お知らせ

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*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱、ウソ箱ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。





「公共放送」と名乗っているNHKや態勢迎合の低俗局(フジサンケイや読売)、大手新聞社(朝日・毎日)等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

*東京新聞(中日新聞)、日刊現代、信濃毎日新聞、長周新聞などややローカルなメディアから、今の日本をチェックしましょう。



*人と防災未来センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*過去に所有したドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄し、当ブログへの転送設定も停止しております。

*新聞の切り抜き等で拡大表示しても文字の判読が難しい時があります。 そのような場合は、切り抜き画像をパソコンにダウンロードしてから表示されると読みやすくなります。

*お問い合わせメールは、kurohimekogen●gmail●comへ(●は文字を入れ換え、すべて半角で)

*↓時々、先日付の投稿があります。
 下へスクロールして直近の投稿を確認して下さい。

***掲載した主な画像(写真)の上にカーソルを置きクリックすると拡大されて文字が読みやすくなり、さらにクリックするか当該画像右上のXをクリックすると元のサイズに戻ります***


(間もなく参議院議員選挙がはじまります。)
25年デフレが続いている日本で、自公政権は国民の生活を一顧だにせず、消費税に見られるように搾取を続けています。 彼らは与党政治屋や大手企業経営者の栄華が維持されれば良いと思っているのです。 一般市民が現状をよく見定めて、我々の生活の底上げを真面目にしてくれる政治家を選ぶ必要があります。
自民党、公明党に加え、彼らの補完勢力である、維新、国民、参政党などにも騙されてはなりません。 頼りないですが立憲、共産、社民、れいわ新選組の候補者の中から選びましょう。

ラベル 心 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2011年5月3日火曜日

ドキュメンタリー映画「無言館」を観る

 先月24日に記しましたが、今日は長野市内で開催されたドキュメンタリー映画「無言館」の上映会に出かけて来ました。 今日は「憲法記念日」。 何のための祭日なのかも知らずに行楽に出た人もいたのでしょう、高速道路を利用したら、小布施PAは駐車できないほどの混みようで、ガードマンが数名で車の整理をしていました。

 今日の上映会の主催は、「長野市憲法9条の会連絡会」によるもので、場所は若里市民文化ホール。 以前にビックハットの隣と地図で確認していたのですが、なぜかビックハットがエムウエーブに替わってしまい、須坂インターを降りて着くと、そんな場所は見当たらず。 電話で問い合わせてどうにか2時の上映に間に合いました。

無言館 無言館

 映画の内容は、無言館の成り立ち、活動、慰霊祭や成人式など年中行事などを写し、鎌倉にある横浜国大付属中学校の生徒さん達が小学生の時に訪ねた時と3年後に訪ねた時との印象の違いなどを聞くなどしていました。 そして最後には窪島さんが出て、20歳前後に亡くなった画学生と同じ年頃の若者には共感する部分が多いのではないか、若者に何度もたずねてほしいと仰っていました。 そして、「絵を描く」ということは「描く対象を認める」ことであり、言い換えると「対象を愛すること」だとも仰っていました。

 展示してある絵を見て何も言葉が出なくてもいい。 画学生の思いを感じて共時できる場であることを願っていると仰りたかったのではと思いました。

 映画終演後、館主の窪島さんが演壇に立って、1時間10分ほど話されました。

 まだこの映画を見ておられないとのことで、映画の内容とかなり重複する話もありましたが、現在の無言館に至るまでのご苦労を思い起こされ、胸につまるものがあったようでした。 涙しそうな雰囲気も感じられました。 人生の中では、人に言えないこと、言ってはならないこと、諸々あると思いますが、窪島さんは邪気無く、思いのままに話され、その気持ちがじわじわ心に沁みて来るものでした。

 最後に知覧の特攻兵が音楽大学の学生で、出兵する前(一生の終わり)にピアノを弾きたいと鳥栖の小学校に申し出があり、その2人のうちの1人は4日後に特攻で亡くなっていたという逸話を話されていました。 あとで調べたら、この話は「月光の夏」というタイトルで以前に映画になっているそうです。

 後年、処分されそうになったピアノの前に、戦闘機の不調で特攻に出られなかったもう一人の兵士が現れ、再び「月光」を弾いた由。 友への思い、その「感動を伝えたい」、「感動を伝える」ことが我々の責務ではなかろうかと結論づけておられました。

 窪島さんのお話は、これまで須坂・浄運寺でも聞いていたし、「明大前物語」など著作を読んでいたので既知の話も多かったですが、今回のお話が一番内容が濃く、我々のような年配者でも、何かしなければと勇気付けられるものでした。 そして、窪島さんは声高に反戦や平和を唱えることに抵抗があるようなお気持ちのようでしたが、名も無く消えかかっていた画学生の存在や彼らの作品を世に送り出し、遠く将来にわたって保存(顕彰)されるであろうという道程を作ったことでは、それこそ平和を願う活動そのものではないかと思うのでした。 そして、平和な国づくり、平穏な社会を願う心を醸成する出発点として、この無言館がもっと世に知られることを願うばかりでした。

 終わって帰る時に、信濃町町議会議員のご夫妻に会いましたが、信濃町を離れた所でこういう機会にお会いできるのは何とも嬉しいものです。 講演の内容を録音しましたが、そのまま掲載するのは問題があるかもしれませんので、次に前半20分だけが聞こえるようにしました。(ご指摘を受け録音内容は削除しました)

 

窪島さん

 

窪島さん

 

窪島さん


2011年4月24日日曜日

ドキュメンタリー映画「無言館」

 上田市の戦没画学生慰霊館「無言館」を題材にしたドキュメンタリー映画が完成し、長野市の憲法9条の会連絡会が5月3日に上映会を開催すると、信濃毎日新聞のサイトで知った。

 前売り券を購入しなければいけないようで、今週黒姫へ行ってからのことなので、うまく手に入るかは分からないが、観に行きたいと思っている。

 映画を作ったのは新映という会社らしく、また蓮池通信というブログに撮影中の様子を伝える記事があった。 それによると鎌倉から始まり、中高生たちの成長にあわせ無言館での姿や窪島さんとの心の交換を写しているものらしく、若かりし頃の画学生との人生のオーバーラップのようなものを見せてくれるものではないかと一人合点した。 たぶん窪島さんが戦没画学生を発掘しこの世に送り出した時の思いを、今生きている若者の姿を通して伝えるものであろう。 観るのが楽しみである。

(窪島さんの写真)
2010年夏
(注)撮影そのものが禁止行為であったと指摘を受け掲載削除しました。(2011/08/28)

 

 

無言館
2011年3月

 



2011年1月9日日曜日

イムジン河

 昨日の黒姫は一日中良い天気で夕方も山の稜線がはっきり見えていました。 代わって今日は曇りのような雪降りのような空模様がカメラを通して見えていましたが、これから一週間はずっと雪と曇の連続の日々のようです。

夕方の黒姫 夕方の黒姫

 さて、我が家では5年ほど前にスペイン巡礼路を歩くので新聞の購読を中止したのですが、多くの新聞が情報を精査せずに垂れ流しするような、また迎合したような正しくない内容に嫌気がさし、それ以来取るのをやめてしまいました。 併せテレビのニュースや報道番組、また視聴者を洗脳するようなコメンテータが出てくるような番組もほとんど観なくなりました。 余計な情報に自分の思考が毒されるような思いがあったからです。 YahooやMSNのニュースには産経新聞からのものが多く、そういう意味ではネット配信されるニュースも疑わしいのですが、その多くは短い文章でまとめられており、読みなおすことで真偽を計ることができます。 いつも書きますが、巷のニュースを見るより真っ当な人が書くブログの方がよほど意味があるのです。

 しかし、新聞紙という紙は結構重宝するもので、果物やビン物を宅配する時の緩衝材にもなります。 やむを得ず時々ご近所から頂いたり、宅配物の中にある新聞紙を綺麗に伸ばして保存したりしています。 そんな時、地方紙や古い新聞の中に興味ある記事を見つけると何か嬉しくなってしまいます。 先日見つけたのは、フォーク・クルセイダーズがかつて歌っていた「イムジン河」に関係した記事で、1968年フォーク・クルセイダーズがこの歌を売りだそうとした時代の様子を記していたのでした。(下段、写真をクリックすると記事を表示、記事内でクリックすると閉じます)

イムジン河

 元の歌は北朝鮮の「臨津江(イムジンガン)」で、南北を分断している象徴がイムジン河(一部河が国境線になっているようです)で、民族の統一を願った歌のようです。 2009年秋に実施された韓国巡礼の旅の終着はこのイムジン河でしたが、我々はその直前に別行動となり行くことができませんでした。

 朝鮮半島の南北分断は日本軍統治の結果もたらされたものであり、太平洋戦争後の混乱に乗じたパルチザンの南下、さらに済州島43事件など、また1980年の光州事件など、民族同士の争いや殺戮が多かったのは事実です。 朝鮮半島をそういうふうにさせた日本の責任は大きいのですが、日本統治前の朝鮮は王朝により支配され一般人は奴婢として差別されていたと、逆に奴婢を解放したという面では日本統治の意義があったらしい。 どちらにしても、日本統治の歴史のみならず、韓国国内の1945年以後の実態を明確にするなど、日韓ともに歴史を事実にもとづいて明らかにする必要があると感じました。 事実かどうか分かりませんが、中国では朝鮮半島の高句麗の存在を認めず歴史教科書には記述がないそうで、どこの国でも歴史上の自国にとって都合の悪い事実を隠蔽したり変えたりする勢力がいるようです。

 フォーク・クルセイダーズの加藤和彦は、一度あるコンサート会場に入る時に見かけたことがありましたが、彼が自死しなければならないほど、日本の音楽や創作活動の場は創造性がないか、あるいはある種の力に毒されているのかもしれません。

◯フォーク・クルセイダーズ

◯加藤和彦

◯臨津江

◯地図


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2010年12月31日金曜日

今日は大晦日

 多くの方々が大手プロバイダが提供するブログシステムを利用している中で、当方は自前のパソコンにサーバを建てて細々とブログを運営しています。 運営しているといっても、フリーで使用させていただいている各種プログラムやツール、テンプレートがあるがゆえにどうにか見ていただけているのです。 そんな脆弱なブログにもかかわらず、今年行われた信濃町の町長選挙を話題にしたことから、毎日数多くの方々がお訪ね下さるようになり感謝申し上げる次第です。 いつまで本ブログを続けられるから分かりませんが、黒姫高原や野尻湖の話題を中心に、人としての尊厳や正義を貫くような話、それにちょっと気になるパソコンやPDA、カメラについて来年も記してまいりたいと思っておりますのでよろしくお願いいたします。

 今年最後の日にあたり、人間としての何が一番大事なのかを考えてみたいと思います。 今の時代、金欲、物欲、性欲など「欲」が全盛のようですが、本能だけで生きている動物に等しい生き様で、それで人間は真の幸福を得られるのでしょうか? 「欲」に翻弄されるのではなく、人としてどうあるべきか、日々の身の振り方を考える必要があると思います。 そういう思考のきっかけになるようなニュースを日本キリスト教団が発行している「こころの友」に見ました。 マザー・テレサやこの記事にある山本雅基さんのようことはなかなか我々には出来ませんが、でも他者を思う心や意識を常に持ち続けることで人としての尊厳が高められると思うのです。 たぶん、人間が死ぬ時に安心して死ねるのは、財産や名誉を得たことより、身内も含め人との関わりで得た温かい心を持っているかどうか、また、彼らが温かく見つめてくれているという思いがあるかどうかということではないでしょうか?。 自分の人生への「諦め」ではなく、「希望」を持って黄泉の国に渡りたいですね。

こころの友

 今日は孫がやって来るというので家内はおせち料理作りで台所に立ちっ放し。(昨日家内がおせち用の食材を買いに出た感想は、食の安全や美味しさを除けば出来合いのおせち料理を買った方が安いでした) 当方は掃除などを手伝いましたが、間もなくやって来る孫の相手で、パソコン画面の前に座るのはこれでお仕舞いにしましょう。



2010年12月27日月曜日

黒姫の矢川さんのこと

 今やパソコンは、ブログとツイッターの全盛期に入っていると言えますが、当方のようにネコも杓子も始めている中で、真っ当な意見を述べているブログは非常に少ないと思います。 自分の思考の手助けになる、数少ない良いブログの中で毎日見ているのが「池田香代子ブログ」で、そちらに26日付けで「沖縄と升味佐江子さんと知久寿焼さん」という記事がありました。 かつて黒姫に住んでおられた矢川澄子さんと池田さんは親交があったようで、その中に黒姫に来られたという件があったのです。 亡くなられた矢川さんの家はどうなったのかと気になり、以前通りかかった時に数名の方々が外で作業をしていました。 その時、声をかけさせてもらいましたが、あの時の方が池田さんが記されていた方かもしれません。

 当ブログで矢川さんのことを記したといえば、黒姫童話館建設問題そして忌野清志郎さんが亡くなった時でした。 家内は野尻湖湖畔の清掃活動などでご一緒したり、何度かあの山荘を訪ねていましたが、私は黒姫駅で偶然お見かけしただけで私の記憶からも消えかかっている所でした。



2010年12月26日日曜日

元祖あしながさん

 東北地方では積雪1mを越える地域も出ているようですが、黒姫も連日の雪降りでかなり積もっていることでしょう。 でも今日は昼前から束の間の晴れ間があったようで、カメラからも全山冠雪した黒姫山と同時に白くなった街並みが見えていました。

黒姫山 黒姫山

 さて、先月、あしなが育英会から届いていた新聞「あしながファミリー」に、「元祖あしながさん」と題した記事が載っていました。 既に故人になられた上田さんという歯科医の方が、毎月養母の墓参りの帰りにあしなが育英会へ現金書留を送られ、その援助がきっかけとなって今日の「あしなが奨学金制度」が生まれたとのことです。

元祖あしながさん

 編者は、「陰徳」という表現を使われていますが、誰に知られることもなく困っている人に手を差し伸べる心こそが大事で、共生社会を望む我々に一番求められている心構えではなかろうかと思います。 年末のこの時期、ボーナスが出たとデパートは買い物客で賑わい、クリスマスだと美味くもないデコレーションケーキを買う姿がしばしば見られますが、一時の満足に拘泥するより、必要な所にお金を落とすことの方が大事ではないかと思います。 ただ、駅頭に立つ募金活動の中には、宗教活動の一環であったり、いかがわしいものもあるので、十分注意する必要はあります。

 それにしても、「あしながファミリー」を読んでいると、事故などで親を亡くし一時辛苦をなめながらも仲間や育英会の手助けで明るい未来への希望をつかみ頑張っている若者の姿を見ることができ、逆に今の世に悲観しがちな年寄りにも望みをもたらしてくれるものです。



2010年12月24日金曜日

ウガンダからメリークリスマス

 昨夜来から一日中黒姫に降った雪は完全に雪国にしたようで、今夜はホワイトクリスマスになったことでしょう。 北日本はは荒れた天候であったようですが、東京の中心地は暑くてコートを抱えるような気温でした。

 さて、外出して帰宅したら「あしながウガンダ」からのクリスマスカードが届いていました。

あしながウガンダ

 ウガンダの子供達は、「協力・共に働き、世界を変えよう」をキーワードに、自分のためではなく、誰かのために日夜努力しているのです。 先月の信濃町の町長選挙では、「協働による町づくり」を訴えた候補がおしくも落選してしまいました。 信濃町であっても、アフリカの小さな村であっても同じことなのです。 明るい未来を希み、共に協力・努力し合うことが大事だと思うのです。 我田引水ばかり考えていたら高度な人間社会の樹立は望めないのです。

あしながウガンダ


2010年11月17日水曜日

黒岩日佐子さんが亡くなった

 先月16日、私はクラヴサンコンサートに出かけ、家内は黒岩比佐子さんの、「パンとペン 社会主義者・堺利彦と売文社の闘い」と題した著作の記念講演会に出席したが、黒岩さんは既に癌に侵された身であったとかで、家内が出席した日の1ヶ月後の今日、亡くなられたと彼女のブログで知った。

 大業をなされ著作の重版が決定されていた矢先の訃報である。 結局、後援会後に行われた抗がん治療が病を早めたのでしょう。 著作はまだ読みかけ中であったのにと、黒岩さんの思いを十分に感じていないうちでの訃報にやや残念である。

パンとペン

 

パンとペン


2010年9月2日木曜日

絵本 「約束」

 信濃町も相変わらず30度を越える猛暑が続いています。 どことなく秋風が吹いている様子は見られるのですが、9月に入っても暑いの一言。 この暑さのおかげでしょうか、あちこちの蕎麦畑で白い花が一杯咲いています。

 今日は、先日の無明塾で購入した、無言館館主・窪島誠一郎さんの「約束」という絵本の表紙を載せることにしました。 本書は、窪島さんの半生から、無言館設立までの事象を絵本仕立てにしたもので、窪島さんの画学生への思いがひしひしと伝わる内容となっています。

約束

 「あとがき」の中で、窪島さんは大事なことを仰っています。

  • 二度と戦争を起こさない
  • 自分の命、他者の命、生命あるすべてのものを大切にする
  • 画学生が最後まで絵筆をはなさなかったと同じように、心から愛するものをもつ

 競う社会ではなく、協同(協働)する社会、そして心と心がかよう社会、そんな社会を窪島さんは望んでおられるのではないかと思いました。

 本書は、作:窪島誠一郎、絵:かせ りょう と表示されていますが、かせ りょう(加勢凌)は窪島さんの旧名で、加勢は母親の姓で、名前は武者小路実篤が命名されたものだとのこと。 加勢凌、水上凌、窪島誠一郎、それぞれに愛しい思いを持っておられることが、先日のお話の中から如実に感じられ、大変苦労をされてきた半生なのでしょうが、それにかかわらず窪島さんの優しい人格がそこかしこに溢れるように感じられました。

 サイン会で、よく購入者の名前を併せて書いていただくことがありますが、今回、窪島さんに書いていただいたら、「~さん」というふうに記すところ、2峰の山の形をした図形で表示されていたのでした。 もともと絵を描くことがお好きなのですね。



2010年8月29日日曜日

無明塾

(追記:2011/08/28)

 講演会場での写真撮影は禁止であったとコメントを頂きました。 ご指摘を受け遅まきながら掲載した写真を削除しました。(追記了)

 今日は、須坂・浄運寺で開かれた無明塾へ出かけて来た。 無明塾では25年にわたって年3回の講座を開き、特に夏のこの時期には、いつも3名の作家などが講演をされていた。 今回のメンバーは、ここ数年同じ方々で、加賀乙彦、秋山駿、窪島誠一郎の各氏と、天満敦子さんのバイオリン演奏であった。

無明塾 無明塾

 浄運寺の講座には、これまで時間が合わずなかなか参加できずにいて、やっと2008年8月と11月、そして今回と3回目の聴講となった。 浄運寺では既に本堂と庫裏の改築工事に入っておられ、工期は10年にも及ぶらしい。 そのため講座は今回で終了することとなり、工事終了後にあらためてアナウンスをされると住職は仰っていた。 

写真削除(開始前の本堂にて)

 最初の講演は、上田市にある信濃デッサン館・無言館館主でおられる窪島誠一郎さんが「『生きる』という約束について」と題して話された。 2年前にお会いした時には、目がキラキラして輝いているようにお見受けしたが、今日はかなりお歳を召されたなというのが最初の印象であった。

 窪島さんが信濃デッサン館を開いたのは32年前、無言館は13年前だそうで、以前の来館者は滞留時間が長くゆとりを持って絵を鑑賞されていたとのこと。 現在は、観光バスなどで一団で来て、それも反戦だとか憲法9条を守れとかゼッケンを付けて来る方たちも居られ、絵画の前であれこれ慌しく喋って、鑑賞することもなく帰っていく光景がよく見られるそうだ。

 絵と対話するということは、自分を見つめる時間を大切にすることにも通じるのではないかと仰る。

 城山三郎さんがかつて「群れをなす」ことの危険性を話されていたそうだが、テレビが一方的に流す情報は害毒そのもので、その映像だけで見た気持ちになり、メディアに泳がされてしまう結果となる。 だから無明塾のような講座の存在意義があり、五体で感じる感動を失わないような生き方が必要だと話された。 窪島さんは65冊目の著作として、「約束」という本を出されたとのことで、人間は誰かとの契りの中で生かされているのではないかとのこと。 誰かというのは、自分を生命として産んでくれた父と母であり、もう一つの契りは自分との約束であると仰った。 自分との約束でいう自分とは、自分のことではなく、自分という存在を作ってくれているたくさんの人々のことではないかと話された。 実に含蓄のある内容で、そういう約束を大事にして行きたいと思った。

 無言館にかかわる仕事の中で、色々な戦没画学生に出会い、彼らは限られた時間の中で、自分の思いを精一杯出していた。 かけがいのない生の雫、与えられた命をどう使いきるかということが問われていると最後は結論付けられていた。

 窪島さんが、ご自分の半生を走馬灯のように話される中で、感じられたことを分かりやすく説かれ、自分の時間をもっと大切に使いたいという気持ちにさせて下さった。

 二番目に話されたのが、文芸評論家の秋山駿さんで、タイトルは「人生の考え直し」。

 冒頭で、今朝亡くなられた三浦哲郎さんを悼む言葉があった。 秋山さんは年齢のこともあるでしょうが、ご本人が納得された話し方をされるので、かなり分かりにくいです。 事前に「信長」など著作を読んでおけば理解に役立ったのでしょうが、そういう意味でも難解な講演でした。 話された内容は戦中戦後のことから始まり、日本が経済大国二位であることや富裕層の存在など。 今、思い起こしても話の主旨がよく分からなかった。

 でも、互いの国や民族の正義があるから戦争が起きるという話には合点した。 正義に折り合いを付けるというのが一番困難な所作なのであろう。

写真削除(秋山さん)

 最後は加賀乙彦さんで、「八十歳になった心境」。

 陸軍幼年学校時代から話が始まり、著作の「永遠の都」のこと、そして、東京拘置所の精神科医として赴任し、正田昭という死刑囚と6年間文通したことなどを話された。 死刑執行後に現れた人から正田昭との文通内容を見て、彼が二面的あるいは三面的な要素を持っていたとのこと。 死刑囚といえども彼らは人間としての苦悩に溢れており、昨今、東京拘置所の刑場が公開されたが、あの報道は人間的な苦しさを明らかにしていないという点で、非常に問題だと話されていた。 毎朝7時から8時の間は、監房の中はシーンとして静かになるそうで、死刑執行がいつ自分に向かってくるのか気がかりな時間だそうだ。 加賀さんの奥様は入浴中にくもまっかで溺死されたそうである。 明日も分からない死刑囚の命と同様に、我々の命が永遠に続くわけではなく、80歳になった今、死刑囚と同じように残された時間が僅かであることを意識して、残された時間を大切にする心境でありたい由。

写真削除(加賀さん)

 講座を終えてからは、天満敦子さんのバイオリン演奏。 天満さんは天真爛漫というか、いつまでも童のように邪気のない人ですね。 隣のおばさんという感じ。 そこに彼女が好まれる理由があるように思う。

写真削除(天満さん)

 終了後は、著作など販売されたものへのサイン会。 今回は、窪島誠一郎さんの「約束」、秋山駿さんの「舗石の思想」、加賀乙彦さんの「不幸な国の幸福論」と「ザビエルとその弟子」 を購入した。

 講演された方々のうち、人間的に自分に近い人はどなたであろうか? 窪島さんは一番苦労されて今の位置にあろうし、「約束」という絵本に記述されている、あの心、あの情熱に対して称賛に値する方だと思う。 キラキラとした目の輝きをいつまでも失っていない人として一番親近感を感じる。 そして秋山さんはお話は分かりにくいが、庶民派の人物ではなかろうか。 加賀さんはやはり雲の上の人であった。 「宣告」に記述されているように、かけがいのない人生経験をされ、それを小説にされているが、上層志向の人であろうという印象が強い。 著作を数冊読み、お話を2度うかがって、もういいかなという気持ちになった。

写真削除(サイン会・秋山さん)

 

写真削除(サイン会・窪島さん)

 

写真削除(サイン会・天満さん)

 

写真削除(サイン会・秋山さん)

 25年続いたこの無明塾は今回で終了。 本堂の工事終了後にあらためてアナウンスされると住職は仰っておられたが、秋山さんと加賀さんは既に80歳を越えられておられる。 再びお話をうかがうことができるのか、やはり気がかりではある。

 浄運寺に着いた時、帰りには永い間無明塾の講演者であった中野孝次さんの墓に詣でようと話していながら、うっかり失念してしまった。 松代大本営の歴史館にも訪ねたいので、別に時間を作ろうと思う。

無明塾


2010年7月25日日曜日

一年ぶりの再会が果たせず

 野尻湖畔にサレジオ学園の山荘がある。 毎年、今頃から8月末日にかけて子供たちの合宿に利用されており、そこで夏の期間だけ世話をされている東京からのAさんというご夫妻と数年前に知り合った。 野尻以外ではお会いする機会はこれまでなく賀状交換のみで、今日は再びお会いできるのではと楽しみに山荘へ出かけて行った。

サレジオ

 奥様と普段はヨーロッパに住むお嬢さん方が手伝って居られていて、何気なくご主人はと聞くと、この3月に亡くなられたとのことであった。 奥様がこれまでと違ってほっそりとされていたのが気になったのだが、結果はそういうことであった。 これまでそう多くはお会いしていなかったが、本当にお人柄が良くて、何故そんな方が早世されてしまったのかと、悲しい思いに浸ってしまったのである。 でも聞く所によると、病身の床にあってご本人が準備される時間があり、家族の方々もお別れする一定期間があって、最後にはこれまで以上に健やかな顔で逝かれたとのことであった。 そういう言葉が聞けたのが唯一の救いである。

 そんなお話をうかがってしまい、今日の曇天のようにどんよりとした沈んだ気持ちの一日になりそうです。

 でも、人生の晩年に来ると何が起きるか分かりませんし、いつかは必ず来ることです。 一期一会という言葉があるように、これからも一時一時を大事にして生きて行きたいという気持ちを強くしました。



2010年7月9日金曜日

シルバーシート雑感

 首都圏などでバスや電車に乗った時、車掌などのアナウンスに無味乾燥というか全く意味がないと感じることが多い。 年寄りや体の不自由な人、妊婦などに優先席(シルバーシート)を譲って下さいということ。 携帯電話をマナーモードにしてシルバーシート付近では使わないでほしいということ。 不審物があったら巡回中の警察官や車掌に報告しろということ。 ついでに加えれば乗った電車の行き先や停車駅などのアナウンスも必要最少限にしてほしい。

 さて、今日、アサヒコムに、「シルバー席の高校生を殴る・突く」という記事が載っていた。 この60歳の女性の所作はかなり行き過ぎだが、それでなくてもシルバーシートの使い方で疑問に思うことは非常に多い。 自分はシルバー世代だとはまだ思っていないものの頭はシルバーなのだが、学生もサラリーマンも周囲に気を配るという意識が全くなく、席を譲られたことはこれまでにない。 端から寝てしまいシルバーが来ても気付かないふりをしていると思われる人も多い。 それだけ彼らは疲れているのかもしれないが、他に思いを馳せる気持ちがないということは、日本の社会にとってマイナスであろうと思う。

 長野から信濃町に通じる信越線で満席になることはなく、4人掛けのボックス席を1人や2人の高校生が荷物を広げて占有し馬鹿話をして、他人を寄せ付けようとしないことがよく見られる。 日本の文部(文部科学)省や教育委員会も高学歴社会のための仕組み作りのみを行い、成績が良くて成果を出せれば尊ばれるという社会規範を作り、修養というのか精神面の教育を怠ってきた結果であると思う。

 ところで、昨今、韓流ドラマの影響か韓国へ旅行する人が多いようだが、月並みなツアーに参加したり、インサドンやミョンドンを散策するのではなく、ぜひ地下鉄など電車に乗ってほしい。 韓国の電車にもシルバーシートはあるのだが、どんな混雑した時間帯であっても、若者がシルバーシートに座っていることはなく空席のままである。 また、私のような人間が普通の席の前にいると、席を譲る人が数名かならずいる。 日本とは大違いなのである。 韓流ドラマが人気なのはそんな彼らの優しさがあるからかもしれない。

 ただ、シルバーシートに座っていた妊婦を立たせ、登山帰りの(元気な)年寄りが当然のごとく席を譲らせている姿を見たことがあるが、その思考はよく分からない。 また、年配者が年配者に気を馳せる気持ちがあるかどうかも分からない。 でも、とにもかくにも、年配者に気を配る韓国の若者の心を日本の若者もよく学んでほしいと思う。



2010年5月25日火曜日

加藤周一 追悼(集)を読む

 昨日、沖縄問題について書いたが、今日「雁屋哲の美味しんぼ日記」は「敵を間違えるな」という記事を掲載しており、自分の言いたいことを平易に余すことなく書かれ、溜飲を下げる思いで一気に読んでしまった。 60余年、日本はアメリカの属国になりさがり、日本人はアメリカの奴隷状態に満足し、いつまでも上納金を納めているのが現在の姿なのです。 シマを守るからと払うヤクザのみかじめ料と同じで、いざ抗争が始まれば体良くとんずらしてしまうことしょう。 (在日)米軍の守る任務の中には、日本(国&人)は入っていないようですから、いざ紛争が始まっても日本列島はただ基地として使われ、再び戦場になって日本人だけがまた苦しむことになるんです。 日本列島が沈没してもアメリカにとっては痛くも痒くもない。 冷戦時代から言われている(政治家の常套句である)、日本をロシアや中国、北朝鮮から守ってくれるのが在日米軍だというのは、妄信でしかなく、政治家や企業人は利権しか考えていないのです。 いい加減に目を覚ませと言いたいのです。
 そんな馬鹿な状況にならないよう、鳩山首相は戦後はじめてアメリカに抗しようとして来たと思われます。 今頃、ヒラリーはアメリカに帰って、ハトヤマを恫喝して金を出させるようにしたからとオバマにほくそ笑んで報告していることでしょう。 雁屋さんが言うように、今鳩山氏を支えなかったら日本は今後も奴隷状態を続けることになるのです。 非常に分かりやすい構図なのに、それを理解しようとしない、愚かな政治屋、経営者、学者もろもろが日本には多すぎます。

 さて、2008年12月に亡くなられた、医者であり小説家であり随筆家であり思想家でも(他に何か?)あった加藤周一さんのお別れの会などで述べられた友人関係者らの弔辞を集めた「冥誕 加藤周一 追悼」を読んだ。 加藤周一さんについては、こちらの心内を見通すような強い眼力を持ち合わせておられたようで、たぶん短文は読んでいたと思うが、どことなく遠い存在で著作を手にした記憶はない。 しかし、大変な知識人でおられたという認識はあり、書かれたものを読みたいという気持ちは常に持っていた。 「戦争しない、軍備を持たない」という日本国憲法9条に対し、市民が明確な認識を持つようにしたいと始めた9条の会は、加藤さんの発案で2004年から始まったとのことであり、今や全国に7千の9条の会が存在するらしい。 先般、歩いたピースウォークfrom沖縄でも、地域の9条の会や平和委員会の方々にずいんぶんとお世話になった。

 追悼集というのはおおうにして美文麗文が続くものだが、そんな雰囲気は行間に感じられず、本書では加藤さんの人柄を余す所なく表しているように思えた。 英語のみならずフランス語、ドイツ語が話せて海外の大学の教授を歴任したとか、中国での講演もたびたび行い、(中国人にとって)悪名高い日本人に対する見識を変えさせてしまったほどのようだ。 海外の新聞社が日本人のコメントを求める時に加藤さんの所にしばしば来たとのことである。 それだけ明解で論旨豊かなコメントを述べていた、国際人そのものの人であったということでしょう。 そこれ辺の議員先生や学者先生とは雲泥の差なのです。 加藤さんは、将来にわたって生き続ける日本を支える巨大な知識人、あるいは文人であろうと思いました。

加藤周一 追悼

 本書を読んで、「政治に対しラディカルであれ」という言葉を肝に銘じた。 ラディカルというのは、石や棒を持って暴れろでもないし、意見を異にする者に対し暴言を吐けということでもない。 正義が通る社会になることを願い、どうすれば良いか強い意識を持ち、感情(怒り)を持つことだと思う。 怒りは次の踏み出しの一歩となるからである。 朝鮮(半島)の人々が(旧)日本に未だ持っているというハン(恨?)に近い認識を日本人も持つべきなのでしょう。(琉球人にも同じような思いがあるらしい)



2010年1月17日日曜日

善光寺に出かけた

善光寺にて

 雪景色が見たいと一昨日から来られていた客人が東京へ帰られた。 しんしんと雪が舞う大雪の日があったと思えば、今朝のように青空に真っ白な黒姫山が輝いた日もあって、客人には冬の黒姫を満喫されて帰られたようで我々もほっとした。
 客人は一見して普通の小母さんというよりお婆ちゃんなのだが、政界や経済界などのお歴々と親交があり、そういった方々とのお話をいくつもうかがった。 その中には現在政治資金問題の渦中にいる方や亀井静香さんなどもおり、我々市井の者が知りえない話や人物像がうかがえて、やはりそうであったかと合点することが多かった。

 そういった話や最近のニュースの中心にあること、またいくつかのブログ記事などを押しなべて見ると、この所の検察は国の機関としての動きではなく、アメリカCIAの傘下に組み入れられたような動きをしており、国の本来の機関としての動きをしていないように思われる。(現政権の法務大臣は何をしているのだろう。 雲隠れしているのではと思えて仕方ない) マスコミ然りで、一部の権力機関や権力者のための捜査摘発だと思われて仕方なく、今まさに変わろうとしている政治体制に水を差し、再び政権を元に戻すような画策をしていると思えてならない。 そして、国民はそういう実情を知ろうとせずに、テレビのワイド番組で話す愚かなコメンテーターの言葉を信じてしまっている。

 韓国では、テレビのことを「馬鹿箱」というらしく、日本のテレビ番組は実に愚かな内容を放送していると、韓国の人に聞いたことがある。(韓国の番組も似たようなものはあった) そう云われるまでもなく、我々は、日本のテレビや新聞の殆どは実に「馬鹿箱」であることを自覚するべきあると思う。 今日はネット社会なので、自分の判断に必要な情報はいくらでもあるので、自分の頭で考え何をすべきか理解できるはずである。 「一億総白痴化」といったのは大宅壮一であったか、あれから何十年経っても「馬鹿箱」は変わらないのである。 テレビのデジタル化だとか、薄型テレビとか、大型テレビだとか、そんなことを話題にするよりも、自分が馬鹿箱に振り回されないよう利用するにはどうするのか、考えるのが先決であろうと感じている。

 聡明な客人を見送って、帰りの列車の中で考えたのがそんなことであった。 因みに、我が家にはパソコン画面はかなりの数があるが、テレビ(受像機)は常住場所に1台のみでそれも物置のような部屋に置かれたままである。



2009年9月5日土曜日

いよいよ旅立ちです

 放浪の旅と云ってもいいような韓国巡礼の旅に出かけてきます。

 若者についていけずに早々にギブアップするかもしれませんが、皆に迷惑をかけずに微力ながらお手伝いも出来て、少し心の通いがあるような旅にしたいと思ってます。 帰ってくる頃の黒姫は一面銀世界かもしれませんね。

*トップページに表示しましたように、当ブログシステムに不具合が生じた場合はご容赦下さい。*

半島へふたたび


2009年8月25日火曜日

仏・ヴェズレー大聖堂の映像が届く

 今朝の黒姫の温度は14度。 これでは厚い布団をかけて寝たり、ストーブをつけないと居られないほどで、既に秋は始まっているようである。 常住場所でも涼しくて快眠のもと目覚めることができた。 今日は家内の遠い昔の友人ご夫婦に招待され、気のおけない話に終始し楽しい時間を過ごさせていただいて来た。

 そのため帰りが遅くなってしまったが、先日オルガン演奏を聞きに出かけたと記した際にお話することができたダミアン原田師から、フランス・ヴェズレーのサント・マリー・マドレーヌ大聖堂で演奏された様子を写したDVDと、Un Autre NoelというCDを頂くことができたので、その一部を残そう。
 ユネスコ世界遺産にも登録されているという大聖堂の中での演奏は荘厳であり、また鳥のさえずりのような自然界にいるような趣にもさせてくれ、何とも気持ちが良い。 CDにはクリスマス曲が収録されているが、クリスマスシーズンでなくても違和感なく聞けるし、先日記した、COMPASSION(時を超えて)とともに、メディテーションに相応しいCDである。 早速、iPhone(iPod)に収容し、しばしば聴くことにした。 結果、ヴェズレー・ルートが近づいて来たような気もする。

マドレーヌ大聖堂
マドレーヌ大聖堂
マドレーヌ大聖堂
マドレーヌ大聖堂
マドレーヌ大聖堂
マドレーヌ大聖堂
マドレーヌ大聖堂
Un Autre Noel


2009年8月16日日曜日

「蝶文明」出版記念トークを聴く

 昨日15日は敗戦記念日であった。 一般的には終戦記念日と呼んでいるが、太平洋戦争は能動的にも自然に終わったわけでもなく、明らかに日本が起こした戦いに日本が負けたのである。 だから、「敗戦」と言うべきだと思う。 そして、広島の原爆記念日からこの日まで戦争の悲惨さ、そして平和の尊さがたびたび叫ばれるが、あの未曾有の被害や、日本国民(のみならずアジア人を含めた)の苦しみを起こさせた、当時の政府高官や軍人に対し責任を求め糾弾する声はなかなか聞こえてこない。 逆に戦犯を奉ったという靖国神社に大臣が参拝することの是(非)ばかりが聞こえ、昭和天皇の責任問題に言及する政治家、知識人、書籍も非常に少ない。 そんな中、かつての軍国主義を彷彿とさせる皇国史観に基づいた文部省検定の歴史教科書を政令都市が採用することに決まったそうだ。 その中には作り話である神話までが収録されていると言う。 これでは先の大戦で犠牲となった兵士、一般人、開拓民、大陸から連行された人々達の生命を冒涜するものであって、戦後の人々(特に政治家や学者、官僚など)は何も学ばずに反省もして来なかったことになる。

 さて、昨年の夏は黒姫にいて、「石の鐘のこだま」や「信州戦争展」など、かつての戦争を思い起こす機会があったが、今年は「嗚呼 満蒙開拓団」という映画を観た以外に何もなかったものの、昨日は、出版記念トークライブに出席して、日本に一番近い国である韓国とのかかわりについて考えさせられるお話を聞いて来た。

蝶文明

 会場は、新宿のNaked Loft。 ライブハウスというらしい、普段なら全く縁のない場所で、小さなステージに30人位しか座れないようなフロアの一角に座った。 前半のミュージシャンについて事前知識がなくその演目も把握していなかったので戸惑う感じもあったが、皆若さに溢れ、思い思いの形でメッセージを送ろうとしている姿に共感できた。

演奏と歌

 そして、後半は、「蝶文明」を出版された正木高志さんのトークであった。 正木さんのトークはこれが二回目で、既に前回聞いていた内容もあったので、自分の理解を再確認する意味にもなった。 正木さんは熊本県の阿蘇山麓に生活の本拠を置き、自然神という観念だと思うが、東洋的思考のもとに、自然との関わり、人々との関わりを求め活動をされている。 そんな中で、原子力問題、日本の軍備問題(憲法9条)を強く意識され、アジアの平和は、日本国憲法の9条を支える所からはじまると、秋には韓国一周巡礼の旅を行い、今なお傷癒えぬ韓国の人々との融和や先の大戦の実態を理解し合おうと計画を進められている。(詳細は、正木さんのページとWalk9のページへ)

 昨日手にしたばかりで本書はまだ開いていないが、春に芋虫がたくさんに発生して緑の葉を食べつくそうとするが、その虫はやがて蝶になり、花の蜜を吸い交配を助けるという自然の摂理から本書のタイトルを付けたものと思う。 正木さんには、既に「木を植えましょう」、「空とぶブッダ」、「出アメリカ記」、「スプリング・フィールド」を出版されており、家内は全部購入し読み終えているが、最初に出版された「スプリング・フィールド」が一番理解が難しいと云う。

歌う正木さん

 正木さんは、たぶん自分と同年代だと思うが、朴訥とした話の中に若者を引き込む力があり、これからもいくつかトーク&ライブを予定されているようだった。

正木さん

 そして、会の最後にいつも歌われている「シャンティー」を聴衆と一緒に合唱し終了した。 「シャンティー」とは、「平和 - 心の平和」という意味だそうだ。

 最後に、19日東京・高尾で予定されている正木さんのトーク&ライブのチラシと、三鷹で22日と23日に予定されている「三鷹 いのちと平和映画祭」のパンフを残そう。



2009年8月12日水曜日

脳死は人の死ではない

 脳死を一律に人の死とし、本人が拒否しない限り臓器提供を可能とした「臓器移植法案」が前国会で通ってしまったが、実に節操がないというか国会議員の無精神性、無人格性、無宗教性に唖然としてしまった。 法案を通すにあたって、重症患者、それも小さな子供の命を守ることばかりが喧伝され、臓器を提供する側の人格を全く無視してしまっていたのであった。 この法案の裏には、医療技術の開発や薬剤投与による収益拡大をもくろむ医師会や製薬会社の意図が存在していると想像される。

 人間の体は、心と身が一体となって生きているものであり、体の一部が機能しないからといって、全身を否定することはできない。 脳死したとされる患者から臓器を取り出す際に、異常な汗をかいたり暴れだすような状況になるらしい。 そのために鎮静剤を打ったりベッドに縛り付けたりして臓器を取り出すと聞いた。 つまり脳死と宣言しても、その人の体は生きているのである。 この移植法は医療行為による殺人行為であり、決して存在すべきものではない。 臓器を必要とする重症患者の存命を期待するより、その患者がいくら短い人生であっても、より良く生きるような精神的な支えをするのが人間の為せる業だと思う。

 従い、自分(家族を含め)は臓器ドナーにならないため、ノンドナーカードを携帯し、その意思を示すことにした。 このカードは人類愛善会という組織で作成されているもので、お願いして送って頂いた。 上部組織は大本(教)という宗教団体で、その教義については全く知識はないが、死刑制度反対への意思表示など、自分の思考とは共通項が多い。

ノンドナーカード
ノンドナーカード


2009年6月21日日曜日

父の日に思う

開智学校前にて

 今日は「父の日」だそうだ。 そうえいば、どこかのテレビ番組で、普段のお父さんに点数を付けるとしたら○○点だとか、また父の日のプレゼントでデパートの特設売場でよく出る商品を紹介していた。
 自分が育ったのは半世紀前の、敗戦後間もない時期で、質実剛健をモットーとするような家風が吹き荒れ、家庭内でプレゼントをするような習慣は全くなく、山から小枝を集め風呂の焚きつけにし、畑で麦や野菜を育て、小遣いなどなく学用品など真に必要な物だけを買ってもらっていた。 そのため大人になったら、社会人になったら、何々ができるだろうと期待し、その段になるとやや浪費癖がついてしまったようにも思う。
 しかし、いざ自分が家庭を持つ頃になると、限られた収入ではなかなか思うようにはいかない。 しかも我が家には女の子がいなかったため家族関係はある意味ではさっぱりしたもので、サンタさんが実在しないことが分かってからはプレゼントという物はあまりなかった。 その代わり幼児時期には情操教育の観点から随分と良い絵本や玩具を与えていた。

 そんな自分の家庭であったが、今思うと「あんなこと、こんなこと」をして居れば、もっと良い教育ができたのではと反省することが多い。 しかし、子供達が独立しそれぞれが家庭を持つと、今度はお嫁さんが気遣いしてくれ、母の日・父の日などに声をかけてくれる。 そんな時、ふり返って自分の両親には何もして来なかったと、今になって「感謝」の気持ちをもっと表していればと省りみることも多い。 今日は、「孝行したい時には親は無し」という言葉が実感される日でもある。

 お嫁さんのおかげで息子たちも我々を色々気にかけてくれるようになった。 気にかけてもらい、心配することや気に病むようなことがないのは、我々にとって幸せなのかもしれない。 我々が生きて来たように、若い人たちもこれから子育てや家庭内の諸事、色々考え悩み人生の晩年まであれこれ荒波を越えて行くのであろう。 どんな時でも、常に穏やかな心で過ごしてもらえることだけを願いたい。 彼らに平穏や安然があれば他に希むものはない。

千鶴


2009年6月5日金曜日

「私の夫はマサイ・・・」を読む

私の夫はマサイ戦士

 今日は、「私の夫はマサイ戦士」という本を読んだ。 著者は、海外旅行の添乗員を職業とされている永松真紀さんという方で、アフリカのケニアに魅せられ、観光客ではなく生活者として滞在する中で、マサイ族のエウノトという儀式を訪ねる。 マサイ族には少年期から最長老期まで5つの節目があり、その節目ごとに儀式が行われるらしい。 永松さんは、そのエウノトでジャクソンという男性に巡り会うのだが、凛々しい戦士の姿に憧れ再会をはたす。 しかし、ジャクソンは村の長老と合議し、永松さんを第二夫人として迎える話を持ち出す。

 添乗員の仕事からケニアに魅せられた状況を淡々と描写し、首都ナイロビからバスで1日以上もかかるジャクソンが住むエナイボルクルム村の生活、一夫多妻制度のこと、セックスのことなど日本(あるいは西欧)との違いなども書かれており、ある意味では理にかなった成熟した社会(村)のようにも思えた。 第一夫人との関係も良好だと、日本でもよくあった(ある)本妻と妾という関係とは全く異なるらしい。 特に、

愛 = 信頼

と彼女が述べているくだりは、日本など先進国の人々が忘れてしまった、逆に斬新に感じられる部分ではないかと思った。 彼女は、村に専用の住まいを持ちながらケニアを中心に添乗員の仕事を続け、日本に帰っては講演などを行っているらしい。 彼女のホームページがあった。 彼女のスタディーツアーやCDによる収益で、村の生活向上や子供達の教育に力を入れたいという、牛貯蓄プロジェクトを展開している由。