24年前の2月24日、我々家族はみぞれのような冷たい雨が降る中、いまはない東京・後楽園のスタジアムにいた。 1978年に就任したばかりのローマ・カトリック教会の教皇ヨハネ・パウロ二世がバチカン市国の宗主として初めて来日し、この日後楽園で教皇ミサが執り行われ、これに与るためであった。
今朝の報道で、教皇が午前4時37分に84歳で帰天されたと知り、かつてのあの日のことを思い出したのであった。 26年の在位期間中に平和のための海外司牧訪問は100回以上、十字軍やガリレオ、東方教会などに対する反省と和解、ヨハネ・パウロ二世の業績は計り知れない。
教皇の精神的な支えをバネに、ポーランドの民主化や東西ドイツの統一が進み、ロシアの共産主義体制が崩壊し、冷戦の終焉を見たのであった。 教会という世界だけでなく、このように地球上という大きな歴史と未来の流れの中でとらえても大変な偉業の人であったと云えよう。
無償の愛に生きたマザー・テレサの偉業については皆が知る所であるが、ヨハネ・パウロ二世も聖人に列聖されるほどの貴重な精神的指導者であったと思う。
1989年、教皇の生まれ故郷であるポーランドを家内が訪ね、秘密警察の監視の中で連帯のワレサ委員長と会うなど、国家体制の大きな変革の中で地方に住むことの豊かさとという意義を見つけ、結果として我々は信濃町に住まいを構えたのであった。
政治家も宗教家も個の益に拘泥せず、教皇が言い行動してこられた「和解と平和」を実践すれば、地球上の貧困や悲しみ、争いはなくなる筈なのだが、現実は悲しい。 地上の物質的な富を彼岸まで持っていくことなど誰も出来ないのに、そんな簡単なことすら気づかない人間が多すぎる。
(旧徒然日記から転記)
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