昨日、書いた遠藤周作さんの書の中の最後の方に、「老いれば死ぬのは怖くない」という章がある。
その中に、「宗教に異端はない」という段落があり、現代の宗教界には対話姿勢が深まりつつあると記している。 そういう流れの中で「深い河」を著されたと、
「深い河」に登場させた大津という神父に、私は同じことを言わせている。 彼はクリスチャンの家庭に生まれ、当然のように信者になったものの、キリスト教の一神教に疑問をもち、教会から嫌悪される。 悩み続けながら彼はインドでヒンズー教徒と生活をともにし、行き倒れの死体をガンジス川に流す仕事に生き甲斐を見出すのである。
結局、どの宗教を選ぶかは、人間の生まれ育った環境、地盤、歴史によって決定されるものではないかと、述べている。 そして、それを尊重することが大事なのである。 ただ、こういう記述もある。
区分けの時代は少しずつ終わりつつあるとは思うが、しかしまだ一部のことである。 日本にいては宗教は依然として排他的であり、残念なことに敵意や憎しみによって連帯を強めている。
特に、近代経済の発展と共に、道徳や善悪の観念がどこかに押しやられ、経済基盤の上に安然があるとして、やくざのシマ争いのように拡大しているような宗教は本来の宗教ではない。 ヤクザと同じ、ただの権益集団である。
さて、黒姫駅の待合室の壁には、こんな列車時刻表が貼ってあると思うが、書棚を整理していたら1994年(平成6年)の列車時刻表が出てきた。 長野新幹線が開通したのが1997年10月だから、その3年前のものである。 現在の信越線の列車本数が少なくなったと思っていたが、これを見ると本数だけで見ると10年前とあまり変わってはいないようだ。
特急旧あさまに最後に乗ったのは、1997年8月15日。 あの時の列車は、現在は快速列車「妙高」として走っているが、北陸(長野)新幹線が延伸された時はどうなるのであろうか。 信越線の存続が危ぶまれている。 今の体力と健康状態では、車で行き来できるのだが、そのうち歳を重ねれば鉄道を主に使わざるを得ない。 万一、廃止されるようなことがあったら、黒姫での生活を続けることも難しくなるであろう。
◎上下別々にA4スキャナーで取り込んだ
◎PCで結合したもので、サイズは小・中・大
サイズ(中) サイズ(大)
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