柏原交差点を黒姫駅の逆方向に入って行くと、右手に町営信越病院の建物が見えてくるが、その正面、進む道の左手に小さな木造の建物が道から少し離れて建っている。 山小屋風に見える質素な建物なのだが、よく見ると、屋根の上に尖塔らしい物が乗っかっている。
これが昭和34年に建てられたという、日本キリスト教団信濃村伝道所である。 信濃町は、昭和31年9月30日に信濃村、古間村、信濃尻村が合併したということだが、この教会はそれ以降に建てられていながら、今だもって「信濃村伝道所」と呼称されている。 柏原交差点に建つ看板もしかり。
この教会に最初に赴任された清水さんという牧師さんは全く存じ上げない。 次に赴任された太田さんは「辺境の食卓」の誌面上でお会いした。 影山師は、クリスマス礼拝で説教を聞いたことがあるが、教会よりも野尻湖問題など社会的な活動をされ、野尻湖フォーラムに何度も寄稿されている。 その後に若い牧師さんが来られたようだが面識はなく、現在おられる方については全く分からない。
前置きが長すぎた。 本題に入ろう。 以前、この教会に赴任されていた大田愛人さんが記された「緑の復活祭」という書籍を読み終えたことを書くつもりであった。
本書は1986年に出版されたもので、1978年から85年にかけて多方面に書かれたエッセイを分類して、纏められたものであった。 内容は大きく、
野尻湖からと4つに分類されている。
現代食卓考
医師としての自然
横浜から
信濃町に関係した事項は、「野尻湖から」にまとめられているが、「辺境の食卓」を読んだ時ほどの感慨はなかった。 そのかわり自分達が知っている場所や事柄、人々などに触れることができて、楽しんで読むことができた。
「現代食卓考」の中にも、ウコギ、フキッタマ、ソバや夏野菜など、信濃町の自然なればこそ産まれる食物があちこち登場していた。 夏のこの時期、「野菜ばっかり」という言葉を町内でよく聞くが、この「ばっかり」を否定的に捉えがちだが、旬の野菜を味わうべきだという大田さんの考えに諸手を挙げて賛同したい。 真夏の信濃町でいただく、「やたら」や「冬瓜の刺身」などはいくら食べても飽きない。
「医師としての自然」では、詩人ワーズワースの言葉や安倍磯雄の「質素之生活 高遠之理想」などのことが書かれているが、より深みのある自然観を大田さんの中に見た思いがする。 林野庁のガイドラインにのったような信濃町の「癒しの森」プロジェクトだが、こういった深みのある自然感に根ざしたものであろうか。 ある種の宗教性、精神性、太古までをも含めた人性、そういった所に根ざした自然との共生、共時から生まれるものが本来の癒しではなかろうかと思う。 ただ個人個人がリラックスするといった程度の癒しでは、運動としても心もとないと思えるのだが、傍観者だから言える事なのかもしれない。
既に去ってしまっておられるが、大田愛人さんという人の存在も信濃町にとっては大きな財産である。
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