アイデンティティー(identity)という言葉を辞書でくくると、「同一であること、個性、主体性、自分らしさ」とある。
さて、「日本人にとってのアイデンティティー」って何だろう?
そんなことを考えたくなるような今日この頃のニュースである。 その一つは公立学校の卒業式での国歌・国旗問題、そしてもう一つは教科書検定問題である。 更に、学校内の犯罪対策としての地域の自警団組織などもある。
黒姫に関係のないことをここに書くのは本意ではないが、日本社会のこの所の雲行きがどんどん悪くなり、強権的で一方的な、しかも非常に策略的で一部への利益を誘導するようなニュースに悲しい思いが続くからである。
あのように、過去の戦争犯罪を美化し、日本を神国として奮い立たせようとする動きそのものが、日本という国を狭隘化させ、世界の中で孤立させる要因になっていると、理解ができない人が実に多い。 戦車に乗って日の丸に敬礼することが日本人としてのアイデンティティーと思うような単純な脳しか持たない者が文民として行政の中心にいるからどうにもならない。
戦争などに理由など言い訳など何もない。 日本人はテレビのニュースを鵜呑みするのではなく、イラクの市民がどれだけ殺され苦しんでいるか実態を見なければならない。 ベトナムでも体が一部くっついた双子の手術が話題になったことがあるように、ベトナム戦争の枯葉剤による市民の苦しみは相当のものがあったし、今でもテレビには出ないものの相当にあるように思う。
ベトナムの戦場に、報道カメラマンとして撮影に奔走された石川文洋さんが書いた本を先日読んだのだが、ただ撮ることを生業として出かけた石川さんが長いベトナムでの生活の中で何を感じていられたことがよく分かった。
先の大戦でも、日本の兵士は日本の仲間に殺された人も多いと聞く。
イラクの自爆テロがあるからイスラム教が怖いとか、そんな単純な発想をしてはならない。 そういう報道があったら、彼らがそうしなければならない現実を教え、日本でも特攻という国家が組織した自殺部隊があったことをもっと子供に教える必要があるし、慰安婦問題なども過去のことではなく現実にどこででも発生しうる問題と明らかにすべきである。
亡くなった兵士を弔うことは大事だが、沖縄ではそれ以上に亡くなった市民がいた。 英霊として崇めるのは、彼等兵士に対しても冒涜ではないか。 戦争を美化してはならない。 残るのは悲しみだけだから。
殺戮による悲しみを再び起こしてはならない。 そういう意味でも憲法九条の維持は大事であろう。
憲法九条の砦もなくなり、日本の行政、司法、経済、宗教などあらゆる中で反省も、日本人としての未来を創る概念もなく、単に諸外国からの軋轢だけで、止む無く国として方向付けをしているとしたら何とも情けない。
黒姫にも、満州への開拓に出て辛酸をなめた人達がいたらしいが、先の戦争の実態を垣間見るようなそういう過去の事実も知りたい。
黒姫の近くには、「松代大本営跡」という戦争を知り、働いた朝鮮人達の実態を知ることができる良い材料がある。 「戦争」というものが何であるか皆が考えてほしい。 世界に通ずる日本人としてのアイデンティティーを持ちたい。
(旧徒然日記から転記)
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