12年前に韓国巡礼と銘打った韓国をめぐる歩き旅で出会った仲間、そしてその後いろいろな形で関わりを持った人たちが集い、演奏や出店などでひととき楽しい時間を過ごすイベントがあるというので佐久穂町へ出かけて来ました。
中野インターから上信越道に乗ろうと五岳道路を走っていると、三水の直売所である三ちゃんの駐車場にはたくさんの車が止まり、テント前にはたいそうな行列ができていました。 「サンふじ」を買い求める人たちであろうと分かりましたが、今年のふじの生育はあまり良くないようで、それを知って早いうちにいいものを得ようと長蛇の列を作っていたのでしょう。
目的地までは120kmほどで、上信越道、中部横断道路を走行、途中トイレに寄りたくなり、佐久南インターで降りて道の駅へ。 広い駐車場なのに満杯で駐車するのに一苦労しました。
こちらでもリンゴや野菜を求める人が並んでいましたが、リンゴは16〜20玉の箱が殆どで14玉の箱は少なかったです。
中部横断道路は、長野県から静岡県清水市までつながっていると思っていたら、八千穂高原から長坂までは工事すら始まっていない由。
高速を降りてからは秩父街道という川沿いの道を十石峠さらには上野村方面へと向かう途中が、当日の会場でした。
数年前に古家を購入し入植した洋君に会うのは1年半ぶりで、前回は千曲川氾濫被災地の豊野・赤沼でした。 被災地の片付けなどボランティアが活動している場所で、住民とボラ仲間たちに楽しんでもらうイベントとして餅つきを企画し、家内は小豆を煮て餡を届けました。
ボラグループであるMake Happyと関わりを持つようになったのはこの時からでした。
その前は、2011年の東日本大震災の救援活動を終えた洋君が、韓国巡礼で一緒に歩いたスニちゃんともども黒姫宅にやってきた時でした。 その時すでに二人は結婚することを決めていたようでした。
スニちゃんは7〜8年ぶり、洋君は1年半ぶりの再会でした。
そして当日の演奏者の一人である圭帆君とその奥さんのジョンミさん。 二人は12年ぶりの出会いでしたが、昔のままの笑顔に出会えました。
昔の圭帆君はレゲエスタイルで歌もレゲエ調であったと記憶しているのですが、昨今は歌の内容が変わってきたようです。
(因みに、今でも歌っている仲間は、カンペイさん、ピカレ、ケイホ君)
以前から圭帆君の名前の由来が気になっていたので聞いた所、実名で「圭」は「天子から受けた玉、潔い、大事なもの」などの意味だそうで、「帆」は「風を受けて進む船」、ということで分かりやすく言えば「宝船」だそうで、ご両親はいい名前をつけてくれたのだねと応えました。
会場は、ふだん田んぼや畑で野菜などを生産している場所で、皆が集えるようにと片付けて場所を作ったとのこと。
洋君がポン菓子製造の準備をはじめました。
12年前に韓国で出会った若者たちの中には、ほかに京都府綾部市や熊本県阿蘇で農業をしながら地元との関わりに意を注いでいる仲間がいますし、東京八王子市小金井市や糸島市の市会議員になって地域の行政にもかかわっている人もいます。
しかし、残念こともありました。寡黙だが、絵画や彫刻の多才な能力を持っていた陽介君が家庭をもちお子さんもいたのに早逝されてしまったことです。
かつての日本軍が侵略した朝鮮半島をめぐりながら、若者たちはいろいろ学習し、その学びを元に日本の各地で地についた生活をされているようで、我々老齢者にとっても嬉しい時を過ごすことができました。
しばらく話をし、皆が出店や演奏機器の準備をしている中、まだお客さんが増えていない頃を見計らって、午後から予定のある我々は早々に別れを言い会場を後にしました。