大晦日近くになると”今年の十(重)大ニュース”というタイトルで、1年間を振り返る記事が新聞紙上を賑わすが、黒姫に限って考えたらどんなことが上げられるであろうか。
町政や町内の出来事については、黒姫での生活が少ないので分からないが、今年の自分としては、小林一茶のことを少し知ったことと、野尻湖の琵琶島で大鳥居竣工記念のコンサートに参加できたことの2点が大きなニュースというか出来事であった。
以前にもこの日記に書いたが、東京大学名誉教授で浄土真宗の住職でもおられた早島鏡正氏の「念仏一茶」という本を読む機会に恵まれ、一茶のやさしさ、宗教性、精神性を知り、その人となりを知りたくなったのである。 それがきっかけで、一茶記念館の講演会にも目が向いたのであった。
8月に、「一茶句のおもしろさとおそろしさ」と題した、宮沢賢治イーハトーブ館館長であり、30年前から信濃町の山桑に住まいを持つという原子朗さんの講演を聴いた。 当時の時代背景から一茶の生き様と一茶句を詳訳し、幕府直轄の天領であったこと、親鸞に詣でるために三河から北国街道を歩き、途中の柏原で居を構えた人々のこと、農業文化が栄えたこと、平均余命30数才の時代に65歳まで生きた一茶を支えたのは蕎麦であったこと、一茶の家庭環境のこと、等々 お話が多岐にわたり、その中で一茶句を解説されていた。
9月には、「句にあらわれた一茶の社会性と政治性について」と題した、専修大学青木美智男教授の講演で、1.信州村落での民間教育の様子、2.江戸裏長屋での暮らし、3.信州人の江戸稼ぎ、4.一茶の異国観と自国観 とに分類され、数句ずつ実例をあげて解説し、一茶の句から時代像を読み取れるということであった。 65歳まで生きた一茶の、”生”に対する執着心や時代をきめ細かく見る目があったからこそ、晩年、小さな生物に対する優しさを詠う句が生まれてきたという結論であった。
また11月の一茶忌では、「一茶と山頭火」と題した、「海程」主宰の金子兜太氏の話で、生活者であった小林一茶と放浪の俳人種田山頭火を判り易く比較されており楽しく聞くことができ、夏の明るさと冬の暗さという黒姫高原(信濃町)が持つ明暗の2面のうち、夏の明るさや喜びを謳歌したのが一茶であったということであった。
他の講演会には残念ながら参加できなかったが、来年も機会があれば色々な話を聞いて一茶の人物像に対する自分の理解を深めて行きたいと思う。
それにしても、黒姫には別荘を中心として著名人が沢山来られているようだ。 休みに来られているのに町の行事や観光に向けて出場願うのは難しいかもしれないが、何か役立ってくれれば町の活性化への一助にもなるのではと思われる。
もう一つの重大ニュース(出来事)は、8月に野尻湖の琵琶島で大鳥居竣工記念のコンサートが聞けたことである。 初めて琵琶島に渡り夕方の深淵とした空気の中で何か数世紀の流れの一時点に自分が存在しているのではと思えるような時間であった。
コンサートでの、ギタリスト辻幹雄さんの11絃と6絃ギターの演奏、松尾慧さんの篠笛・龍笛・能管とのデュエットも、野尻湖を渡る風の音とともに心地よく聞くことができた。
町の活性化のためのプロジェクトの中に、”癒し”をテーマにしたものがあるが、琵琶島のこのような”場”こそが、自己免疫力を生み出す”癒しの場”ではないかと思う。
自分自身は、安易に”癒し”という言葉が使われているようで、この言葉を聞くと逆に違和感を感じてしまう。 しかし、ナウマン象を含め、太古からの時代の流れの中に存在する自分を見つけ、確信することこそが自己治癒力を生み出す”癒し”効果ではないかと思う。
宗教行事と中立的な観光事業に相容れないものがあるという考えもあるが、あのコンサートを単に神社の行事として片付けてしまうのは勿体無い。 来年8月に再び行われるかもしれない琵琶島の行事にはぜひ参加したい。
(旧徒然日記から転記)