題して、
「流されない魂・・・ふるさとのことば(ケセン語)で語るイエス 〜難解な聖書の世界がぐんと身近になる〜」
岩手県の大船渡市に住む医師・山浦玄嗣(はるつぐ)さんのことは、私自身最近まで知りませんでした。 3.11の津波のあと、気仙地方で使われる言葉(ケセン語)で訳した聖書が水没したということを新聞で知っただけでした。 所謂方言で語る聖書に興味を持ったものの、販売価格が高くて(4つの福音書の各々が1万5千円ほどの価格)、個人で買えるものではありません。
(因みに、現在、アマゾンなどでは、中古本が3万円台で出品されているようです)
その後、家内の友人が大変わかり易い聖書があると知らせてくださり、山浦先生の「ガリラヤのイェシュー」を送って下さいました。 でも、文語であっても現代語訳であっても、またケセン語訳であっても、聖書は難しいもので、私は時々チラチラと見る程度でした。
そんな時に、山浦先生の講演会が北信濃であると知ったのでした。 かつて神奈川県横須賀市にあった清泉女学院は知っているのですが、長野市にある清泉女学院を訪ねるのは初めてで、迷いながら三才駅近くの校舎に辿り着きました。
山浦家の祖先は上田市の出身であるという所から講演は始まり、まずは地震発生当時の様子やその後の人々について話されていました。
幼少期に耶蘇教だと子供たちにイジメられ、こんなに良いキリスト様のことを分かってもらうにはどうすれば良いか考えていた由。
ケセン語辞書を60歳で完成させ、それから幼少期からの願いであった聖書のケセン語訳に着手したが、現代語訳聖書に書いてあることがさっぱり分からず悩んでいた所、長崎のある先生からギリシャ語の聖書や文法書、辞書が届き、ギリシャ語の言葉の意味を解読しながら理解していったら、聖書が何を言おうとしているのかよくわかったと、そこからケセン語聖書の作成が始まった由。
そしてケセン語には「洗礼」という言葉がないので「水くぐり」として、水の中に全身入ると息ができず、わっと水から飛び出して息を吸う。 今までの生き方を吐き出して、新しい息(命)を吸うことが洗礼であると話され、大変わかり易い説明でした。
あるがままを受け入れる、人の痛みが分かる、互いに受け入れる、それが本当の幸せであり、神様の言葉を聞く(聞き続ける)ということが大事だとのこと。 シューマ イスラエル。
大変冗談好きのようで、聴衆から笑い声が出ることもしばしばで、でも話の要点を外さない話し方は素晴らしく、1時間半ほどの間、ずっと山浦さんを見つめ続け、逃すまいと耳をそばだてて聞き、感心することばかりでした。
20分ほど会場からの質問に応えておられましたが、最後に求めに応じて、「山上の垂訓」の行をケセン語で読んで下さりました。 その朗読の一つ一つがお腹にストンと入ってくるのでした。
会場で、再販された著作「父さんの宝物」と「なぜと問わない」を購入しましたが、夭逝された父親のことなど、山浦さんの人としての深みが感じられるものでした。 武士道に通じた、本物の日本人であるとも見受けられました。
家に戻ってからネット検索していたら、当初、ケセン語訳聖書を出版したイー・ピックス大船渡印刷のサイトでケセン語訳聖書の音声データの販売を始めたとあり、販売サイトのFeBeにログインして、まず手始めにとヨハネによる福音書を購入しました。
購入データはCD3枚分にも相当し、早速iTunesを使って書き込んで聞いています。
時々、言葉の意味が分からなくなりますが、聞いているうちに前後関係で分かってくるものです。 ベッドタイム・ストーリーばりに、就寝前のひとときに聞く音声(音楽)として聞いていこうと思っています。
(会場配布の資料から)
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