今朝の黒姫はこの写真のように良い天気に恵まれていたようだった。
さて、カナダのバンクーバーで冬季オリンピックが開催されたと知り、息子がオリンピック会場に近い所に住んでいることもあって、昨日は古いテレビジョンを押し入れから出してきて、開催式典を見てしまった。
式典そのものはコンピュータを駆使した実像と虚像が倒錯したもののようで、特別な感動はなかったが、First Nationsという先住民の姿を多く写し、カナダという国に住む人々をカナダ人として共存している社会なのだと伝えている様子に感銘を受けた。
そういえば数年前に息子のMBA卒業式に出席した時に、同級生の親が来ていて顔貌で見れば中国人であったが、彼らはカナダ人(一世代前に移住)だと言っていたことを思い出した。 世界中の国々を見ると、日本をはじめ人種に重きを置く考えに支配されている国があるが、これだけ国々の交わりが深まり北朝鮮など特種な国を除いて誰でもが行きき出来て住める時代になっている。 そんなことを考えると今や人種に拘泥する時代だとは思えず、今取りざたされている日本の参政権(法案)についても、日本という国に居住している人々という視点で考えるべきものと思う。 国内には多くの日系人など外国から来た人々が働いているが、彼らに支払われる給与の中から厚生年金など社会保険、所得税、住民税などが支払われているのに、行政に参加できないというのは大変不合理であり、それこそ憲法でいう基本的人権が損なわれていると考えられる。
亀井静香氏の思考には同意する部分は多いが、日本に帰化して日本人になってから参政権を問うてほしいという言質には相容れないものを感じた。
もう一点は、日本のスノーボード選手の服装の乱れが問題になり開催式に出席できなかったとのこと。 そんなことを誰が問題にしたのだろうか? 服装は個人の好みの問題であろう。 小学校の卒業式でもあるまいに、そういう末梢的なものを問題にするオリンピック委員会の役員の存在そのものの方が問題だと思う。
何事も一色に染めて括ろうとするのは、先の第二次大戦でドイツや日本が誤った方向に向かった時と同じ思考である。 他方、海外の選手はお祭りを楽しむようにして参加している姿をよく見る。 日本人がグローバルな世界で生きていくには、もっと国外の人々のそういった姿勢を学ぶべきだし、全体と同時に個人をもっと尊重すべきだと思う。
さて、今日は東京・南青山へ出掛け、外苑前の銀杏並木の横を通りかかったが、秋の紅葉の頃の喧騒とは打って変わって、静かなそして少し寂しいような様相を呈していた。
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