今朝、起きた時の最初のニュースは、バチカンの教皇選挙コンクラーベでドイツ人枢機卿が265代目の教皇に選出されたということであった。
南米もしくはアフリカからの選出があるのではと聞いていたので、ドイツ人で78歳の年齢に少し違和感を感じたが、先の大戦で辛酸をなめたポーランドの次に、ナチスに翻弄された国の人が選ばれたということは、ヨーロッパの戦後処理的な感覚があるのかもしれないし、アメリカの一人勝ちのような今の世界を、EUという組織の更なら強固を図ることで力の均衡を願うものなのかもしれない。
(60年前の新教皇は18歳だから、本人の意思にかかわらずナチス青少年組織ヒトラー・ユーゲントに組み込まれていたことだろう。 ヨーロッパではそういう情報も流れているようだ)
しかし、保守的な考えの持ち主で、高齢ということは違う目で見ると、あまり大きい変革は起きないということかもしれないし、中継ぎ的な要素もあるのではと容易に考えられる。 逆に見ると、保守的であるということは、キリスト教創始期の流れが営々と続いて行くということだ。 と云っても、ドイツはプロテスタンティズム発祥の地だろうし、カトリックはイギリス国教会、ロシア正教などという派生宗派がある。 イギリス国教会は国王の都合(離婚?)で分派したもので、ロシア正教についてはその要因を知らないが、よりストイック的で戒律的である所はイスラム教に似ていると思う。
さて、日本の仏教界や神道の世界を見た時はどうなるのだろうか。 宗派や分派が多すぎて分からないというのが実際だが、西洋と同様に長い歴史の中で時代の人々に支えられてきたものが、本当の宗教であろう。
そういう意味でも、近代(経済)化の波に乗った、過去100年の間に発生もしくは分派した宗門が、”本当のものか”非常に疑問を持つし、そういう組織やかかる人物と安々と関わりを持ちたいとは思わない。
ところで、今週末に信濃町内のお寺さんで報恩講が開かれると誘いがあり、家内と友人が出席することになった。
報恩講とは、親鸞聖人の命日(旧暦11月28日)にあたって、聖人の苦労をしのび、阿弥陀如来に救いを求める浄土真宗の最も大切な法要とのこと。
詩人・金子みすずの詩集に次のものがあるように、そこはかとない集いの中でじわじわと聖人の教えを感じ、個々の生きる力に転化していくのが本当の宗教であろう。 祈りやお経を唱える回数やお布施で救われるというのは毛頭ない。
■金子みすず詩集より
「お番」の晩は雪のころ。雪はなくても暗(やみ)のころ。くらい夜みちをお寺へつけば、とても大きな蝋燭と、とても大きなお火鉢で、明るい、明るい、あたたかい。大人はしっとりお話で、子供は騒いじゃ叱られる。だけど、明るくにぎやかで、友だちやみんなよっていて、なにかしないじゃいられない。更けてお家へかえっても、なにかうれしい、ねられない。「お番」の晩は夜なかでも、からころ足駄の音がする。
(旧徒然日記から転記)
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