NHKで毎朝放送されているドラマで、女流の落語家にまつわる話が流れているらしいが、この所落語に関係した書物を二冊読んだ。 一冊は、「米朝 よもやま噺」、もう一つは、「あらすじで読む古典落語の名作」である。
桂米朝さんが、埋もれていた噺を復活させ、上方落語界を盛り立ててこられたことはよく知られていることであり、ウイキペディアを見ればその業績のあらかたを知ることができる。 本書は、ラジオ番組(ABCラジオ)で2005年から話された内容をベースに、米朝さんの60年の落語家人生の中で行き会った人々を描いているのであった。
昔の噺家ばかりでなく、漫才師、講釈師、浪曲師、弁士などと内容は多岐にわたっており、代書屋を開いた師匠や交通局など役場勤めをしながら芸を磨いた噺家もいたとあった。 自分の育った世界とは異なる所で、そんな変わった面白い人がいたのかと、新しい発見があって楽しい本である。 永六輔や小沢昭一らと開く東京やなぎ句会など、その活動は落語に限らない。 米朝さんを含め、そういう逸材はこれからの世には現れないであろうと思う。
もう一つの「あらすじで読む 古典落語の名作」は、劇作家の野口卓著、落語家の柳家小満ん監修で、噺を得意とした落語家の名とともに、噺の概要やコメントが書かれているものである。 101の噺が収録されており、概要なので初めての噺では、その面白さがあまり伝わってこないが、題名を知っていて内容を忘れてしまった時には重宝しそうだ。
「猫の皿」という噺は、道具屋の上手を行く茶店の親父の噺なのだが、「川の手前まで来ると一軒の茶店があった。奥では爺さんが、へっついの下を火ふき竹でさかんに吹いている。」と、こんな変哲もない描写を聞いて、今の若者はその様子を脳裏に描けるであろうかと思われた。 「へっつい」も「ひふき」も、現代の日常生活にないものだからである。 昔の生活を具間みたことがある自分達の世代で、こういう古典は終わりになるのではと、老婆心ながら危惧してしまう。
こういうふうに、芸に長けた人々の話を聞いたり著作を見るのは非常に楽しいのだが、最近、テレビによく出てくる、「師匠」などと呼ばれる、にわか落語家には不愉快きわまりない思いがする。 まともな噺もできないのに、縁戚の名跡を継ぐなどというのは言語道断だ。 そういう意味では、米朝さんの長男である小米朝さんは、米朝さんの心根をそのまま継いでおり、今秋、米團治襲名だとか先が非常に楽しみである。
テレビは、顔を売りギャラを稼ぐ場であることを誰もが気づくべきだ。 某大臣も某府知事も結局はテレビによる幻想で、その職を得たのである。 テレビではなく寄席へ出向いて、真の噺ができる噺家を見つけたい気になってきた。
さて、NHK朝ドラに出てくる師匠宅前に、「寝床」という居酒屋があるが、たぶんこの名も -上方と東京の違いはあろうが- 落語の噺から来ているように思う。 上のあらすじ本に寄れば、
「寝床」は、義太夫に凝った商家の旦那が一声聞かそうとする噺で、語りを聞かせようとする所から始まるが、皆逃げてなかなか聞いてくれる者がいない。 仕舞いには、長屋の者には明け渡せ、店の者には暇を取らせると怒り出したので、仕方なく皆聞く羽目になってしまう。 しかし、いざ語りはじめると、場がいやに静かになる。 皆目の前の料理を満喫し寝てしまったのであった。 唯一、起きていた小僧の定吉にどうかと聞くと、旦那が語った場所が定吉の寝床で、空くのを待っていた由。
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