今日の”しんまい”には、都会から自然を求めて町を訪れる人に「癒し」を与える、「森林メディカルトレーナー」の養成講座を信濃町が中旬から開くと掲載されていた。
講座の定員30人に対して80人もの応募があり、関心は高いらしい。 その関心の高さは喜ばしいが、数日前もこの欄に書いたが「癒し」という言葉に、現代人の心の軽さをどうしても感じてしまうのである。
「心が和む」というのは、与えられるものでなく自ら感ずるもの。 その下支えになるものを整備しようというなら結構なことだ。 自然や観光、農業で町をイメージアップしていこうするなら、まず鳥居川へのゴミの不法投棄や空地に置かれた建築廃材の山などを解決し環境条例を施行するなどの対策からはじめることが肝要だと思う。
それにしても日本の為政者は、居心地の良い椅子に座ると、正常な思考力や判断力を失うようだ。 神奈川県知事が今回非常識な発言をしたと聞いた。 発言を撤回し謝った所で、本人の見識の無さは解消されないことを自覚していないのであろう。
自己の考えをはっきりと強く言うことはリーダーにとって必要なことであろうが、きちんとした歴史認識や論理立てがなければならない。 小泉や中曽根、麻生、石原...等、 ものの考え方の基本から教え込まなければいけない輩が両手の指だけではおさまらない現実になさけない思いがする。 本多勝一氏の著書「貧困なる精神」が書かれてから何年も経っているのに..
(旧徒然日記から転記)
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