今日の暦から : 肌荒れには緑黄色野菜
台風一過のせいでもなかろうが、ライブカメラ2号機が配信を停めてしまった。
1号機は、秋葉原の電気街で中古のCCDカメラを購入して自作したものだがまだ使えるものの、入力画像があまり綺麗でないので現在使用していない。
2号機はパナソニックのライブカメラで、雨や雪から守るため丸いハウジングに入れており、空気孔がないのでかなり厳しい寒暖の差に置かれている。 夏場と冬場の温度差はたぶん60度以上であろうと思う。 1年半使用した所でプリセット位置が狂いだしたため、現在はホーム位置で停めたままであった。 とうとう丸3年で使えなくなってしまったようだ。
現在、3号機が稼動しているが、これは2号機より機能は落ちるし、まだ冬場を経験していないので、どの程度の年月に耐えられるか分からない。
さて、3大テノールと称されるオペラ歌手の一人、ルチアーノ・パバロッティが亡くなったとニュースが流れた。 因みに、上のジャケットの右から二人目の人。 日本でも、3大テノールと騒がれはじめた時、たまたまコンサートで聞く機会があった。 興行費が高いためであろうか、アリーナなど集客数が見込める場所でのコンサートが殆どなので、音楽会としては条件が非常に悪かった。
我々が出かけた時も、特別の感慨がわかない歌声が耳に届き、これならCDを聞いている方がよほど良かったと思った。 それなのにチケットは2万円か3万円 5万円だったか、とてつもない値段であったという記憶がある。
パバロッティの存在を日本人が一番意識したのは、2006年トリノ・オリンピックでの荒川静香がゴードルメダルを獲得した時ではなかろうか。 彼女の演技に使ったトゥーランドットを、パバロッティは開会式で歌っていたのであった。
訃報に接して、久しぶりにパバロッティの歌声をCDで聴いたが、なかなかいい声の持ち主であったことが分かる。 でも、クラシックの世界に身を置きながら、譜面が読めなかったというのは何とも不思議だ。
以下に、アサヒコムからの人物評を残す。
パバロッティ氏すい臓がんで死去
2007年09月07日 アサヒコムから
世界のオペラファンを魅了したイタリアのテノール歌手、ルチアーノ・パバロッティ氏が6日午前、同国北部モデナの自宅で死去した。71歳。昨年、すい臓がんが見つかり手術を受け療養中だった。世界3大テノールの中でも陽気な個性で人気を集め、張りのある高音で「キング・オブ・ハイC(高いドの王様)」とたたえられた。手術後も復帰への強い意思をみせていたという。
イタリアのANSA通信によると、自宅で療養中だったパバロッティ氏は病状が悪化し、この数日の間に何度か意識不明に陥っていたという。葬儀は8日午後、モデナの大聖堂で行われ、プローディ首相も外交予定を変更して参列する。
パン職人の1人息子として生まれ、オペラ好きな父の影響で声楽を始めた。教師を務める傍ら、61年、レッジョネレミリアの声楽コンクールで優勝。同市立歌劇場で「ボエーム」のロドルフォ役を歌ってデビューした。
高音の輝きは群を抜き、2オクターブ以上の「C(ド)」の音を要求される難曲も歌いこなすことから「キング・オブ・ハイC(高いドの王様)」と呼ばれた。オペラ歌手デビューが20代後半と遅く、楽譜を読むのが苦手というハンディを乗り越え、練習を重ねた。
プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスとともに世界3大テノールと呼ばれ、各地で開かれた3人によるコンサートは世界各国に中継された。イタリア人らしい気さくな性格とステージで人気も高く、演奏終了後は満面に笑みをたたえて両手を大きく広げるのがスタイルだった。
プライベートでも話題満載の人だった。パスタとマカロニが大好物で、常にダイエットが注目された。東京公演の主催者は宿泊ホテルに巨漢を支える特注ベッドを用意した。03年には35年連れ添った妻と離婚し、34歳年下の恋人ニコレッタ・マントバーニさんと結婚。66歳でパパになった。米名門メトロポリタン歌劇場の舞台を2回連続でキャンセルして劇場から絶縁状をたたきつけられたり、脱税の罪で起訴(後に無罪)されたりと、注目を集めた。
テレビや映画にも積極的に出演し、多彩な活動は「商業主義に過ぎる」と批判も呼んだが、クラシック音楽をなじみのない層に広めた功績は大きい。日本でも71年に初来日して以来、たびたびオペラ公演やコンサートに出演。東京・国立競技場で公演を実現したのは3大テノール(96年)とSMAPしかいない。
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