先日、「善光寺でチベット犠牲者の法要が行われた」と記したが、その記事を書く中で、このゴールデンウイークにかけてチベットにかかわる催しが長野であることを知り、今日は「チベット2002~ダラムサラより~」という映画を見てきた。
映画そのものは、現在のチベットが抱える問題を簡潔に紹介しているものであったが、上映後本映画を製作された岩佐寿弥監督と上田市海禅寺の飯島俊哲さんのトークショーを聞くことができ、チベットの現状やチベット人の性格などを知りなかなか感ずるものがあった。
岩佐監督は、モウモチェンガ(満月ばあちゃん)という映画製作の過程で、本日上映された「チベット2002~ダラムサラより~」を付属的な存在として作成された由。 映画制作の過程の中でチベット人の心に深く感銘を受け、8年前の2001年に製作されたものなのに、いまだ古さを感じられないフィルムに残念な思いがすると話されていた。
要は、中国政府のチベットに対する政策が何も改善されていないということ。 高給でチベット人を警察官や刑務官に雇い、反体制運動を行ったとチベット人を拘束しチベット人がそのチベット人に危害を加えるという、悲しい連鎖が繰り返されている由。
僧侶の飯島さんもダラムサラや本国を訪ね、チベット人にある心根に感ずるものがあったとのこと。 雨の中、おばあちゃんが人に踏まれるといけないとミミズ一匹づつ祈りを唱えながら移してあげるとか、日本に駐在したチベット人の両親が子供を日本の学校へ通わせたが虫籠に虫を集める遊びを覚え、小さな生命を籠に集めやがて死なせてしまう遊びに疑問を覚え、両親は子供をダラムサラへ返して現地の学校で学ばさせるようにしたという話をされていた。 小さな生命に対する思いが非常に篤いと同時に、親しくなると冗談を言い合い、媚へつらいや自己嫌悪のような気持ちもなく、その純朴な民ゆえにチベットに関わることになった由。 我々がダライラマ法王の笑顔を見、あの優しい声を聞くと、何とも言えない心地良さを感じるが、たぶん同じものがチベット人全体に流れているのであろう。
飯島さんは29歳という若者で、淡々とした話し方の中に仏教者としての愛情を感じることが出来た。 年寄りは何かと若者の言動を忌み嫌いがちだが、彼のような存在は混沌とした現代の日本社会にあって一つの光明ではないかと思えた。
2時の開演に、会場を見回すと10数人の観客で、最後には30名ほどになったと思うが、これだけ良い話が聞けて空席が目立つのは非常に勿体無い思いがした。 彼らの活動資金になればと、次回上映されるという「モウモチェンガ」という映画のDVDや紅茶、香を買ってきた。
明日以降11日まで色々な企画があるようなので、時間があれば再び訪ねてみたいと思う。
会場を後にして休憩を取ったのが、トイーゴ内にあるカンテンパパの喫茶室。 抹茶ぜんざいを食べたが、抹茶の香りと甘さがほどほどで美味しかった。
そして善光寺の参詣となったのだが、やはり休日ということで大変な混雑で、前立本尊回向柱には長い列が出来ていた。 内心は、柱に触れて何のご利益があるのか疑問に思ったが、小川村から切り倒したという前立本尊回向柱に使われた太い角材(名称というか、言い方が不明)は実に立派であった。
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