時間が空いたので、本日開通した横浜のみなとみらい線(横浜高速鉄道)の新線沿いにウォーキングしてみた。
渋谷から桜木町に通じていた東横線(東京急行横浜線)の横浜・桜木町間は1月30日を持って廃止となり、31日から東横線は東白楽駅で地下にもぐり横浜駅に通じ、ここからはMM線として元町や中華街まで地下鉄として延伸されたのである。
まず、一昨日まで営業していた高島町駅に行くと、既に工事用鉄柵で覆われ見る影もない。 脇に立つ警備員に聞くと、高架の黒い天井壁は空襲の際に焼夷弾で焼けたものだと云う。 この高架は昭和7年に建造されたもので、この駅は三菱重工業横浜造船所の高島口から、大勢の職工さん達が乗り降りした駅でもある。
ほど近い桜木町駅付近では、1951年に所謂「桜木町事件」という国鉄の京浜線車輌から火災が発生し、100人以上が犠牲になっている。
その昔、付近の埋立事業を行った材木商に因んで名づけられた「高島町駅」は「新高島駅」となって、昔国鉄の機関庫があった場所近くにあり、現在は周囲に建物が殆どないが、間もなく大企業(日産)の社屋が建つらしい。
次の「みなとみらい駅」は、クイーズイーストB棟につながる大きな駅で、コンコースには大型プロジェクターが設置され白い壁面に大きな映像が映し出され、人の動きに感知して映像も動くらしい。
「西部警察」など刑事物映画の場面ともなった万国橋を渡ると、間もなく「馬車道駅」で、赤いレンガ壁が横浜開港当時の雰囲気を伝えている。
あとで知ったことだが、馬車道駅構内には銀行の店舗にあった開港当時を伝える壁画なども大きく飾られているのである。
神奈川県庁脇の「日本大通り駅」には、往時の横浜の姿をレンガ絵で見せていた。
物見遊山の人々はどんどん増え、終点の「元町中華街駅」では駅のコンコースに入れないほどの人数で、とうとう見学するのを諦めてしまった。 中華街の飲食店は隅々の小さな店までも行列していた。 元町商店街も中華街も開通にあわせてメイン通りの模様替えをしたと聞いていたがあまりにも多い人々に恐れをなして別の日に譲ることにした。
景気の低迷でMM地区の開発は遅々として進まず、幕張や品川・大井町などの新都心開発に遅れを取っているようであったが、やっとここに来て地元経済の活性化への弾みがつくような印象の一日であった。
(旧徒然日記から転記)
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