先日、日本人の精神世界発祥の地であると云われる高野、吉野、熊野という三大霊場と、その三角州の中心に位置する天河大辨財天社を訪ねる旅をしてきた。
吉野山は、金峯山寺(きんぷせんじ)という修験道の総本山で、修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が開き、蔵王権現を祭ったのが始まりとされている。 蔵王権現は吉野の神であり、桜はその神木らしいが、未だ開花しておらず堂を訪ねる観光客もまばらであった。
奈良県吉野郡天川村にある天河(てんかわ)大辨財天社では、能舞台に腰を下ろし社殿に参拝、宮司さんから由来や背景を伺う。 祝詞の中に、経文「ハラミツ...」と同じようなくだりがあると思ったら、明治維新以前の神仏混交時代の名残だという。 昨年夏には七夕神事にスーザン・オズボーンの歌声が奉納されるなど、訪れる芸術家は多い。
高野山では、宿坊別格本山「清浄心院」に宿泊したが、お坊さんから真言密教の話を伺い、天河神社での話と同様に、古来の信仰の奥深さを知ることができた。 翌日には、弘法大師御廟のある奥の院で朝の荘厳な読経に浸ったあと、金剛峰寺(こんごうぶじ)の堂内を案内していただき貴重な書画なども見させていただいた。
熊野では、本宮、速玉、那智の三大社を訪ね、守り神である八咫烏(やたがらす)を知った。 2月の知床行きでワタリガラスの鳴き声を実際に聞いていたが、エスキモーの世界にも共通するものがあるらしい。
古道歩きは、発心門王子から熊野本宮を経て大斎原(おおゆのはら)まで、更に中辺路では継桜王子から牛馬童子像などを見て大坂本王子までと、ほんの一部であったが、森深い古人の世界に浸ることが出来た。
最後は、田辺市にある南方熊楠旧宅を訪ねたが、熊楠の稀有な才能の世界に触れ、野中の一本杉保存や一町村一神社とする合祀反対運動など、住民の心に立つ心意気に感じ入ってしまった。
毎日早朝4時や5時起きの強行軍で食事の楽しみもなかったが、通常の旅では見聞できないような機会に恵まれた古道歩きであった。
(旧徒然日記から転記)
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