信濃町ひとときの会が主催した、山城「割が岳」城跡の散策に参加して来ました。
荒瀬原から涌井、豊田につながる道の途中に集合する場所があるかと思い、速度を出して走っていたら、左側の広場に何やらかなりの数の人が集まっている様子で急ブレーキ。
水穴の隣が柴津であることは知っていたのですが、すぐ隣だとは思ってもいませんでした。
集会の受付手続きを済ませ、今日の案内人である関塚さんから挨拶がありました。
信濃町議会の元議長でおられた関塚さんはなんどかお会いしたことがありますし、地場産の豆腐を奥様が配達してくれた上に畑で取れた野菜を下さったりして、当方としては旧知の方々でした。
まず「割が岳」周辺の地形の説明があり、「水穴」「柴津」「古間」「船岳」など「水」に関連した地名であった由。 町内には、古間、柏原、野尻に宿場がありましたが、最初に開かれた宿場は古間で、柏原は水の流れに算段したため開かれたのは遅かったようです。
9時半頃から、移動を開始し、最初の説明はなんと「焼き場」
水穴が村であったとき、死者を送る場所がここであったと、今は畑の隅になって、とうの昔のことが思い出せる場所ではありませんでした。
そして、「姫の泣石」、説明板の横にある石碑のことかなと思いきや、斑尾山の噴火の時にできたのであろう大きな石の塊でした。
説明板を拡大しました。
巨石を右側からやや斜めに見ます。
ちょっと分かりにくいですが、真ん中の出っ張っている部分が鼻、その右上、そして左上が眼、鼻の下が口ということのようです。 確かになるほど「顔」だと思えました。
間もなく城山神社の境内前に来ます。 鳥居の横に山頂への道が続くのですが、今は私有地になっているとかで通行ができません。
一旦、車道に出てから関塚宅の長屋門をくぐり、建屋の周囲を巡ってから山に入りました。 途中には関塚さんの先祖が眠られる墓所がある由。
紅葉のトンネルを抜けると杉林が続きます。
直登の道もあるとのことですが、我々はジグザグの昔の道を登って、10時35分頃に山頂に到着しました。
山頂には祠と案内板。
枝の間からスノーパークが見えました。
そして野尻湖の湖畔がかろうじて見えました。
一段下がった所が狼煙をあげた場所だそうです。 ここから髻山(もとどりやま)城や野尻城と通信を行った由。(髻山はこの4月に歩いて来ました。小林一茶が江戸に出る際、父親と別れたという三本松から急坂を下った途中に登山口があります)
武田と上杉の合戦場であったのでしょうが、取ったり取られたりということで詳細は不明の由。
曲輪を巡って下山を開始したら、称名寺の本堂が左下に見えました。春であれば枝垂れ桜が見られるのですが、その頃になったら木々の葉が出て遠くの様子は見られないでしょう。
関塚家の裏庭のカエデがきれいでした。 出発地に戻って解散、個人ではとうてい訪ねることができない有意義な歴史散歩でした。
当日、いただいた資料から
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