昨日、リンクさせていただいている、続・黒姫からに亡くなられたパパロッティのことが書かれ、古い(?)ビデオクリップも貼り付けられていた。 サイトを開くと、IEの上部にActiveXの確認メッセージが表示され、DivXのアドインソフトのインストールが催促され、続けてしばらく待つと動画映像を見ることができた。
そして、どんなふうにこの映像を見つけてきて、ページに貼り付けられたのか、興味が出てきたので調べてみた。
上述のインストール作業が終わると、デスクトップ上にDivX Moviesというフォルダーができるので、その中のリンクをたどると映像を収録してあるサイトを開いたブラウザ画面が表示された。 そして検索文字を入力すると関連ファイルがいくつかサムネール表示され、選べばビデオを見る画面に変わると、いとも簡単であった。
再生することもダウンロードすることもできるが、左下にあるShare videoをクリックすると、自分のページに貼り付けられるスクリプトが表示される。 ただそのままだと表示ウインドウが大きすぎるので、縦横比を同じに小さい値にしないと、ページが崩れる結果となる。 いくら小さくしても、表示ウインドウの右下の□マークをクリックすると、元サイズやディスプレイ全体での表示が可能なので問題はない。 動画再生中は、表示ウインドウ以外を暗くさせるディマー機能もあって、なかなか凝っている作りになっている。
��追加:映像ウインドウの中でダブルクリックすると、即ディスプレイ全体の表示になる)
そこで、パパロッティの動画をもう一つ。
��追記:2008.02.28でDivXがサービスを停止。そのためユーチューブの映像に入替えた)
パバロッティ氏逝く 日本でも惜しむ声
アサヒコム 2007年09月06日20時01分
6日亡くなったパバロッティさんは、人なつこい笑顔と人柄で日本でも広く愛された。その歌声といえば、「誰も寝てはならぬ」の名旋律を思い起こす人は多いだろう。昨年2月のトリノ五輪開会式で、つやのある伸びやかな声で歌い切った。その同じ曲にのって、フィギュアスケートの荒川静香選手が金メダルを獲得。日本人の心に深く刻まれる記憶となった。
初来日は71年。たびたび来日し、94年には最大150人の会員を抱えるファンクラブが誕生。04年に引退を宣言して東京から世界ツアーを始めた。
交遊の深かった指揮者の小澤征爾さんは、サイトウ・キネン・フェスティバルで指揮するため滞在中の長野県松本市で、追悼のコメントを発表した。「何十年来の友人で、大変悲しく思います。スカラ座での私のデビューは、パバロッティさんの強い勧めがあり実現した。彼の声は、レストランなどで流れていてもすぐにわかる。もう聴けなくなるのは大変残念です」
テノール歌手の市原多朗さんは86年ごろ出会って認められ、パリ・オペラ座などで20回以上代役を務めた。「後輩を育てようという気持ちの強い人。芸術の道への案内人となってくれた。僕の舞台の時にも、よくトコトコ寄ってきて『こうした方が楽だよ』と現場感覚でアドバイスをくれた」
初来日公演を聴いた音楽評論家の黒田恭一さんは「すごく寂しい。徹底して明るいイタリアのテノールで、常軌を逸した熱狂を観客に起こさせる独特の存在感があった。『オペラってすごいんだ』と多くの人に気付かせた功績ははかりしれない」としのんだ。
日本のファンクラブには高校生から80代まで会員がいる。会長の小島栄子さんは「人を包み込む温かい雰囲気に魅せられて、きょうだいや親子で入ってくれた人もいる。世界の空がかげってしまったよう」と惜しんだ。
東京での「三大テノール公演」で96年6月、プラシド・ドミンゴ(左)、ホセ・カレーラス(中央)両氏とともに熱唱するパバロッティ氏(右)=ロイター
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