日本経済新聞に、「ゴーンクーロン」という言葉が載っていた。
勿論、日産自動車を立て直したゴーン氏のことだが、企業の建て直しに系列の異なる場で実績をあげた人材を登用し、企業の存続を図っていこうという意味らしい。 同じ釜の飯を食ってきた人材では、新しい発想もなく、混迷した時代に対応できないということなのだ。
大相撲の初場所は、モンゴルから来た朝青龍が優勝したが、日本の国技でさえ海外の力士によってかろうじて人気を得ているのである。 小錦や曙は旧弊した相撲界に見切りをつけたとも云われている。
もう少し身近な例を見ると、家庭の奥さんが夕食用に買うこともあるというコンビニ弁当の殆どは、日系ブラジル人が夜中に働いて製造しているものらしい。
このように、日本社会は外国人によって支えられているのである。 日本の国体を維持するとか、伝統を守るとか、兵士を祭るということでなく、海外の人とどう調和して共存していくかということの認識が求められているのである。 確かに伝統文化を守り、それを後世に伝えて行く義務は我々にあるが、新しい文化と融合していくことも世界が肥大化していく中では必要なことなのである。
学歴を詐称した議員、今だもって大量兵器が見つかることを信じている総理大臣、自分の品位を脇に置いて敵対する党の代表を品位がないと公言する政治家、皆々、ゴーンクーロンに取って代わってほしいものだ。
日本にとって、国民にとって、今大事なことが何か、明確に出来る人材がリーダーになってくれることを切に望むものである。 長野県について云えば、田中知事がそういう人物になりそうだったが、入院治療のためなのか、はたまた出張旅費の件なのか、最近は何となく当初の元気が感じられなくなってしまっている。
(旧徒然日記から転記)
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