野駅で、新幹線ホームに降りると、地元テレビ局が今日の帰省ニュースに使うのであろう、カメラを肩に担いで見送り風景を写していた。

 長野駅前の交差点を渡り、昔の駅舎が良かったなどと家内と話しながら行くと、平安堂の古書店の前に来た。 古書となると、ついつい入ってみたくなるのである。 先日も、直江津へ魚を買いに行った時、高田市内で古書店を見つけ100円本を17冊も買ってきたばかりであった。
 平安堂古書店は、比較的選ばれた書籍を置いており、全く興味がないものもあるが、たまたま出会った本だからと篭に入れていたら4千円を越えてしまった。
 近くにブックオフという全国展開している古書店があったが、こちらは若い人向けの漫画などが中心なので、我々が見るような書籍はほとんどない。

さくらにて

 さて、買った書籍を店に預け、中央通りを善光寺方面へ歩いた。

 途中の店をのぞき、あぁだこぅだと言いながら、門前に来た所で先に昼食を済ませることにした。 参詣に来た時によく寄る店は、吉野家という造り酒屋にある「さくら」という店である。

 多少値段は高いものの土井勝さんの術をつぐ、会席料理など、良い和食の店であった。

 しかし、久しぶりに来てみると、一般の食堂とおぼしき、当たり前のメニューになってしまい、揚げ物に使っている油が良くない。 家内は、鳥を出汁に使ったものは食べられず、牡蠣フライを頼んだが、注文を忘れたのかなかなか出て来ない。 催促してやっと来た料理は、十分に揚げたものでなかった。

 たぶん、再びここを訪ねることはないであろう。 純米酒「雲山」は美味しいだけに残念だ。

善光寺

 善光寺の三門はいまだ工事中である。 本堂の前に向かう参拝客の列は警備員のロープで分断され、しばらく待って本堂の階段へと向かった。 その時、

 小さな子供さんが、「屋根に沢山の鳩が留まって、気持ち悪いね!」というような言葉を言った。 そうしたら、お母さんの声であろう、「鳩の方も、この人間の多さにびっくりしているよ」というふうに返していた。 親子のちょっとした会話の中に、大事な子育ての姿を見た思いがした。

 本殿での参拝は、山手線のラッシュのように、押し合い圧し合いばかりで、ぶつかることも厭わない人々は、何のためお参りに来ているのであろうかと、余計な事を考えてしまった。

 参詣を終えた後は、門前のパティオ大門へ。 名だたる店が集まった一角だが、かんてんぱぱ以外に興味が持てる店はなかった。

 3時過ぎの「妙高」に乗ったら、意外に混んでおり、朝のうち雪が舞っていた黒姫に着くと、青空が見え積もった雪がさらに薄くなっているようにも思えた。

2006年1月13日金曜日

高倉健の著作を読む

 俳優・高倉健の著作を続けて2冊読んだ。 一つは、「旅の途中で」、もう一つは「あなたに褒められたくて」であるが、記されてから10年を越えている著作であった。

 どれも、氏の仕事上の、あるいは私的な交友から感じられた事柄を、氏の特徴である朴訥な口調のごとく、書き記されている。 西表島のダイビング・インストラクターの話など、すがすがしく感じられるもので、読み終わった後が心地良いものであった。

 高倉健が出演した任侠やヤクザ映画など、"切った張った"の世界はどうも自分の生に合わず、これまで映画館に足を運んだことがなく、見たといえばテレビで流れた「幸福の黄色いハンカチ」、「ほたる」程度であったし、敢えて高倉健という人物を知りたいとこれまで思ったこともなかった。

 さて、この著作で知った信州に関する事項を記したい。

 高倉健(本姓・小田)は福岡の出身だが、父方の先祖(本家)は、160数年前、筑前国遠賀郡底井野の商家「小松屋」で、その一人娘「小田宅子(いえこ)」という方が、天保12年(1841年)に東国へ旅に出た由。 宅子は、大阪・堺まで船で出て、奈良を経て伊勢神宮に詣でて、その後、木曽路をたどって善光寺に参る。 さらに妙義山から日光を回って二荒山神社に参ってから江戸に出て、再び、善光寺に参って故郷・筑前へ帰ったとのこと。
この旅の記録が、「東路日記」だそうだ。

 さて、昭和34年、善光寺での豆まき・節分会のギャラが当時としては法外であったらしく、高倉健が初めて仕事を兼ねて参ったことをきっかけに、毎年自ら車を飛ばして30年間善光寺に参ってきたとのことである。
 高倉健の先祖と善光寺が、一つの縁(えにし)になっている所にも、高倉健という人物がただものではないという片鱗を醸し出しているのではないかと、今更ながら感じているのである。

 そう云えば、自分も、この正月2日に善光寺に参ってきた。 これら著作を読んだことと、何かこじ付けたくなってしまった。 加え、高倉健は、鎌倉霊園にご自分の墓所を用意されているのだと、ますます親しく感じられるようなった。

2006年1月3日火曜日

善光寺参り

 昨日は、東京に戻る息子達をおくりながら長野に出て善光寺に参ってきた。 長野では時折雪がぱらつく程度で、正月二日目ということで、あまり混んでない境内へと進んだ。 山門は修復中だと、工事用の幕で囲われていた。
 参拝を終えてから、西之門の「さくら」に行ったら、正月の限定料理だと温かい蕎麦しかなかったが、味噌味のけんちん汁のような蕎麦を食べてきた。 味噌蔵のレストランらしく、少しからい汁だが美味しかった。 次の機会には、夜の定食を是非味わいたい。
 長野駅で息子達を送ってから信越線で黒姫に戻ったら、駅前に停めておいた車に積もった雪を払い、ほうほうの体でやっと帰ってきた。
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2005年9月17日土曜日

八幡屋礒五郎 小袋デザイン刷新

 八幡屋礒五郎と云えば、善光寺参りの際には誰でも必ず買う特産物であろう、この八幡屋礒五郎の唐辛子詰め替え用の小袋デザインを刷新すると、しんまいに掲載されている。
唐辛子詰め替え用の小袋デザイン刷新 八幡屋礒五郎
八幡屋礒五郎

 七味唐辛子製造、販売の八幡屋礒五郎(長野市)は10月から、唐辛子の詰め替え用パッケージの色を増やしたり、英語表記を取り入れる。伝統的なデザインに加え、商品表示を分かりやすくし、幅広い世代への浸透を図る狙い。販売を強化するため、同時に販売部門を分社化する。
 詰め替え用の小袋は現在、「中辛」「大辛」「ゆず入り」など6種類。いずれも淡い茶色か赤褐色の袋に唐辛子のイラストと筆書きで「信州善光寺大門町 七味唐がらし」などと表記し、商品の違いが分かりづらかった。(以下、略)

 信濃町でも、天望館など観光施設や第一スーパーなどで買うことができるが、やはり長野に出て善光寺門前で買いたい。 しかし、あの門前の店の売り子さん達、 忙しいのは分かるのだけど、何か愛想がないように思うのだが、自分だけかな? (-_-;)