I/O(アイオー)は、アスキー創刊の前年(1976年)11月に創刊されたもので、この年からメーカーが中心となってマイクロコンピュータショウが開催されるようになった。 そういう意味でも、この年は、マイコン(パソコン)元年と云える年であったろう。
たぶん、この年にNECがTK-80というワンボードのコンピュータをキットで発売し、自分も時流に押され、万世橋脇の部品屋でやっと見つけて買ったことを覚えている。 値段は確か、79,800円程していたと思う。 プリント板にICや抵抗、コンデンサーを挿して半田づけをし、電源はラジオから外したトランスに電解コンデンサーやら、三端子レギュレーターを使って、5Vや12Vを作り出した。 出来上がったボードに通電して出来ることは、0~Fまでの十六進数を入力するだけのもので、LEDの数字が動くだけで喜ぶ、随分と高い玩具であった。
さて、このI/Oの創刊号裏表紙の編集人には西和彦氏の名があり、翌年6月号まで記載されていたが、この6月号の編集後記には、I/Oをやめると記している。 その翌月号である78年7月のアスキー誌の編集人として名を連ねていたのであった。 しかも、編集人最後のI/O6月号表紙には、西氏と思しき人物の顔まで残している。
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