今日は建国記念日という国民の休日である。 私達には単なる仕事が休みの日であるが、政治家にとっては大事な一日なのであろう、昨日は日露戦争100周年を祝って政界の有象無象の妖怪達が明治神宮を参拝、小泉は先の大戦のA級戦犯を靖国神社に合祀することに躊躇しないとも言ったとか。
そもそも建国記念日というのは、神武天皇の即位日を旧暦でたどると2月11日となったというもので、明確な理由はないらしい。 つまりアメリカの独立記念日のように誰でも納得でき、祝いたいと思える根拠がないのである。
「みどりの日」は昭和天皇の誕生日、「海の日」は明治天皇が東北巡幸から帰った日。 国民の休日の多くが天皇制賛美、神道史観に基づくものなのである。 憲法で信教の自由をうたいながら、実際の行政立法の場面では政府自ら憲法の理念をやぶり、国民に一方的な信教を強制しているのが現実なのである。
たまたま学生時代の旧交を温める会があって知ったことだが、小中学校の教育現場では、精神的肉体的な障害者であっても「日の丸・君が代」の完全励行に参加させ、これが出来ない教員は失格というレッテルを貼られ、訓告、減給、解雇を脅しに使う強権発動状態にあるという。 ここでも八紘一宇の徹底が図られているのである。
かたや自民党は議会での絶対多数を得るために公明党の協力を得ているが、周知のごとく公明党の本領は創価学会である。 で、創価学会は日蓮宗を基に価値を見出す(現実には日蓮正宗からは破門されており、本尊も教義もない、名ばかりの宗教団体の筈)、価値を作り経済的な富を持とうというもの(宗教性が陰を潜め経済を優先するという意味では共産主義思想に通ずるものがあろう)。
神道の流れと創価思想がどこでかみ合うのか分からないが、要は、政治屋はその時その時の都合で行政にあたり、その中には日本国憲法という規範もなく、日本という国を滅茶苦茶にしているだけなのである。
先の大戦の間に、開拓という御旗のもと満州に渡り命を亡くされた人々、敗戦間際に沖縄など玉砕を余儀なくされた人々、炭鉱労働に従事させるために日本に来た(徴用された)韓国人、慰安婦など強制労働に従事した人々、戦後北朝鮮に渡った人々など兵士以上に辛酸をなめ国策に翻弄された人々は沢山いるのである。
そのような人々の心に思いをはせるのではなく、単に国のために戦ったというだけで戦争犯罪人を合祀するのは、もう為政者のすべきことでなく、それこそ日本国民ならず人類に対する犯罪行為である。
国の誤った過去の行為を反省し、関係国と平等関係を作り上げ、誰もが真に尊いと崇めることができる「国旗と国歌」、「天皇制」を国民は望んでいるのである。 戦後50年の中で何も対応してこなかった政治家の怠慢であり、国民を騙し続けた点ではそれこそ犯罪行為に等しく、その一端に北朝鮮の拉致問題もつながっていると知るべきなのである。
こういった思考は決して左翼的ではなく、逆に、”新右翼”と称する人々の考えの中にも通じ納得できるものを見つけることもできる。 しかし、戦争犯罪人東条英機を総とする翼賛政治会のように、世界の流れに逆行するようなきな臭い澱みが蠢いているのが、今日の現状であると思うと、焦燥感しか残らなくなる。
(旧徒然日記から転記)
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