書類の整理をしていたら、「幻の野尻湖人を追う」と題した新聞(日本経済新聞朝刊文化欄)の切り抜きが出てきた。
1990年3月20日の日付になっているので、我々が信濃町に家を建てようと工務店と検討していた時期ではなかったかと思う。
3年に一度の野尻湖発掘調査については聞いていたが、ここに書かれているような、発掘の期間中、野尻湖新聞が発刊されていることを知らなかった。 この記事があった年が発掘が始まって30年とあるから、今年は45年を越えるわけで、間もなく50年。 半世紀にわたる偉業が続けられたことは素晴らしいことだし、信濃町の大きな財産にもなっているのではとつくづく感じた。(記事をクリックすれば読めます)
寄稿された酒井潤一さんという方は、当時は信州大学理学部に勤められ地質学がご専門のようで、インターネットで調べたら、2002年に信州大学を退官されたとあった。
今年の発掘は16回目で、発掘ガイド・ボランティア募集の案内が信濃町役場のページに掲載されている。 そして、発掘作業を取りまとめている野尻湖発掘調査団の事務所が、信州大学理学部地質科学教室にあると知った。
調べている途中で、奥様のこんな記事「あの日あの空」(市民タイムスの過去の記事のよう)を見つけ、更に森のおうちという絵本美術館を穂高町で開いておられる、と知ったが、寄稿者ご本人のことを記載したサイトには出会わなかった。
そう云えば、昨年9月に、3万年前の仲町丘陵を描くというタイトルで野尻湖博物館の方のお話をうかがったことがあった。
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