浅川巧は、現在の山梨県北杜市に生まれ、100年前に林業技士として朝鮮半島に渡り植林をするかたわら、朝鮮白磁や台所の木製道具など朝鮮民具のすばらしさを発掘した人物です。 残念ながら40歳代という若さで病没し、日本には帰らず朝鮮の土となり、韓国併合の時代にあって、朝鮮民族から崇められる唯一の日本人であったそうです。
この7月に、「道 〜白磁の人」という映画を見て、その存在を知り、さらにこの10月、浅川巧が生まれた北杜市にある「浅川伯教・巧兄弟資料館」をたずね、一度は墓参したいと思っていました。
[当ブログ記事]
・映画「道 〜白磁の人」を観てきました
・浅川伯教・巧兄弟資料館をたずねる
[参考文献]
・「日韓交流のさきがけ・浅川巧」 椙村 彩
・「白磁の人」 江宮 隆之
・「朝鮮の土となった日本人ー浅川巧の生涯」高崎 宗治
兄弟資料館でいただいた資料の中にアクセス方法の説明があり、
ソウル地下鉄中央線 忘憂(マンウ Mang-u K121)駅下車、市庁から30分ほど。 タクシーで忘憂里公園墓地まで15分。 管理事務所から徒歩30分とのこと。
積雪で白くなった山道(車が通れるほどの3m?以上の幅)を歩きましたが、やはり所要時間は30分でした。
墓所へ登る道は登山路にもなっているようで、雪降りの中、山登りの人に多く出会いました。 以下、スナップを残します。
車道から離れ、数分公園墓地への急坂をのぼると左側に駐車場。 そして管理事務所、トイレと続きます。
車輌通行止めの柵を越えて、間もなく道は2つに分かれます。
進入禁止の表示のある左手の道へと進みます。(夏場は一方通行で右手へと車は走れるのでしょうか?)
左に、忘憂(Mang-u)の町か漢江(はんがん)が眼下に見えるようですが、記憶は定かでありません。 だんだん右手に土まんじゅうが見えて来ます。
中程の左手にこんな人形やら設備がありましたが、目的は分かりません。
そのうち、やはり左手に椅子が置いてあり、墓所はこのまん前でした。
この先、少し進むと、石碑のようなものが立ち、水飲み場となっていました。
墓参りに利用するのか、あるいは登山用の水源なのか赤色や青色の柄杓がぶら下がっていました。
水飲み場から来た道を振り返り、墓所は30mほど戻った左側(来た時の右)にあります。
狭い階段を登ります。 階段の真ん中は坂でちょっと滑りやすい。
左手にある黒い石碑にはハングルで「朝鮮の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人、ここ韓国の土となる」と記されているそうです。
積もった雪をはらってみたら、12月賞味期限の一口まんじゅうのような和菓子が2つ供えられていました。 たぶん夏頃に日本人の墓参があったのでしょう。
右手の石碑はたぶん白磁の壺をイメージしているのでしょう。
「白磁の人」予告編から
今回の墓参には、地理が不案内ということもあって、7年程前に利用したことのある模範タクシーを利用しました。 模範タクシーは一定の公的基準を越えて良質と認められているタクシーだそうで、基本料金が(4500w?)一般より少し高いものの、地理に詳しく、日本語や英語を理解する運転手さんがいるそうです。 車体は黒塗りです。
特に今回も利用した陳(じん)さんのタクシーは8名も乗れるジャンボタクシーだとかで、少人数のグループ旅行の場合、観光案内もしてくれるので至便だと思われます。 難しい話は無理ですが、平易な日本語会話は可能で、穏やかで親切な50歳代の運転手さんです。 日本からは電話番号の頭0を取り、頭に+82をつければかかります。 ちなみに韓国の標準時刻は日本と同じです。
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